平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

真央に見る「美とは凝縮すること」

2007-09-11 14:23:16 | Weblog
 前回は、真央ちゃんの数少ない課題である、手首の使い方について書きました。この観点から改めて07世界選手権を見直すと、意外にもフィンランドのスザンナ・ポイキヨ選手が断トツで優れていました。腕の動作の時、必ず手首を内側に曲げて、鶴首の形で脱力した指先をリードします。こうすると、指先の表情は意識しなくとも勝手に付いてくる訳です。真央ちゃんの手を真上に持ち上げるスピンの時、この鶴首の形が作れていないので、蕾が開く花のような表現に至っていないのです。

 さて、世界選手権を見直していて、よくもまあ飽きない自分に気が付きました。真央ちゃんのフリーは3月以来50回は観たでしょう。それでもまだ、新たな発見があるのです。これは、真央ちゃんの演技が鑑賞に値する芸術の域に達しているから起こる現象です。

 昔は芸術と美術はイコールの関係でした。けれど、変な芸術理論により、醜悪なものでも芸術的と呼ばれるようになり、芸術の価値は失墜しました。それで僕の中では、芸術の定義を「神を証しすること」に限定しています。こうすれば、芸術と美術はイコールでいられるからです。真央ちゃんの演技は、以前にも書きましたが、まさに神を証しする領域に達しています。文句なしの芸術作品が真央ちゃんの演技なのです。それで、何度観ても飽きないという現象となる訳です。

 さて、芸術を語る上で避けられない「美(び)」という言葉ですが、これには元々「凝縮する」という意味が内包されています。日本人が古代エジプトでイスラエル12部族を形成した頃、下エジプトの象徴にミツバチがありました。これをヒエログリフでビツと読みます。美の読み方のビとミは、B音からM音への転訛(てんか)です。ですから、ヒエログリフのビツは転訛してミツとなります。これが蜜の語源です。

 ところで、B音というのは「絞った形」を表しているのです。首(ビの形)、Bの字、弁、などなど、オリエント発祥のものは共通して絞った形をです。絞る=凝縮なのです。ヒエログリフで心臓はイブですが、これはパイプを意味する「イ」と弁を意味する「ブ」の合成で、「血管と弁=心臓」となっているのです。これが、心臓=心ですから、アダムの妻イブの名前となったのです。イブは心という意味だったのです。詳しくは→こちら(右クリックで新しいタブで開く)。

 このように、美には凝縮という意味が内包されているのですから、本当に美しいものは人を飽きさせることがありません。真央ちゃんの演技は、構成、振り付け、表現力、肉体的パフォーマンスなど、凝縮される前の素材の段階で既に高濃度だと理解されます。たった4分間に凝縮された演技には、ダービーの2分半に命をかけるサラブレッドと同じくらいの命の重みが感じられるのです。

 昔の日本は大和と呼ばれていました。古代史の方で近々発表するつもりですが、大和の和はイブという意味があります。和の字を分解すると、「木の実を口にした間柄」となります。禾(ノ木)偏は「木の」という意味で、ここから、和はエデンで蛇に騙されて木の実を口にした人を指すのです。大は最初の偉大な人アダムですから、合わせてアダムとイブが大和なのです。

 先祖であるアダムとイブを国の名として持つ美しい国。それは、安倍政権が掲げるアドバルーンとは無関係に、日本が本質的に有している美徳なのです。アダムとイブが愛する国である日本から、真央ちゃんが美と芸術の翼を広げることは運命なのかもしれませんね。

     エフライム工房 平御幸
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