前回に続いて名古屋について語りたいと思います。
僕が初めて名古屋に降りたのは伊勢神宮を訪れた03年の秋ですが、新幹線から近鉄への乗り換えの時、近鉄名古屋広小路口の前にあるカフェに立ち寄りました。懐かしかったので、今回はデジカメに収めてきました。
カフェの名前はデンマルクのようですが、映っている女性は偶然に入ったもので、僕の古いデジカメではシャッタースピードが遅く、タイムラグで思わぬものも視界に飛び込んでくるのです。少しへっぴり腰で顎を出している姿勢が惜しいですね。ハイヒールでアヒル歩きをするタイプですが、胸を張って脚をイン→アウトに踏み出せば美しく見えます。イン→アウトとは、脚を交差させるときに踵を打ち合わせる感じのステップです。ちなみに僕は学生時代の草野球で、5㎝ヒールでピッチャーをやっても平気でした。それも、ロッテの渡辺俊介ばりのアンダースローと、ヤクルトの伊藤智仁ばりのオーバースローの両刀遣いでしたが。柔軟でバランス感覚に優れた、ハイヒールで投げられる投手はコントロールに心配いりません。
話が逸れましたが、デンマルクとはデンマークの事で、スペルはDANMARKなので、僕が何度も書いているイスラエル12部族のダン族を連想させます。多分、デンマークは、ソロモン神殿を造ったダン族の国なのだと思います。古代イスラエルの王族が天皇家で、デンマーク王室は天皇家に次ぐ古い歴史を有しているそうです。ダン族の本拠地は、ダンジリで知られる岸和田ですが、ダン族はイスラエル12部族の最後(尻)を行進したのでダンジリと呼ばれるのです。このとき、部族長はアミシャダイですから、曳いた車(山車)が車台形式なるのは当然です。ダンジリで用いられる団扇もダン族を意味しています。
デンマルクでサンドとコーヒーを食べた記憶があるのですが、当時は名前には気が付きませんでした。それで、名古屋の祭りを調べてみると、御輿ではなくてやはり山車形式のようです。名古屋は那古野と呼ばれ、北イスラエル王国の初代王であるエフライム族の祖先、エジプト宰相ヨセフが住んだテーベの旧名「ノ」と、ヨセフの母が眠るエフラタ(後のベツレヘム)を意味する「フル」が入っています。那は国という意味です。古里とは、ヨセフ(北イスラエル)にとっての故郷という意味だったのです。だからこそ、北イスラエルの失われた10支族を意味する「十の口」で古の字が作られたのです。またこれは、ヨセフのような救世主がベツレヘムから出るという預言でもあったのです。名古屋は、ヨセフの息子であるマナセとエフライム兄弟を中心とし、木工建築の匠(たくみ)集団であるダン族を従えた北イスラエル王国の生き残りだったのです。
名古屋はベツレヘムを意味する古の字が入っているので、救世主的な働きをする人が出現します。クリスマスはセラピス神を祭った冬至の行事が変化したものですが、セラピスもヨセフの孫、エフライムの娘セラにルーツがあります。ハトホルのモデルのセラに、牛神アピスを加えたのがセラピスなのです。どこまでもヨセフとエフライム親子がついて回りますね。さて、この季節に生まれた選手は誰かというと…、それは一番苦労している選手のようです。十字架を担うのは大変なのです。
さて、モリコロに行く前に、伊勢から名古屋に出てきた弟子に会いました。僕がどの様な人間かは、弟子がそのうちに書くでしょう。僕が弟子にした理由ですが、メールをくれたときの文体にあります。文体は人の全てを表しているので、一目で信用できる人だと分かりました。また、文才も感じたので、尻込みするのを無視して、無理矢理にブログを書かせているのです。本人には文才の自覚はないようですが、やがて書くのが楽しくなるでしょう。その弟子が作ってくれた味噌カツサンドがあったので、今回は名古屋グルメは出来ませんでしたが、名古屋を理解するのは食からと言うのは納得しました。目覚めよ名古屋、という声が聞こえてくるようです。
なお、古代史の方ではダンとデンはダン族に関する言葉と定義しています。ダンマルクがデンマルクになるのは変ではないのです。
エフライム工房 平御幸
僕が初めて名古屋に降りたのは伊勢神宮を訪れた03年の秋ですが、新幹線から近鉄への乗り換えの時、近鉄名古屋広小路口の前にあるカフェに立ち寄りました。懐かしかったので、今回はデジカメに収めてきました。
カフェの名前はデンマルクのようですが、映っている女性は偶然に入ったもので、僕の古いデジカメではシャッタースピードが遅く、タイムラグで思わぬものも視界に飛び込んでくるのです。少しへっぴり腰で顎を出している姿勢が惜しいですね。ハイヒールでアヒル歩きをするタイプですが、胸を張って脚をイン→アウトに踏み出せば美しく見えます。イン→アウトとは、脚を交差させるときに踵を打ち合わせる感じのステップです。ちなみに僕は学生時代の草野球で、5㎝ヒールでピッチャーをやっても平気でした。それも、ロッテの渡辺俊介ばりのアンダースローと、ヤクルトの伊藤智仁ばりのオーバースローの両刀遣いでしたが。柔軟でバランス感覚に優れた、ハイヒールで投げられる投手はコントロールに心配いりません。
話が逸れましたが、デンマルクとはデンマークの事で、スペルはDANMARKなので、僕が何度も書いているイスラエル12部族のダン族を連想させます。多分、デンマークは、ソロモン神殿を造ったダン族の国なのだと思います。古代イスラエルの王族が天皇家で、デンマーク王室は天皇家に次ぐ古い歴史を有しているそうです。ダン族の本拠地は、ダンジリで知られる岸和田ですが、ダン族はイスラエル12部族の最後(尻)を行進したのでダンジリと呼ばれるのです。このとき、部族長はアミシャダイですから、曳いた車(山車)が車台形式なるのは当然です。ダンジリで用いられる団扇もダン族を意味しています。
デンマルクでサンドとコーヒーを食べた記憶があるのですが、当時は名前には気が付きませんでした。それで、名古屋の祭りを調べてみると、御輿ではなくてやはり山車形式のようです。名古屋は那古野と呼ばれ、北イスラエル王国の初代王であるエフライム族の祖先、エジプト宰相ヨセフが住んだテーベの旧名「ノ」と、ヨセフの母が眠るエフラタ(後のベツレヘム)を意味する「フル」が入っています。那は国という意味です。古里とは、ヨセフ(北イスラエル)にとっての故郷という意味だったのです。だからこそ、北イスラエルの失われた10支族を意味する「十の口」で古の字が作られたのです。またこれは、ヨセフのような救世主がベツレヘムから出るという預言でもあったのです。名古屋は、ヨセフの息子であるマナセとエフライム兄弟を中心とし、木工建築の匠(たくみ)集団であるダン族を従えた北イスラエル王国の生き残りだったのです。
名古屋はベツレヘムを意味する古の字が入っているので、救世主的な働きをする人が出現します。クリスマスはセラピス神を祭った冬至の行事が変化したものですが、セラピスもヨセフの孫、エフライムの娘セラにルーツがあります。ハトホルのモデルのセラに、牛神アピスを加えたのがセラピスなのです。どこまでもヨセフとエフライム親子がついて回りますね。さて、この季節に生まれた選手は誰かというと…、それは一番苦労している選手のようです。十字架を担うのは大変なのです。
さて、モリコロに行く前に、伊勢から名古屋に出てきた弟子に会いました。僕がどの様な人間かは、弟子がそのうちに書くでしょう。僕が弟子にした理由ですが、メールをくれたときの文体にあります。文体は人の全てを表しているので、一目で信用できる人だと分かりました。また、文才も感じたので、尻込みするのを無視して、無理矢理にブログを書かせているのです。本人には文才の自覚はないようですが、やがて書くのが楽しくなるでしょう。その弟子が作ってくれた味噌カツサンドがあったので、今回は名古屋グルメは出来ませんでしたが、名古屋を理解するのは食からと言うのは納得しました。目覚めよ名古屋、という声が聞こえてくるようです。
なお、古代史の方ではダンとデンはダン族に関する言葉と定義しています。ダンマルクがデンマルクになるのは変ではないのです。
エフライム工房 平御幸