今回の大震災で支援の輪が広がっていますが、ここには偽善もあるのです。被災者にもいろいろありますが、亡くなった人を除くと、家族を失った人、家や財産を失った人、友人や同僚や学校を失った人など、被災者間でも深刻度が違います。しかし、家や財産を失っても、まだホームレスよりは恵まれているのです。なぜならば、ホームレスには支援がないからです。
被災者には食料や衣服が届けられ、やがて赤十字などから支援金も届けられます。でも、同じようにすべてを失っていても、ホームレスには支援金は渡らないのです。なにか変ではないですか?この疑問に至った人は偽善者ではないのです。逆に、普段はホームレスに無頓着で、今回の件だけで支援活動を行う人は偽善者の手前にいるのです。願わくば、ここから偽善者に至らないで、自分の道を真っ直ぐにして欲しいと思います。
被災者となってすべてを失った人は、ホームレスの痛みを知るチャンスにあります。今まで無頓着だった最低のレベルを体験できるチャンスです。問題は、この経験値を活かすことが出来るかどうかです。神に選ばれる人は、この経験値を活かして、世の中に対して何らかの貢献ができるようになるのです。
今年はエジプト宰相ヨセフの年だと何度も書いてきましたが、ヨセフは無実の罪で13年の牢獄生活を経験し、そこで底辺以下の生活を強いられました。砂だらけのパンで歯がボロボロになり、苦労で頭が薄くなっても、ヨセフは牢獄生活から得られる経験を蓄積し、宰相に抜擢された後に、この経験値でエジプトの危機を救うことが出来たのです。
例えば、「雑」というのは「九本の木の隹(とり=尻尾の短い鳥)」を意味し、九本の柱で神を象徴したオン(ヘリオポリス)を指します。隹はイスラエルを指しますから、要するに「雑」は、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻としたヨセフを表す文字の一つなのです。エジプトが7年の飢饉にあったとき、ヨセフは普段は食料としないものを国民に食べさせました。それが雑穀です。雑穀とは、ヨセフが食べさせた非常食がルーツなのです。
肥沃なナイルの恩恵で麦のパンを食べていたエジプト人は飢饉の時、ヨセフが獄中で考案した、家畜の餌=雑穀の調理方法を学んで生き延びたのです。このヨセフの知恵があったからこそ、ヨセフはアメン神として神に祀り上げられたのです。神は、ヨセフを獄に導くことで、飢饉に対する経験値を蓄積させたのです。
被災者という立場は、国や自治体から支援されて当然と考えがちですが、聖書を読んでいればそれは甘い考えだと分かります。聖書では、繰り返して「目覚めていよ、高い山に登れ」と警告しています。国も自治体も機能しなくなる末日の世に、自分を救うのは自分の信仰心と、神から与えられる知恵だけなのです。
神は高ぶるものを低くせられる。被災者という立場は、ある意味では、神に無理やり低くされたに等しいのです。ここで、声高に頭を高くしないで、もっと頭を低くすれば神に拾われるのです。亡くなった犠牲者に報いるように、復興に向かって力を合わせて、将来に経験値を残して欲しいと思います。そういう前向きな人には、支援しても無駄にはなりません。でも、被災地を捨てて自分だけの事しか考えられないようなら、神は救けることを止めると思います。神は、選別のために聖書を残しているのですから。
エフライム工房 平御幸
被災者には食料や衣服が届けられ、やがて赤十字などから支援金も届けられます。でも、同じようにすべてを失っていても、ホームレスには支援金は渡らないのです。なにか変ではないですか?この疑問に至った人は偽善者ではないのです。逆に、普段はホームレスに無頓着で、今回の件だけで支援活動を行う人は偽善者の手前にいるのです。願わくば、ここから偽善者に至らないで、自分の道を真っ直ぐにして欲しいと思います。
被災者となってすべてを失った人は、ホームレスの痛みを知るチャンスにあります。今まで無頓着だった最低のレベルを体験できるチャンスです。問題は、この経験値を活かすことが出来るかどうかです。神に選ばれる人は、この経験値を活かして、世の中に対して何らかの貢献ができるようになるのです。
今年はエジプト宰相ヨセフの年だと何度も書いてきましたが、ヨセフは無実の罪で13年の牢獄生活を経験し、そこで底辺以下の生活を強いられました。砂だらけのパンで歯がボロボロになり、苦労で頭が薄くなっても、ヨセフは牢獄生活から得られる経験を蓄積し、宰相に抜擢された後に、この経験値でエジプトの危機を救うことが出来たのです。
例えば、「雑」というのは「九本の木の隹(とり=尻尾の短い鳥)」を意味し、九本の柱で神を象徴したオン(ヘリオポリス)を指します。隹はイスラエルを指しますから、要するに「雑」は、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻としたヨセフを表す文字の一つなのです。エジプトが7年の飢饉にあったとき、ヨセフは普段は食料としないものを国民に食べさせました。それが雑穀です。雑穀とは、ヨセフが食べさせた非常食がルーツなのです。
肥沃なナイルの恩恵で麦のパンを食べていたエジプト人は飢饉の時、ヨセフが獄中で考案した、家畜の餌=雑穀の調理方法を学んで生き延びたのです。このヨセフの知恵があったからこそ、ヨセフはアメン神として神に祀り上げられたのです。神は、ヨセフを獄に導くことで、飢饉に対する経験値を蓄積させたのです。
被災者という立場は、国や自治体から支援されて当然と考えがちですが、聖書を読んでいればそれは甘い考えだと分かります。聖書では、繰り返して「目覚めていよ、高い山に登れ」と警告しています。国も自治体も機能しなくなる末日の世に、自分を救うのは自分の信仰心と、神から与えられる知恵だけなのです。
神は高ぶるものを低くせられる。被災者という立場は、ある意味では、神に無理やり低くされたに等しいのです。ここで、声高に頭を高くしないで、もっと頭を低くすれば神に拾われるのです。亡くなった犠牲者に報いるように、復興に向かって力を合わせて、将来に経験値を残して欲しいと思います。そういう前向きな人には、支援しても無駄にはなりません。でも、被災地を捨てて自分だけの事しか考えられないようなら、神は救けることを止めると思います。神は、選別のために聖書を残しているのですから。
エフライム工房 平御幸