『マリアによる福音書』とカレン・L. キング女史の解説を見て、ようやく新約聖書に対して取るべき正しいスタンスが分かりました。それは、難しいところを徹底的に削除したり無視することです。
イエスの言葉は単純で分かりやすい。僕は今まで何度も、物事を難しく考える人はダメだと書いてきました。イエスの言葉と僕の考えは全く同じ簡単路線なのです。
ところが、イエスの言葉がシンプルで分かりやすくては困る人達がいます。それは教会の指導者。彼らは、愚民や文盲の信徒の寄付で生活が成り立っています。修道院が出来る前は自給自足の環境もなかった。
だから、教会で難しく講釈をたれて、信徒の尊敬と資金を集める必要から、教会の権威化と、聖典の難テキスト化とが行われたのです。これを改竄と言います (;´Д`)
(´∀`) イエスの言葉は分かりやすいお (*´・ω・)(・ω・`*)ネー
<丶`Д´> それでは教会の権威が保てないニダ
ピコーン 聖典を難しく書き直せばいいニダよ <丶`∀´> ホルホル
こういう流れで、易しいイエスの言葉は、意味不明の例えに改竄されました。例えば、色眼鏡(皇帝のエメラルドのメガネ)で見るな→目の梁を取り除け (@_@;)
権力者に都合の良い改竄は数知れず。例えば、貧しきものは幸いである→心の貧しきものは幸いである (・_・;)
イエスはおそらく冗談が好きで、弟子をからかう言葉も用いました。そして、マグダラのマリアと一緒に、悩む弟子たちを悪意なき笑いで翻弄したのです。例えば、ラクダが針の穴を通る→カメラ・オブスキュラのピンホールカメラの原理 (~_~;)
イエスは飾らないで笑顔が多く、冗談も言い、誰からも好かれる性格の上に、神から授かった深い知識と権威があった。凡人の弟子たちは、イエスの真意を真面目に汲もうとして、逆に真意が分からなくなることも多かったはずです。真面目だけでは精神の自由がなくなりますから。
また、ペテロの権威主義から、カソリックは、ペテロと対立するマリアや、他の弟子たちの言葉を抹殺し、マリアは悪霊が憑いた女という汚名まで着せられました。ということは、女性蔑視のペテロの栄誉と、ペテロによって着せられたマリアの汚名というレイヤーを取り除けば、オリジナルなイエスの言葉が蘇るはずです。もちろん、意味不明の言葉や喩え話にも注意を払って。
そうすれば、イエスのシンプルで分かりやすい言葉だけが残り、カソリックが外典と決め込んだ書の中に、イエスの言葉を補強や補完する、マリアたちの言葉が見つけられるはずです。
イエスが厳しく戒めた毒麦の話も、毒麦=カソリックと見れば、なるほどと理解されます。イエスは、自分の名がサタンに利用されて、近未来に悪がはびこるのを知っていた。また、将来に、サタンの教会が人を訴える組織になることも知っていた。魔女狩りと異端審問で。
黒人の奴隷制度も、ノアの「ハムは呪われよ」という預言が実現しただけだという説がありますが、それも間違いです。このような預言は、仲保者が神の前に進言すれば、神も心を和らげてくださる性質のもの。ただ、カソリックやプロテスタントから仲保者が出なかっただけなのです。悪魔の教会として、利益を生む奴隷を必要としていたからです。
旧約聖書には奴隷の年季の規定があり、一定の年季が明ければ自由人となれました。それが新約聖書の時代になってから破棄されて、奴隷は自由になれなくなった。
権威主義、女性蔑視、奴隷の容認、聖戦という名の掠奪。果ては聖遺物への異常な執着。ペテロの教会は、岩の上に落ちた種のように、イエスの言葉の実を結ぶことはできなかった。「岩(ペテロ)の上に教会を建てる」と、「天国への鍵を委ねる」という、捏造されたペテロへの言葉。イエスが本当に言いたかったのは、岩(ペテロ)の上に落ちた種は実を結ばないという方だったのです。
ということで、とにかく易しく考えて、思考の迷路に彷徨うことがないように注意しましょう。そして、権威主義者のもったいぶった話を聞くより、皆が教え合うことの方がイエスの心にかなっているのです。だから、躊躇して何も語らないよりは、少し間違っていても、勇気を持って何かを語るほうが良い。世の中には消しゴムツールという便利なものがあり、間違っていたら後で修正すれば済むのですから。
平御幸(Miyuki.Taira)
イエスの言葉は単純で分かりやすい。僕は今まで何度も、物事を難しく考える人はダメだと書いてきました。イエスの言葉と僕の考えは全く同じ簡単路線なのです。
ところが、イエスの言葉がシンプルで分かりやすくては困る人達がいます。それは教会の指導者。彼らは、愚民や文盲の信徒の寄付で生活が成り立っています。修道院が出来る前は自給自足の環境もなかった。
だから、教会で難しく講釈をたれて、信徒の尊敬と資金を集める必要から、教会の権威化と、聖典の難テキスト化とが行われたのです。これを改竄と言います (;´Д`)
(´∀`) イエスの言葉は分かりやすいお (*´・ω・)(・ω・`*)ネー
<丶`Д´> それでは教会の権威が保てないニダ
ピコーン 聖典を難しく書き直せばいいニダよ <丶`∀´> ホルホル
こういう流れで、易しいイエスの言葉は、意味不明の例えに改竄されました。例えば、色眼鏡(皇帝のエメラルドのメガネ)で見るな→目の梁を取り除け (@_@;)
権力者に都合の良い改竄は数知れず。例えば、貧しきものは幸いである→心の貧しきものは幸いである (・_・;)
イエスはおそらく冗談が好きで、弟子をからかう言葉も用いました。そして、マグダラのマリアと一緒に、悩む弟子たちを悪意なき笑いで翻弄したのです。例えば、ラクダが針の穴を通る→カメラ・オブスキュラのピンホールカメラの原理 (~_~;)
イエスは飾らないで笑顔が多く、冗談も言い、誰からも好かれる性格の上に、神から授かった深い知識と権威があった。凡人の弟子たちは、イエスの真意を真面目に汲もうとして、逆に真意が分からなくなることも多かったはずです。真面目だけでは精神の自由がなくなりますから。
また、ペテロの権威主義から、カソリックは、ペテロと対立するマリアや、他の弟子たちの言葉を抹殺し、マリアは悪霊が憑いた女という汚名まで着せられました。ということは、女性蔑視のペテロの栄誉と、ペテロによって着せられたマリアの汚名というレイヤーを取り除けば、オリジナルなイエスの言葉が蘇るはずです。もちろん、意味不明の言葉や喩え話にも注意を払って。
そうすれば、イエスのシンプルで分かりやすい言葉だけが残り、カソリックが外典と決め込んだ書の中に、イエスの言葉を補強や補完する、マリアたちの言葉が見つけられるはずです。
イエスが厳しく戒めた毒麦の話も、毒麦=カソリックと見れば、なるほどと理解されます。イエスは、自分の名がサタンに利用されて、近未来に悪がはびこるのを知っていた。また、将来に、サタンの教会が人を訴える組織になることも知っていた。魔女狩りと異端審問で。
黒人の奴隷制度も、ノアの「ハムは呪われよ」という預言が実現しただけだという説がありますが、それも間違いです。このような預言は、仲保者が神の前に進言すれば、神も心を和らげてくださる性質のもの。ただ、カソリックやプロテスタントから仲保者が出なかっただけなのです。悪魔の教会として、利益を生む奴隷を必要としていたからです。
旧約聖書には奴隷の年季の規定があり、一定の年季が明ければ自由人となれました。それが新約聖書の時代になってから破棄されて、奴隷は自由になれなくなった。
権威主義、女性蔑視、奴隷の容認、聖戦という名の掠奪。果ては聖遺物への異常な執着。ペテロの教会は、岩の上に落ちた種のように、イエスの言葉の実を結ぶことはできなかった。「岩(ペテロ)の上に教会を建てる」と、「天国への鍵を委ねる」という、捏造されたペテロへの言葉。イエスが本当に言いたかったのは、岩(ペテロ)の上に落ちた種は実を結ばないという方だったのです。
ということで、とにかく易しく考えて、思考の迷路に彷徨うことがないように注意しましょう。そして、権威主義者のもったいぶった話を聞くより、皆が教え合うことの方がイエスの心にかなっているのです。だから、躊躇して何も語らないよりは、少し間違っていても、勇気を持って何かを語るほうが良い。世の中には消しゴムツールという便利なものがあり、間違っていたら後で修正すれば済むのですから。
平御幸(Miyuki.Taira)