浅田真央論~その2、天真爛漫を演ずる大物
前回の浅田真央論では、フィギュアスケートを取り巻く胡散臭い関係も取り上げました。しかし、安藤美姫選手がサタニズム(悪魔崇拝)のサインを出しているとしても、それは彼女自身が知らないで行っている可能性は高いのです。
安藤選手は、何かにつけてマスコミの前に登場し自主性をアピールしていますが、実際には意志を持つことが許されない奴隷のような存在ではないでしょうか。例えば、オリンピック選考までの曲は「戦場のメリークリスマス」と「マイ・ファニー・バレンタイン」でした。そして、このどちらもスポンサーであるロッテの二つの商戦(クリスマスとバレンタイン・デー)に合わせたものであることは明白です。しかも、ロッテのCMソングを歌うドリカムが当日に会場でコンサートですからね。大半の人が白けたのも無理はありません。
安藤選手の選出が批判されると、電通は息のかかった光文社(『女性自身』)を使って真央ちゃんのイメージダウンを謀ります。しかし、そのことにより余計に安藤選手を見る目が厳しくなったようです。フリーでの安藤選手の新コスチュームは、韓国のチマチョゴリからデザインされたものです。そこまでして韓流を強調するのは、日本代表に対する侮辱でしかなく、国賊的な人の考えることです。ロッテのサイトは掲示板が撤去され、批判の書き込みが出来なくなったようです。見てないので何とも言えないのですが、多分に不買運動の書き込みがあったと考えられます。同じ事は、トヨタや松下にも及ぶ可能性は否定できません。多大な広告料を注ぎ込んだ挙げ句がこの始末ですから、マスメディアによって人をコントロールしようという姑息な人達に少しばかりのお灸となったのではないでしょうか。
さて、このようなドロドロした大人の世界を無視して、真央ちゃんは四回転にトライするようです。真央ちゃんは敏感なので、オリンピックに行けなかった本当の理由も含めて、自分が置かれた状況をよく分かっているはずです。その上で、天真爛漫を演じているのですから本当の大物です。コーチの山田先生が強化本部に叱られると、それを自分の責任のように背負い込んで練習に没頭する。それが真央ちゃんの本当の姿であり、我々はスケートを通してその純粋な魂に触れているに過ぎないのです。
真央ちゃんの演技の美しさは、容姿などの外面的なものだけではなく、魂の高貴さが形を獲得した芸術として意味があるのです。ボリショイのプリマのように、真央ちゃんならば完成した姿で四年後を迎えられるでしょう。唯一の心配は、真央ちゃんがよく聴く浜崎あゆみとSMAP(中居、香取慎吾)が学会系と言われること。善悪を判断できない純粋な人は、それが強みであると同時に、悪魔に誘惑される危険もあるのです。イブが悪魔に誘惑されて、変だなあと首を傾げたのが訝しげ(イブ・カシゲ)の語源ですからね。でも、伊藤みどりさんがしっかりガードしてくれるでしょう。
と書いたら、真央ちゃんの二つ目のCMはコカ・コーラ社です。コカ・コーラの日本支社長は、在日朝鮮人の魚谷雅彦氏とされています。日本の有名人を何が何でも在日に仕立て上げようとする動きがあり、十五代続く村主選手すら在日として宣伝される始末です。もちろん、荒川選手や真央ちゃんは絶好の標的で、自分たちの知らない所で在日にされているかもしれません。コカ・コーラのCM出演依頼は、商品価値としてだけではなく、在日に取り込もうという意思の表れと見た方がよいでしょう。そういう意味で、コカ・コーラ社はよろしくありません。それが、CMでの真央ちゃんのイライラした表情に表れているようです。霊感の強い浄い人は、悪霊が近付くと汚れを感じイライラするのですから。(3.7追加)
浅田真央論~その1、商業主義の解毒剤
浅田真央論~その2、天真爛漫を演ずる大物
浅田真央論~その3、才能の本質
浅田真央論~その4、箱船に乗った姉妹
浅田真央論~その5、疑惑の発端
浅田真央論~その6、暴かれた陰謀(悪魔に包囲された天使)
浅田真央論~その7、世界を照らす鏡
エフライム工房 平御幸(Miyuki.Taira)
http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1091.html
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain5.htm
前回の浅田真央論では、フィギュアスケートを取り巻く胡散臭い関係も取り上げました。しかし、安藤美姫選手がサタニズム(悪魔崇拝)のサインを出しているとしても、それは彼女自身が知らないで行っている可能性は高いのです。
安藤選手は、何かにつけてマスコミの前に登場し自主性をアピールしていますが、実際には意志を持つことが許されない奴隷のような存在ではないでしょうか。例えば、オリンピック選考までの曲は「戦場のメリークリスマス」と「マイ・ファニー・バレンタイン」でした。そして、このどちらもスポンサーであるロッテの二つの商戦(クリスマスとバレンタイン・デー)に合わせたものであることは明白です。しかも、ロッテのCMソングを歌うドリカムが当日に会場でコンサートですからね。大半の人が白けたのも無理はありません。
安藤選手の選出が批判されると、電通は息のかかった光文社(『女性自身』)を使って真央ちゃんのイメージダウンを謀ります。しかし、そのことにより余計に安藤選手を見る目が厳しくなったようです。フリーでの安藤選手の新コスチュームは、韓国のチマチョゴリからデザインされたものです。そこまでして韓流を強調するのは、日本代表に対する侮辱でしかなく、国賊的な人の考えることです。ロッテのサイトは掲示板が撤去され、批判の書き込みが出来なくなったようです。見てないので何とも言えないのですが、多分に不買運動の書き込みがあったと考えられます。同じ事は、トヨタや松下にも及ぶ可能性は否定できません。多大な広告料を注ぎ込んだ挙げ句がこの始末ですから、マスメディアによって人をコントロールしようという姑息な人達に少しばかりのお灸となったのではないでしょうか。
さて、このようなドロドロした大人の世界を無視して、真央ちゃんは四回転にトライするようです。真央ちゃんは敏感なので、オリンピックに行けなかった本当の理由も含めて、自分が置かれた状況をよく分かっているはずです。その上で、天真爛漫を演じているのですから本当の大物です。コーチの山田先生が強化本部に叱られると、それを自分の責任のように背負い込んで練習に没頭する。それが真央ちゃんの本当の姿であり、我々はスケートを通してその純粋な魂に触れているに過ぎないのです。
真央ちゃんの演技の美しさは、容姿などの外面的なものだけではなく、魂の高貴さが形を獲得した芸術として意味があるのです。ボリショイのプリマのように、真央ちゃんならば完成した姿で四年後を迎えられるでしょう。唯一の心配は、真央ちゃんがよく聴く浜崎あゆみとSMAP(中居、香取慎吾)が学会系と言われること。善悪を判断できない純粋な人は、それが強みであると同時に、悪魔に誘惑される危険もあるのです。イブが悪魔に誘惑されて、変だなあと首を傾げたのが訝しげ(イブ・カシゲ)の語源ですからね。でも、伊藤みどりさんがしっかりガードしてくれるでしょう。
と書いたら、真央ちゃんの二つ目のCMはコカ・コーラ社です。コカ・コーラの日本支社長は、在日朝鮮人の魚谷雅彦氏とされています。日本の有名人を何が何でも在日に仕立て上げようとする動きがあり、十五代続く村主選手すら在日として宣伝される始末です。もちろん、荒川選手や真央ちゃんは絶好の標的で、自分たちの知らない所で在日にされているかもしれません。コカ・コーラのCM出演依頼は、商品価値としてだけではなく、在日に取り込もうという意思の表れと見た方がよいでしょう。そういう意味で、コカ・コーラ社はよろしくありません。それが、CMでの真央ちゃんのイライラした表情に表れているようです。霊感の強い浄い人は、悪霊が近付くと汚れを感じイライラするのですから。(3.7追加)
浅田真央論~その1、商業主義の解毒剤
浅田真央論~その2、天真爛漫を演ずる大物
浅田真央論~その3、才能の本質
浅田真央論~その4、箱船に乗った姉妹
浅田真央論~その5、疑惑の発端
浅田真央論~その6、暴かれた陰謀(悪魔に包囲された天使)
浅田真央論~その7、世界を照らす鏡
エフライム工房 平御幸(Miyuki.Taira)
http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1091.html
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain5.htm
巫女がかってるとか、、見て下さる人の為に・とか平和の為に・・とかいう発言をよくするようですが、芸術家特有の我の強さで、自分のことしか考えていないような気がするんですが、、可憐で繊細なイメージがあるので、なんか見ていて変な葛藤を覚えます。
トリノでの荒川静香さんはコメントも立派でした。静香ファンの誇りですよね。でも、NHKには我慢が出来なかったので抗議を綴りました。またご訪問下さい。平御幸
村主さんが真の意味では純粋ではないということで安心致しました。いかにも純粋繊細に見えるのですが、計算高くもあり、人を石ころみたいにしか思ってない芸術肌の知人といつも重なってしまい、私が単に意地悪でそうみてしまうのかと複雑でしたから。(繊細さを賛美する声もオリンピック前はよく聞きましたから)でもあの努力には脱帽です。今は本当にボロボロなのかもしれません。記事を拝読して少し見方が変わりました。よい方向に向かってほしいと思います。
他人を快く思えない時は辛いですよね。でも、嫌なことでも見えないよりは見えている方が良いのです。問題点が見えないと何も解決できないからです。そして、あらゆる困難も予定調和に向かうと信じるのです。
例えば、村主さんの知らない所で村主さんについて語る時、それが噂話ならば何も生まれません。けれど、神が村主さんを導くためにレミさんを使ったのだとしたら、ここのコメントを読んだ日本中の誰かから、回りに回って村主さんに影響を与えるかもしれません。逆に、神が知らない誰かを救うために村主さんが犠牲になっているのかもしれません。いずれにしても、神の思いは一人一人に及んでいるのです。一頭の迷える子羊を探すため、残りの99頭を置き去りにして探しに行くように、村主さんに神の愛の眼差しは注がれているのです。もっとも、これは僕やレミさんに対しても同じですが。
人の凍り付いた心を溶かすのは、心からの関心を持った眼差しだけです。村主さんが、自分を見つめる眼差しに気が付くかどうか。気が付いた時は、自分が本当は幸福であったことにも気が付くでしょう。幸福な人は幸福の輪を広げ、不幸な人は不幸の穴蔵に集う。この小さい日本から、そのような輪が少しでも世界に広がれば良いなと思っています。
確かにそう思います。
苦しい気持ちに批判をされても、意固地になるだけで、それは残酷な事だと思います。
今までの苦しみが同じくらいの喜びになるようにと願います。