元旦に書いた、学生時代に聴いたモーツァルトの交響曲第35番ハフナー。1974年3月18日放送のトスカニーニ指揮をシューリヒトと間違って書いていて、コソーリ修正。シューリヒト盤に遭遇してゲットした読者は、ラッキーだったのか不運だったのか?
同年同月26日放送のオイゲン・ヨッフム指揮はCDが手に入ったので、早速聴いてみて、おそらくこれだろうと判断。当時はモノラルのラジオだったので、迫力満点のバックロードホーンで聴くのと全く印象は異なります。でも、演奏スタイルから間違っていないような。
ハフナー交響曲というと、僕の脳にはワルター指揮の盤がプリンティングされているのですが、ワルターのはちょっと荒くて不満に思っていました。ヨッフムの第二楽章は、力が抜けたと言うか、とても滑らかで繊細です。録音自体は余り良くなく、中低音が強調された、ややボン付いた感じで、低音不足の小型システム向きになっています。
第二楽章はヨッフムの滑らかさ。第三楽章のトリオはワルターの方が美しいですね。一長一短ですが、当時才気にあふれて力んでいた僕には、ヨッフムの演奏のほうが向いていると神様は判断されたのでしょう。ちなみに、前に紹介したボスコフスキー指揮のハフナーセレナーデは、白亜のマルスを描く数カ月前に録音されたものでした。
力を抜くというのは、芸大の体育の時間にコンニャク体操で教わっていたのですが、それを絵の中で実践するのは難しいことでした。右から見ると怒った顔。左から見ると笑っている顔。このような不思議な絵は、モーツァルトの音楽という霊感の光の中で生まれたのです。時間がなくて、コスチュームは目の前のトックリのセーターで誤魔化しという黒歴史もありますが、この絵が友人に刺激を与えてレオナルドの模写をやらせたのです。
35年前の写真なので色が抜け落ちているけど、オリジナルは肌色がリアル
ということで、今回のヨッフムほかはSNSの方で希望者に分けています。お金のある人は日本の経済に貢献するためにCDを買うのは良いことです。しかし、絶版で手に入らないものは、コピーして聴いてもらうしかありません。貴重なCDが復刻されるように、みんながもっと音楽に関心を持つ世の中になって欲しいと願っています。次回は、ハフナーセレナーデの美しさの我的分析にしようかな。
SNS連絡事項 精霊の踊りの演奏者がシュルツではなくてラリューだったので、申し込んだ人は再確認よろしく。
エフライム工房 平御幸
同年同月26日放送のオイゲン・ヨッフム指揮はCDが手に入ったので、早速聴いてみて、おそらくこれだろうと判断。当時はモノラルのラジオだったので、迫力満点のバックロードホーンで聴くのと全く印象は異なります。でも、演奏スタイルから間違っていないような。
ハフナー交響曲というと、僕の脳にはワルター指揮の盤がプリンティングされているのですが、ワルターのはちょっと荒くて不満に思っていました。ヨッフムの第二楽章は、力が抜けたと言うか、とても滑らかで繊細です。録音自体は余り良くなく、中低音が強調された、ややボン付いた感じで、低音不足の小型システム向きになっています。
第二楽章はヨッフムの滑らかさ。第三楽章のトリオはワルターの方が美しいですね。一長一短ですが、当時才気にあふれて力んでいた僕には、ヨッフムの演奏のほうが向いていると神様は判断されたのでしょう。ちなみに、前に紹介したボスコフスキー指揮のハフナーセレナーデは、白亜のマルスを描く数カ月前に録音されたものでした。
力を抜くというのは、芸大の体育の時間にコンニャク体操で教わっていたのですが、それを絵の中で実践するのは難しいことでした。右から見ると怒った顔。左から見ると笑っている顔。このような不思議な絵は、モーツァルトの音楽という霊感の光の中で生まれたのです。時間がなくて、コスチュームは目の前のトックリのセーターで誤魔化しという黒歴史もありますが、この絵が友人に刺激を与えてレオナルドの模写をやらせたのです。
35年前の写真なので色が抜け落ちているけど、オリジナルは肌色がリアル
ということで、今回のヨッフムほかはSNSの方で希望者に分けています。お金のある人は日本の経済に貢献するためにCDを買うのは良いことです。しかし、絶版で手に入らないものは、コピーして聴いてもらうしかありません。貴重なCDが復刻されるように、みんながもっと音楽に関心を持つ世の中になって欲しいと願っています。次回は、ハフナーセレナーデの美しさの我的分析にしようかな。
SNS連絡事項 精霊の踊りの演奏者がシュルツではなくてラリューだったので、申し込んだ人は再確認よろしく。
エフライム工房 平御幸