今回の旅行で、青森県の西の漁港として知られる、深浦の読者が熱心に案内してくれました。太宰治が『津軽』を書くために取材に訪れた深浦ですが、太宰が泊まった旅館が「ぶんがく館」として改装され、太宰が汚い部屋と書いた一室も保存され、部屋の窓からは深浦の海も見えます。
今回案内してくれたのは、「ぶんがく館」の児童向けコーナーを仕事場にしている方ですが、「斜陽館」と呼ばれる、太宰が育った金木の生家から案内してくれました。金木へ行くには、弘前から五所川原へ向かい、五所川原で津軽鉄道の「走れメロス」号に乗り換える事になります。一両編成なのに、ちゃんとガイドさんが乗車している力の入れようです。
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太宰の生家である津島家は資産家であり、また議員を輩出する名家にふさわしく、斜陽館の作りや調度は金がかかっていて、太宰が育ちがよいと評価される理由がよく分かります。しかし、太宰の文章を育んだかと言えば、それはちょっと疑問です。
太宰は文体で読ませる作家であり、簡潔で語彙が豊富、深い陰がありながら、それでいてユーモアもあるという、独特の表現力を持っています。けれど、これは地元の津軽弁の特徴ではありません。むしろ、物や情景を表現するには難しい津軽弁の欠点を補うために、標準語による文体が彼の中で求められたのではないか?宮沢賢治の花巻弁による創作とは対極にある、何を書いても下品にならない、やはり育ちの良い作風なのです。
深浦の旅館は、太宰の生家と比べれば、それは汚い部屋しかありません。悪気ではなく、寂寥とした深浦に来て、感じたままに書いたのでしょう。深浦についての太宰の文章は、観光地のパンフレットにそのまま使える、実に簡潔で説明が行き届いた描写になっています。カメラ目線と時間軸で構成されるプロローグは、実は僕が最も苦手とするものでもあるので、太宰の文体は教科書的にさえ見えます。
僕は雨に濡れる事はほとんど無いと以前に書きましたが、この日は最初からの雨模様が、五所川原の立佞武多(たちねぷた)館を出るときは本降りになってきました。急いでタクシーを捕まえて五所川原駅に戻り、喫茶店で一服していると目が痛くなって目を洗いました。この間に、案内してくれた方が、前もって買っておいた深浦までの特急券の発券間違いに気が付きました。神様が「早く気が付け」と雨を降らしてくださったのです。目を洗うは、よく見ろという事だったのです。
あいにく、岩木山は見られませんでしたが、太宰は青春だと宣(のたま)う弟子には、「走れメロス号」のキーホルダーみたいなのを土産に買い、深浦の旅館で普段食べ慣れないものを食べて熟睡。昨晩の青森では一時間しか眠れなかったのとは大違い。やはり、バランスの良い食事が睡眠に必要みたいですね。
エフライム工房 平御幸
今回案内してくれたのは、「ぶんがく館」の児童向けコーナーを仕事場にしている方ですが、「斜陽館」と呼ばれる、太宰が育った金木の生家から案内してくれました。金木へ行くには、弘前から五所川原へ向かい、五所川原で津軽鉄道の「走れメロス」号に乗り換える事になります。一両編成なのに、ちゃんとガイドさんが乗車している力の入れようです。
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太宰の生家である津島家は資産家であり、また議員を輩出する名家にふさわしく、斜陽館の作りや調度は金がかかっていて、太宰が育ちがよいと評価される理由がよく分かります。しかし、太宰の文章を育んだかと言えば、それはちょっと疑問です。
太宰は文体で読ませる作家であり、簡潔で語彙が豊富、深い陰がありながら、それでいてユーモアもあるという、独特の表現力を持っています。けれど、これは地元の津軽弁の特徴ではありません。むしろ、物や情景を表現するには難しい津軽弁の欠点を補うために、標準語による文体が彼の中で求められたのではないか?宮沢賢治の花巻弁による創作とは対極にある、何を書いても下品にならない、やはり育ちの良い作風なのです。
深浦の旅館は、太宰の生家と比べれば、それは汚い部屋しかありません。悪気ではなく、寂寥とした深浦に来て、感じたままに書いたのでしょう。深浦についての太宰の文章は、観光地のパンフレットにそのまま使える、実に簡潔で説明が行き届いた描写になっています。カメラ目線と時間軸で構成されるプロローグは、実は僕が最も苦手とするものでもあるので、太宰の文体は教科書的にさえ見えます。
僕は雨に濡れる事はほとんど無いと以前に書きましたが、この日は最初からの雨模様が、五所川原の立佞武多(たちねぷた)館を出るときは本降りになってきました。急いでタクシーを捕まえて五所川原駅に戻り、喫茶店で一服していると目が痛くなって目を洗いました。この間に、案内してくれた方が、前もって買っておいた深浦までの特急券の発券間違いに気が付きました。神様が「早く気が付け」と雨を降らしてくださったのです。目を洗うは、よく見ろという事だったのです。
あいにく、岩木山は見られませんでしたが、太宰は青春だと宣(のたま)う弟子には、「走れメロス号」のキーホルダーみたいなのを土産に買い、深浦の旅館で普段食べ慣れないものを食べて熟睡。昨晩の青森では一時間しか眠れなかったのとは大違い。やはり、バランスの良い食事が睡眠に必要みたいですね。
エフライム工房 平御幸
「じゃっぱ汁」は出なかったと思いますが、北海道のものと思っていたちゃんちゃん焼きが出ました。カニは水っぽくてイマイチ。シーズンオフですから仕方ないですね。
全体的に料理の数と量が多くて、半分食べたらお腹いっぱいです。ぶんがく館に、太宰が食べたと思われる、兜焼きなどの食品サンプルが展示されていましたが、僕はこちらの豪快な方が好みです。
岩木山が見られなかったのは、もう一度来いということなのだと思います。詳しくはそのうち書きますが、青森はキースポットかもしれません。
県外の人には出してしまう所があるんですよねおいしいものはほかにもありますから誤解なさらないかと心配でございます。
無事な旅行をお祈りしております。