平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

クイズの答え 本当の12使徒とは

2017-02-05 17:25:00 | 古代史と聖書
今回の問題は、『トマス福音書』と『マリアによる福音書』をどう読むかという命題と同じです。

『トマス福音書』114

シモン・ペテロが彼らに言った。「マリハムはわたしたちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである」。イエスは言われた。「見よ、私は彼女を天の国へ導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天の国に入るであろうから」

『マリアによる福音書』10

アンデレが答えて兄弟たちと姉妹たちに話しかけた、「彼女が語った事柄について、あなたがたに言いたいことがあれば、言うがよい。わたしに関する限り、救済者がこのようなことを言ったとは信じられない。これらの教えはなじみのない考え方である」

ペトロが答えて、同じような懸念を持ち出した。彼は救済者について彼らに尋ねた、「あの方がわたしたちには隠れて内密に女と話したのか。わたしたちのほうが向きを変えて、彼女に聴くことになるのか。あの方は、わたしたちをとびこえて彼女を選んだのか」

レビが答えて、ペトロに言った、「ペトロよ、あなたは前々から怒りっぽい人だ。いまわたしには、あなたはまるで敵対者にたいするようにこの女性に議論をしかけている。もし救済者が彼女を価値ある人としたのであれば、彼女を拒否するあなたはいったい何者なのか


ここに書かれていることは、バチカンの地下に眠るとされるペテロの、強烈な女性蔑視と、マリアに対する嫉妬心と憎悪です。ペテロと同じく、ペテロの兄弟とされるアンデレもまた、マリアをよく思っていない。そして、マタイと呼ばれた祭司レビ人がマリアを弁護しています。ここが肝心。

マグダラのマリアは日本の神話で天鈿女命(アメノウズメノミコト)として描かれています。アマテラスから猿田彦に応対するように命じられます。猿は祭司の暗喩なので、この猿田彦が祭司レビのマタイ。そして、天鈿女命は猿女君(さるめのきみ)と呼ばれるようになります。この子孫に、古事記を暗誦した稗田阿礼(ひえだのあれ)がいて、飛鳥氏が書いているように、稗田阿礼は女祭司です。

このように、マタイとマグダラのマリアはペテロたちと決別し、オリジナルの東方教会=エルサレム教団を設立して、後継者は日本までやって来ました。あるいは、マリアたちも長寿で、日本に来る時に生きていたかもしれませんが。

聖書は些細な記述に本当の価値があります。例えば、イエスがローマに渡されたから、キリスト教が西方教会から生まれることになった。同じように、イエスが捕まった時に、ペテロは三度も「イエスを知らない」と言ったことが重大。この言葉で、イエスとペテロは無関係となったのです。要するに、イエスはペテロに神権を委ねず、マリアとマタイの方に神権を与えた。だから、ペテロは絶望し、イエスに逆らう死の樹の十字架を背負う決心をした。地獄に落ちたから、自ら逆さ十字架刑を望んだわけです。


ペテロの殉教 Filippino Lippi 
サンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂(Santa Maria del Carmine, Florence)ブランカッチ礼拝堂(Brancacci Chapel)
生命の樹であるイエス磔刑の鏡写しではなく、点対称なので死の樹となる


ペテロに対して「彼女を拒否するあなたはいったい何者なのか」というマタイの言葉は、「あなた=ペテロは悪魔である」と言っているに等しいのです。これが、カソリックが聖書外典を認めない理由でもあります。

バチカンやカソリックが魔女狩したのも、このペテロによるマリア憎しの背景があるからです。マリアは当然ながら霊能力も備えていたはず。だから、ペテロの教会であるカソリックは、徹底的に霊能力のある女を魔女と誹謗して殺したわけです。

ペテロは自らの罪を知り、逆さ十字架にかかることで、悪魔の教会の礎となった。逆さ十字架とは死の樹の事。兄弟のアンデレもまたX字の十字架に架けられ、東ローマ帝国(トルコのコンスタンティノープル)の正教会(ギリシャ正教)の礎となった。こうして、マリアに逆らった二人の兄弟が、西のバチカンと東のコンスタンティノープルの礎となり、その死の樹の世界を支配と戦争と混乱で苦しめてきました。ロシアもギリシャ正教の流れだから、根底にあるのは戦争の残虐さです。

本当の東方教会=エルサレム教団であるマリアとマタイの国とされる日本。イエスが「私が彼女を男性にする」という意味は、女にも神権を与えるという事です。プロテスタントのアメリカで生まれたモルモン教も女性への神権は認めておらず、その夫を通してしか神権を行使できないので、出来るだけ教会の地位の高い男を手に入れようと姉妹(女性会員)はやっきになる。モルモンの結婚している女は、結構ドロドロとした人が多い。結婚する前の何%かは良いのですが (;´Д`)

僕は何度も、次の世界は女性原理の世界になると書いてきました。これは、女性の神権を認めるという意味でもあります。女性は男性と本当の意味で同等となり、女だからと蔑まれることはなくなります。女性と男性は協力して一つの世界を創る。これが元始まりのアダムとイブの再来となる。現在、女性への神権を与える教会はなく、今のところ僕しかイエスの代理にならないのかもしれません。

僕のエフライム工房のSNSは圧倒的に女性が多く、イエスの弟子たちの構成と正反対になっています。エフライム工房はイエスの鏡の世界だから、男女比率が逆になるわけですが、ここから、イエスの時代にも女性の弟子と使徒がいたと分かるのです。

正しい12使徒は、ペテロが抜けてマグダラのマリアが入った構図。レオナルド・ダ・ヴィンチはマリアの重要性を知り、マリアをヨハネに多重的に投影しました。それが最後の晩餐でヨハネが女性的に描かれている理由です。でも、突き詰めるなら、ペテロを外すべきでした。もっとも、そんなことしたら即座にバチカンの手によって抹殺されていたでしょうけど。

イエスが言う「あとの者は先になり、先の者はあとになる(マタイによる福音書20-16)」という言葉は、最初の弟子であるペテロとアンデレに向けたものなのです。当の本人たちは、死んでも気が付かなかったかもしれませんが、イエスは全て見通していた。だから、西方教会のために書かれた、使徒行伝などは読んでいても面白く無いでしょう。実を言うと、僕は使徒行伝や手紙の大半を読んでいないのです。さっさと黙示録に ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

なお、マグダラのマリアの別名はサロメ。これがサルメとして『記紀』に描かれているのです。クイズの答えが出なかった人は反省コメントを書くように (;^ω^)

参考1 バチカンのペテロの墓
潜入調査! バチカン市国の秘密 前編
https://www.youtube.com/watch?v=JTXa5VG9sP8#t=19m30s


ペテロの墓からは骨も発見されている
このバチカン関係者はやぶにらみに尖った悪魔の耳
どこから見てもサタンの眷属です


参考2 神道は女性の神権を認めている (^_^)

太宰府天満宮、16年ぶりに女性の神職が誕生

     平御幸(Miyuki.Taira)
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クイズ 本当の12使徒とは

2017-02-03 05:51:57 | 古代史と聖書
 日曜のきさらぎ賞はサトのアーサーが注目の的。昨年のサトノダイヤモンドに肩を並べられるかの試金石となります。競馬ブックの馬体診断でも飛び抜けて良い馬体をしています。できればサトノダイヤモンドを凌駕するパフォーマンスを見せて欲しいところ (;・∀・)

 さて、コメントで予告したように、週末はクイズに答えてもらいます (;^ω^)

 AAを交えて書いていますが、本当は禁断のテーマです。狂信的なカソリックやプロテスタントの関係者に殺されるかもしれない、あるいは権力を使って僕を社会的に抹殺するかもしれないという、発表するには勇気のいる内容です。

 カソリックもプロテスタントも、新約聖書をそのまま用いるという点では同じです。しかし、新約聖書は325年の第1ニカイア公会議などを経て成立したもので、公会議で抹殺された聖典が数多く存在します。それを聖書外典と言いますが、地球亜空間に存在するアルザル(アルサァレト)も、『第4エズラ書』の第13章40~47にのみ記されているように、なかなか馬鹿には出来ない内容が含まれます。

 公会議で選ばれた聖典は、いわばカソリックに都合の良いものです。また、福音書などの成立に関しても疑問が多く提示され、現在では福音書のネタ本Q資料があったという見方も出てきています。例えば、マルコによる福音書は、それ以前の『トマス福音書』(これも外典)のイエスの語録集から採られているとされます。トマス福音書は、1945年にエジプトで発見された『ナグ・ハマディ写本』の一つです→日本語訳。近代になってこんなものが見つかるとは裏に何かありそうですけど (^_^;)

 このような聖書外典の一つに、マグダラのマリアを中心とした『マリアによる福音書』というものもあります。こちらは19世紀には、同じくエジプトで発見されていたのですが、公開は1955年と隠されてきました。隠さなければならない内容が満載だからです→日本語訳

 今回のクイズは、『トマス福音書』と『マリアによる福音書』の二点から推理してもらいます。カソリックもプロテスタントもイエスの12使徒を聖人として崇めていますが、実はイエスが選んだ本当の12人は定説とは違うのです。

 もっとも、福音書自体の読み方からも12使徒は様々なパターンがありますが、基本的にレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐に出てくる12人を想定して、ここから、イスカリオテのユダ以外に、もう一人抜けて一人が新たに入る真12使徒を考えてもらいます。要するに、ユダ以外の11人から抜けるのは誰で、入るのは誰なのかという問題 Σ(・∀・|||)

参考 最後の晩餐の人物配置 左から(wikiより)
解答編では、ヨハネが女に見える謎も解明しています



バル・トロマイ - テーブルの左端
小ヤコブ - イエスと容貌が似ていたとされる使徒
アンデレ - 両手を胸のあたりに上げ、驚きのポーズを示す。
イスカリオテのユダ - イエスを裏切った
ペトロ - 身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに何か耳打ちしている。
ヨハネ - 十二使徒のうちもっとも年少
イエス
トマス - 大ヤコブの背後から顔を出して
大ヤコブ - 両手を広げ大袈裟な身振りをしている。
フィリポ - 両手を胸にあて、イエスに訴えかけるような動作。
マタイ - テーブル右端のマタイ、タダイ、シモンの3名は互いに顔を見合わせている。
タダイ
シモン

どうでも良いヒント1 (; ・`д・´)

 『ヨハネの黙示録』6章-6
「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」

 雑学ですが、ギリシャ語でワインはクラシ(κρασί)。これが暮らしが良くなるの語源だと思います。ワインがたくさんある家は裕福という意味。また、( ゚Д゚)アライヤダ!!のアラもギリシャ語のアラ(αλλά 意味は、しかし)からと思われます (・_・;)

ヒント2 (; ・`д・´)

 イエスは、ユダの裏切りを預言しましたが、もう一人の裏切り者がいたのです。イエスはその裏切り者に神権を委ねなかった。その人物は、新約聖書に些細な記述でちゃんと書かれています。抜ける人物と入る人物の特定は簡単だと思うので、その些細な記述を見つけられるかどうかという問題でもあります。回答期限は日曜の22時まで (;^ω^)

おまけ
この前の5555と並んだコメント投稿の番号



     平御幸(Miyuki.Taira)
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その時代の教会

2017-02-01 18:04:13 | 古代史と聖書
 時々、読者から質問が寄せられますが、基本的にはコメントで書くようにと答えています。自分だけの問題としているエゴイズムがそもそも間違っているからです。自分の外に目を向けていれば、他の人にも有益になる問題は公開すべきと分かります。だから、皆にコメントしろと口うるさく指導しているわけです。何年たっても、ここが全く理解されていない orz

 今回は特別に、このような人間としての基本ができていない迷える羊、あるいは既成の教会に属していて証しのない人に向けて書いてみます。

 多くの人は誤解していますが、キリスト教でも仏教でも絶対性はなく、どこの教えも成立時の時代精神によって限定されています。「限定=不足がある」のです。幕末期の天理教やモルモン教も同じです。それは当然で、今の時代精神や知識を持って150年前に布教しても、誰一人として理解できるはずがない。貧農には貧農への教え、開拓者には開拓者への教えが必要だった。それが時代精神。

 逆に言えば、成立時の古い教えほど、現在から見れば陳腐化するのも必然。カソリックの魔女狩りや学者の弾圧もしかり。中世にはすでに陳腐化していた証拠です。ではプロテスタントはどうかといえば、これも同じく陳腐化しています。時代精神はそれほどまでに影響力があるのです。だから、僕が語ることもやがて陳腐化する時が来るかもしれない。畳と花嫁と教えは新しいほうが良いという格言も出来るかもしれない。

 では、新しい教えなら良いのかといえば、それもカルトなら良い訳がありません。さまよえる子羊を量産するだけになります。

 僕は何者なのか?よく質問されます。ひと目で他人と違う何かを発散しているからだと思います。世界の誰もが知らない神からの知識(奥義)にも触れることがある。でも、僕の本分は本質を見抜く目にあると思っています。だから詐欺的に騙されたことがない。僕を騙すことの出来るのは無邪気な子供です。

 もちろん、本質を見抜く目は素質も大切ですが、素質の上に経験則で培われます。いろいろな体験があって、はじめて気がつくことも多いですから。その僕が、様々な宗教や教会を見ていて、あるいは中に入ってみて、これは全て正しいというものがなかった。ある教会は聖典の1つが教祖の落書きレベルだった。まあ、その落書きを信じている人には何も言いませんが、少なくとも僕には受け入れ難いものだった。それが、僕がこのように行動している理由です。

 僕がやっている事は、既成の宗教団体に入っている人の信仰心を破壊するかもしれません。それは仕方ない。僕から見て陳腐な教えは崩壊するのが当然だからです。でも僕は、一部カルトを除いて、積極的に他の教えを攻撃する事はありません。なぜなら、どこの教会に属すかは、その人の霊格で決まると思っているからです。今の時代にあって新しい教えを受け入れられない人は、仮にイエスの時代に生きていても、新しい教えを説くイエスに従うことの出来なかった人です。

 さまよえる魂。迷える子羊。証しのない人。そのような人が僕に出会い、自分には何か足りないと気がつく。でも、何が足りないかは分からないから苦悶する。神を求めても神が答えてくださらない心境と同じになります。最後には、自分が天国を目指しているのか地獄を目指しているのかさえ分からなくなります。

このような迷いに対する答えの1つが、試みのミカエルの制作です。小さい手に乗るようなスピーカーは誰にでも作れる単純さを持っています。しかし、作る資格のない人は何ヶ月かかっても完成しません。サタンが作ることを邪魔するからです。あるいは、僕の絵を見て畏れる人も同じ。霊格の高い人は美しいと見るけど、霊格の低い人は畏れてしまう。神が人を選別するツールが、僕が設計したスピーカーや、僕が描いた絵なのです。

 だから、どうしたら良いか迷っている人は次に書くことを実践することです。それが神の目に叶うから。

1. 僕の活動に寄与する(人それぞれの方法で)
2. 試みのミカエルを作って、自分を試してみる
3. 僕の絵を飾ってみる。嫌な人や霊格の低い人が来なくなりますけど (^_^;)

 1については、自分の能力(社会的立場や語学力や経済力も含む)を神に奉仕することにもつながります。

 2は、純粋に自分を試すことで、必要な材料は実費で提供します。板の値段が高騰しても1万円を超えないはず。製作マニュアルは公開しているので、ハンダ付けを少し練習すれば難しいことはありません。神経は必要です (・・;

 3は、この世に一枚しかない肉筆画は無理なので、複製画で提供しています。どうしても肉筆画が欲しい人は、制作にかかる日、月数分の費用は見込まなくてはなりません。だから僕は絵を売らないし、プレゼントや回覧をしているのです。とは言っても、今あるのはコスモスのハガキ大だけです。額縁のほうが高い (;´Д`)

 僕のエフライム工房SNSは、あくまでも実践の場。そういう意味では教会と同じですが、メンバーは各地に離散しているので、年に二回程度しか集まる機会がないのが歯がゆい所。参加は申し込みだけで、運営費に月1000円を惜しむ人は入れません。会計はキチンとしていますが、試聴会などのイベントは会計が大変そうです。そのうち、エフライム工房の口座はオープンにする予定ですが、そうすれば会計の能力が追いつかなくおそれが (=o=;)

 ということで、さまよえる魂、迷える子羊、証しのない人、などは、「迷える羊は山羊=サタンになる」という僕の格言を地で行っているわけで、生命の樹ではなく、死の樹の路をウロウロしているのです。行動の伴わない信仰は欺瞞。偽善者は自分のために神を利用する。あなたの教会は本当に正しく、過去に過ちを犯したことはなかったのか?過ちを犯した教会に属す自分を心から認められるのか?神は導くけど強制はしないので、自分で道を決めるしかないのです。それが絶対自由なのだから。

     平御幸(Miyuki.Taira)
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