封建道徳という時代の制約の下にありながらも、その道徳(旧き契約)を突きぬけるような死生観が西郷の言葉と実践の中にある。それは「最も偉大なる、おそらくは最後のサムライ」の死として過去のものになったとはいえ、完全に姿を消したわけではない。それは、基督者である内村自身の中に、明治という新しい時代の日本の基督者としての内村自身の中にも、その「最後のサムライ」の精神が、かたちを新たにして生きているーそういう印象を受ける。
内村が引用している西郷の詩文に次のようなものがある。(内村の英訳を付する)
一貫唯唯諾す Only one way, "Yea and Nay";
従来鉄石の肝 Heart ever of steel and iron.
貧居傑士を生じ Poverty makes great men;
勲業多難に顕わる Deeds are born in distress,
雪に耐えて梅花麗しく Through snow, plums are white,
霜を経て楓葉丹し Through frosts, maples are red;
もしよく天意を識らば If but Heaven's will be known,
あに敢えて自ら安きを謀らん Who shall seek slothful ease!
地古く、山高く Land high, reccesses deep
夜よりも静かなり Quietness is that of night
人語を聞かず I hear not human voice,
ただ天を看るのみ But look only at the skies
この詩文の最後の二節は、その前の詩文の、「もしよく天意を識らば、あに敢えて自ら安きを謀らん」と呼応している。それは、単に山に籠もって自然に親しむと云うだけでなく、世俗の人の声を離れて、唯天を仰いで、神の声を聞くという意味に、内村は解釈していたと思う。それは、この著作を書いた当時の内村自身の心境でもあったろう。