歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

武士道とキリスト教 4

2007-01-29 |  宗教 Religion

二 武士道という「旧約」

 内村鑑三の自伝「余は如何にして基督者となりしか」に、札幌農学校に入学してすぐに「イエスを信じるものの契約」に署名したころの記述がある。 今日の我々にとっていささか不思議に思われるのは、キリスト教については殆ど何も知らなかった少年達が、なぜかくも短期間に「イエスを信じるものの契約」に署名し、その後、受洗して信者となっただけでなく、伝道者となったのは何故かということである。この「新しき契約」は、「少年よ大志を抱け」という言葉を残して帰米したクラークの起草したものであったが、それは次のような文で始まる「契約」であった。

以下に署名する札幌農学校の学徒は、キリストの命に従い、彼への信仰を宣言し、キリスト者のすべての義務を至誠を以て果たすことを願う。それは、十字架の死を以て我等の罪を贖われた尊き救主にたいする我等の愛と感謝を表すためである。我等はまた、キリストの王国を人々の間に推進し、キリストが代わりに死に給ふた人々の救済を促進するために、今より以後、神とともに、また我等相互に、厳粛なる契約を結ぶ。我等はキリストの忠実な弟子となり、その教えの文字と精神に厳格に従って生活し、適切な機会が与えられるときはいつでも、試問と洗礼を受けて福音教会に入ることを約束する。

 このあと、キリスト教の基本的教理と、モーゼの十戒に対する信仰が宣言されているが、内村がこれに署名したのは、上級生に強制されたからであって、決して自発的な意志ないし、内的な欲求によってではなかったと、内村が回顧しているところが面白い。内村は決して好きこのんでキリスト教徒になったのではなかったのである。この「イエスを信じるものの契約」に署名したとき、内村は、まだ一六歳であり、新渡戸はさらに年少であった。彼等は、言うなれば、札幌農学校の「恩師」クラークに敬意を払うべしという上級生達の圧力に屈したのであるが、それだけでなく、当時の札幌農学校の学生達の間には、西洋文明の実用的な結果だけではなく、その根底を成す精神に他ならぬキリスト教をこれから学ぶべきであるという思いが有ったものと思われる。

 もっとも、札幌農学校の内村の同期生はすべてこの文書に署名させられたとはいえ、実際に洗礼を受けてキリスト者になったのは一部であった。つまり署名は単なる入学時の通過儀礼という側面もあったのであろう。しかし、内村にとっては、この文書に署名したと云うことは決定的な意味を持っていた。彼は、一八歳で洗礼を受けたのであるが、そのときに次のような言葉を日記に記している。

ルビコン川はこうして永久に渡られた。われわれは新しい主人たるキリストに忠誠を誓い、われわれのひたいには十字架のしるしが刻まれた。いざこの後は、地上の主君のために教えられてきた忠誠の念を以てキリストに仕え、王国また王国と征服しながら進んでいこう。  
   地のいやはてに住む民もメシアの聖名を学ぶまで
ひとたび回心して信者となったわれわれは、こうしてさらに伝道者となったのである。しかしそのためにはまず何よりも教会を作らねばならぬ。

この日記を書いている内村にとって、受洗は自らの決断である。彼は、自己の私的願望に従う信仰ではなく、私心を離れて、世のため人のために、キリストを新しき「主」として、その忠誠の対象とすると生き方を自ら選択したのである。つまり、内村の場合は、キリスト教徒になるということは、キリストと主従関係の契約を結ぶことであったといってよいだろう。それは文字どおり新しい契約であったのであるが、注目すべき事は、新渡戸にせよ内村にせよ、自分たちは、キリスト者になる以前に、天地の創造主である「主」と、旧き契約をむすんでいたと考えていたことである。そのように考えることがいかにして可能となったのか。それを次に考察しよう。

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