拙宅の近くにある「聖グレゴリオの家」で例年おこなわれる復活徹夜祭では、夜明前の闇の中で、屋外で熾された焚火から司祭の採取した「火の祝福」があり、その「火」を大きな蠟燭に点し「蠟燭の祝福」をおこなった後で、大勢の参列者に次々と灯火を伝えて、御堂に入場します。私は、復活祭の「火の祝福」に最初に参列したときに、若き日のシラーが「歓喜の歌」の詩の最初に「Freude, schöner Götterfunken」と呼びかけた時、「Götterfunken(神の火花)」という言葉に託した宇宙的な情熱に思いを馳せないわけにはいきませんでした。
この祝福された「火の情熱」が宇宙に内在する純一なる「光」を目覚めさせ、蠟燭に点された灯を、一人から一人へと、次々と伝える「伝燈」の儀式となります。それが「夜明けの太陽」が昇る直前におこなわれる「荘厳ミサ」の始まりを告げているのでしょう。
ベートーベンの第九交響曲が日本では歳末におこなわれるのが慣例となっていますが、もともと復活祭は、暗黒から光明への劇的転換によって「新たな時の開始」を喜ぶ祝祭だったことを思えば、第九を大晦日に聴いてから新年を迎えることにも「隠れたる」キリスト教的な意味があったといえるかもしれません。
今年は、新型コロナ肺炎の予防のために復活祭はどの国でも直接に信徒が集まって挙行できませんでしたが、Youtube にバチカンでおこなわれた復活徹夜祭の中継が録画されていましたので、冒頭の「火の祝福」と「蠟燭の祝福」のラテン語典礼を視聴できます。
「蠟燭の祝福」では、グレゴリオ聖歌で
Christus heri et hódie,(キリストは昨日にして今日)
Princípium et Finis, (始原にして終極)
Αlpha et Omega, (アルファにしてオメガ)
Ipsíus sunt témpora et sǽcula(時も永遠もキリストにあり)
と朗詠されます。