元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

経営管理の目的・目標・計画と政府のGOTOトラベル政策との対比について

2020-12-20 10:53:20 | 社会保険労務士
  2020年12月20日時点(政府のGOTOトラベルの全国一時停止発表12/14の約1週間後)に於いて
 分科会の位置付けの不明確さ・総理の会食の誤ったメッセージ・今の現状ではなく先を見据えた対策を

 経営管理において、会社の方針・施策は重要ですが、これはまず目的(最終的に到達すべき点⇒成し遂げたい内容)があって、その目的の下に、目標(その目的の達成水準)を決め、方針・いつまでにどうやってという計画を作っていく。この手順で経営は成り立っているといえる。ここで、目的と目標の違いは、何を頑張るのかという進むべき方向・スローガン的なものを示すのが目的であり、目標は、どこまでかんばるのかという具体的な達成基準を示すのが目標である。そして、そのもとに、方針を示し、具体的に計画を立てて、適宜・適切にスピーディに実行していくのが経営の基本である。  
  ※かって人事管理研修に携わった者として、以下のごとく政府のコロナ対策について,経営管理の基本的な手順に沿って考察してみることとした。

 これとの対比を考えたとき、現在の政府のコロナ対策はどうだろうか。目的は、菅総理の師と仰いだ梶山静六元官房長官の「国民の食い扶持(ぶち)をつくるのが仕事」だったはずである、そのため、GOTOトラベルを感染が収束しないまま早めにスタートしたのであり、感染が拡大しても全く同トラベルにはほとんど手を付けなかったのであろう。しかし、毎日新聞の世論調査の不支持が支持を上回った時点で即座に方針を転換して、GOTOトラベル(以下、[GOTO]とのみ記す)の一時停止しかも全国一律の停止になった。菅総理の頭の中は、初めの目的である、国民の生活の保障ではなく、やはりもともと頭にあった「国民の支持率」にあったのかと疑わざるを得ない。
  ※ 新型コロナウイルス感染症対策分科会(以下「分科会」と記す。)が「感染拡大地域」の往来の停止を提案したのだが、そのときよりもすでに感染拡大は増大しつづけそれよりも踏み込んだGOTOの「全国停止」にしたことには、仕方がないと言わざるをえないが、判断が遅すぎた。早めにGOTO停止にすれば一部分の停止で済み、経済的(医療追加支援の必要増を含む)・社会的な打撃・混乱は逆に防げたはず。

 次に目標であるが、コロナ対策をしながら、同時に経済を動かす(失業・生活困窮による自殺の防止)という難題(総理の言い方を借りれば、総理の前述の「目的」は、「国民の命と暮らしを守る」ということだろう。)が求められた。そのため、政府は、第1・2波のコロナ専門家会議(医療専門家だけの集団)を解体して、医療の専門家だけではない経済の専門家をも置いた分科会を置き、これら専門家の意見を踏まえながら、政策・方針を決定していくということだったはずである。つまり、政治家は経済・医療の専門家でないために、分科会の意見を踏まえて政策に反映していくという枠組みを作り、これが基本の政策手順だったはずである。1波・2波のコロナ感染があったときに、専門家会議が医療の専門家だけであったために、医療の視点だけからの意見を聞いたということで批判されたために、経済の専門家を入れたのである。それであれば、その経済の専門家を含めた分科会の提言・意見を即座に素直に聞いていくのが筋であろう。ところが、GOTOに関しては、北海道・大阪については、遅ればせながらGOTOの一時停止等を決めたが、東京については、さらに遅れてしかも高齢者のみの停止となったのである。分科会会長は、早くから、感染拡大地域について、すでにGOTOを含め人の移動制限について言及していたにも関わらず、政府は分科会の意見を無視(あるいは自分の都合のいい部分のみを対策として取り入れ)続けた。早めに分科会の意見を受け入れていれば、全国一律のGOTO停止に至らなかったのではないか。   

 また、分科会の意見の5人以上の会食を避けることについても、西村経済再生大臣がそれを政府の方針としたにも関わらず、8人の会食を総理が行い、誤ったメッセージを伝えたのである。しかも、西村大臣は、これを擁護し、ダメとはいっていないと言った。これでは、政府の方針はガタガタである。 
 ※ 総理に誰も「諫言」しなかったのかと不思議に思う。諫言できる側近がいなかった(いなくなった)のか?諫言の必要性については、「参謀」「補佐役」の役割で言及したところでもあるが、その重要性については、言うまでもない。

 総じて、政府の専門家集団である分科会の位置付けが分からず、政策・方針に関与していくという部分で全く機能していない。これでは、分科会そのものの存在意義が問われる。  
 ※ 余談だが、西村大臣が、1・2波のころの専門家会議から現在の分科会への移行を行った際に、ゴタゴタがあり何かしらの不安を私は感じていたが・・・。そもそも分科会とはなんぞや、下の組織かと言いたくなる。

 さて、最後は計画性である。これは、よくも悪くも、政治家の「今」の対策・方針を立てていく、すなわち「現在」の状況を見てどうするのかを考えていくというのが、政治家の「傾向」と考えられる。この従来の、本来であった政治家の考え方が、災いしたのである。一方、医療の専門家は、コロナの感染は、今の2週間後に現れるというのが、常識というか当たり前のことになっている。つまり、今のコロナ対策は2週間後に現れる、国民が行動変容は、2週間後に現れるということである。そこを知ってかしらずか、今の観光地等が大変混雑しているにも関わらず、政府は「今」「現在」の現状は大丈夫と言い続けたのである。そして、今日現在のベットが足りない、看護師の不足、重傷者・死者の急増である。このコロナ対策は2週間後をみて、対策を練らなければならない。自治体の首長の中には、先をみて対策をしているところも見受けられたが、肝心の政府の言動には、残念ながら将来を見据えて行動するというのは、見受けられなかった。全く「計画」がなかったといわれても仕方がない。
 ※ 計画性と先を見通す力という点について  GOTO停止にした年末年始期間は、例年でも人の往来が活発になる時期であって感染拡大のリスクが高まる。一方で、通常の医療(特に外来医療)の低下や厳寒に伴う脳血管等疾患等の救急医療を必要とする患者の増加など、医療体制がひっ迫する要因は増えるため、GOTO停止や飲食店の営業時間短縮要請等のみで、うまくいくとは限らない。刻々と状況も変わり場合によっては、これ以上のさらに踏み込んだ対策が必要となるとも思われるが、今の政府の言い方からは、あまり切迫感は感じられない。全く考えていないとは言わないが、政府の中で、年始年末の医療体制のひっ迫について、それぞれ部署において「共通の認識」があるのか疑問である。是非とも、「今」ではなく2週間後を見据えた対策を取っていただきたい。
 
 そして、これら目的ー目標ー計画の一連の流れがスムーズに流れていき、適宜・適切かつスピーディにこれが実行されなければならない。これが会社の経営の基本である。政府のコロナ対策についても、同様であり、こういった一連の流れの一貫性が特に欲しいところである。もともと図体の大きい政府組織においては、特に適宜・スピーディというのは、難しいところであるが、そこは首相のリーダーシップでどうにかなると思える(今回のGOTO停止は総理の一声で決まったようだ)ところ、こんなに、ぶれぶれでは大丈夫かと思う。ぜひ、首相には、今後、携帯電話の引き下げのように、強力なリーダーシップを取って、感染拡大防止に努めていただきたい。

 さらに、首相には、この経営管理の手法である(目的ー目標ー計画の手順)から、コロナに限ったことではないが、特に「目的」の点において、大きな展望をもって国民のために運営していただきたいと思う。どうもこの理念とかビジョンとかが国民に伝わってこないのである。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする