人生を的確に表した名言「生きるって本当に面倒くさい」「面倒くさいを吐き出す」(NHK鈴木アナ)<人生生き切ることに意義があるのでは>
NHK「あさイチ」のMCを務める鈴木奈穂子アナウンサーが、シュウマイの作り方の実践で「ここがめんどうくさい」と何度もつぶやいたという。それを見ていた視聴者から「面倒くさいことを面倒くさいと言ってくださると(自分も)味方を得たような気がする」といった共感のメールが届いたという。それに応答した鈴木アナ「ありがとうございます。生きるって本当に面倒くさいことだらけだな」と感謝のことばを言ったという。
鈴木アナウンサーは、看板報道番組の「NHKニュースおはよう日本」や「ニュース7」のキャスターを歴任していたが、19年5月に出産して育休をとっていた。そして、その報道のエースは、復帰後、やはり朝の人気番組である「あさイチ」を担当するようになったようだ。
私が思うに、その鈴木アナウンサーの「めんどうくさい」というのは、あまり得意でない(?)料理しているときにたまたま発したものともいえず、メールに応答した「生きること全般について面倒くさい」に重みがあるような気がします。ここからは推測にすぎませんが、結婚をして子供を産んで、そして育てて、仕事に復帰した。朝早くの仕事ということに加えて「仕事の復帰」もひと踏ん張りする相当な気構えが必要な気がする。また、彼女の人生においても、いくつもの面倒くさいを経験したことだろう。NHKのエースともいえる鈴木アナウンサーが、そのことばを発したというのは、日常をどろくさく生きている我々にとっても、非常に共感を覚えるものがある。
「生きるって本当に面倒くさい」というのは、本当にうまく言い表したことばである。多分、私たち、団塊の世代では、言い表せなかった表現であるように思う。私たちの世代では感じていたのは感じていたのではあるが、それをどう表現したらいいのか分からなかったのではないか。人生を「面倒くさい」ということで、素直に表すことができたのは、最近の人々だからできたのではないかと思う。しかし、本当に、本当に人生を的確に言い表したものであると思う。
私も齢(よわい)70である。今までどうにか生きてきた。新入社員の時はまたあの上司と顔を会わさねばならないのかと・・・仕事で忙しい時は目が覚めてまた仕事に行かなければならないのかと思い、何もしなくていい時は「暇」が何かをしなくてはと、せかされるようで・・・人間関係で悩んだときは、どうしょうかと必死になり、最後に退職の時は、会社の方で仕事をあっせんしていただけるような雰囲気であった(?)のに、上司との仲が悪かったのでそのあっせんは即座に断った。その時、後先考えずにその断った自分に腹が立ったものである。このように、人生を表現せよといえば、「面倒くさい」がぴったしである。
しかし、その時はそのときで、ひっしに生きてきたというのが本当のところだろう。あるときは、他人との競争で動いてきたのであり、また、あるときは資格を取ることにやっきになった時期もあった。そして、今がある。面倒くさい人生を面倒くさいなりに、生きていく。それを的確に自分の中で「自覚」してその弱い自分を認識する。哲学者や思想家などは、「与えられた人生をその瞬間・瞬間を確実に生きることに意義がある」と最終的に説いているものと私は理解している。最低限自ら自分の命を断ってはならず、人生を生き切ることに意味はあると考えるのだ。人生面倒くさいを感じながらも人生を確実に生きていく。鈴木アナウンサーの次の言葉も名言で「面倒くさいことも吐き出しながら、みんな頑張っていきましょうね。」に尽きるようだ。
NHK「あさイチ」のMCを務める鈴木奈穂子アナウンサーが、シュウマイの作り方の実践で「ここがめんどうくさい」と何度もつぶやいたという。それを見ていた視聴者から「面倒くさいことを面倒くさいと言ってくださると(自分も)味方を得たような気がする」といった共感のメールが届いたという。それに応答した鈴木アナ「ありがとうございます。生きるって本当に面倒くさいことだらけだな」と感謝のことばを言ったという。
鈴木アナウンサーは、看板報道番組の「NHKニュースおはよう日本」や「ニュース7」のキャスターを歴任していたが、19年5月に出産して育休をとっていた。そして、その報道のエースは、復帰後、やはり朝の人気番組である「あさイチ」を担当するようになったようだ。
私が思うに、その鈴木アナウンサーの「めんどうくさい」というのは、あまり得意でない(?)料理しているときにたまたま発したものともいえず、メールに応答した「生きること全般について面倒くさい」に重みがあるような気がします。ここからは推測にすぎませんが、結婚をして子供を産んで、そして育てて、仕事に復帰した。朝早くの仕事ということに加えて「仕事の復帰」もひと踏ん張りする相当な気構えが必要な気がする。また、彼女の人生においても、いくつもの面倒くさいを経験したことだろう。NHKのエースともいえる鈴木アナウンサーが、そのことばを発したというのは、日常をどろくさく生きている我々にとっても、非常に共感を覚えるものがある。
「生きるって本当に面倒くさい」というのは、本当にうまく言い表したことばである。多分、私たち、団塊の世代では、言い表せなかった表現であるように思う。私たちの世代では感じていたのは感じていたのではあるが、それをどう表現したらいいのか分からなかったのではないか。人生を「面倒くさい」ということで、素直に表すことができたのは、最近の人々だからできたのではないかと思う。しかし、本当に、本当に人生を的確に言い表したものであると思う。
私も齢(よわい)70である。今までどうにか生きてきた。新入社員の時はまたあの上司と顔を会わさねばならないのかと・・・仕事で忙しい時は目が覚めてまた仕事に行かなければならないのかと思い、何もしなくていい時は「暇」が何かをしなくてはと、せかされるようで・・・人間関係で悩んだときは、どうしょうかと必死になり、最後に退職の時は、会社の方で仕事をあっせんしていただけるような雰囲気であった(?)のに、上司との仲が悪かったのでそのあっせんは即座に断った。その時、後先考えずにその断った自分に腹が立ったものである。このように、人生を表現せよといえば、「面倒くさい」がぴったしである。
しかし、その時はそのときで、ひっしに生きてきたというのが本当のところだろう。あるときは、他人との競争で動いてきたのであり、また、あるときは資格を取ることにやっきになった時期もあった。そして、今がある。面倒くさい人生を面倒くさいなりに、生きていく。それを的確に自分の中で「自覚」してその弱い自分を認識する。哲学者や思想家などは、「与えられた人生をその瞬間・瞬間を確実に生きることに意義がある」と最終的に説いているものと私は理解している。最低限自ら自分の命を断ってはならず、人生を生き切ることに意味はあると考えるのだ。人生面倒くさいを感じながらも人生を確実に生きていく。鈴木アナウンサーの次の言葉も名言で「面倒くさいことも吐き出しながら、みんな頑張っていきましょうね。」に尽きるようだ。