「晴耕雨読」(自然と共に生きる)の生活を=外・内でしたいことをする
先にタイトル「60歳から10年をどう生きる=やりたいことよりもやらなければならないことを見つける」<※※※⇒> のなかで、次のように述べたところです。仕事を辞めた途端に老け込まないためには、やらなければならないことを見つけるべきで、今しなければならないことがあれば、動き回らなければならず、心が沈む暇などないと書いた。そして、やむにやむにやまれず、そうなってしまった我が人生についても、話したところです。
<※※※⇒>→タイトル「60歳から10年をどう生きる」へ
じゃあ、70歳になった今、どうすべきかということである。(*注)60歳から10年間やりたいことは後回しにして、やらなければならないことをやってきたのである。やっとやりたいことができる状況になったのである。結論は、やりたいことをやればよいのである。
(*注)状況に応じて、この年齢等は違う。10年間も5年の人もいるだろう。少なくとも60歳退職とすると退職後はある程度の期間は「やるべきこと」を、その後は「やりたいこと」に転じるということとして、とらえてもらいたい。
職員研修の講師をしていた頃、その時のセンター長が次のようなことをおっしゃった。「晴耕雨読」である。晴れた日には田畑を耕し雨の日には読書をするということ。昔のことなので、田畑を耕すことは「労働する」ことでもあります。気候などの大自然に合わせた生活をしようということであって、「理想的な生活」を意味することばでもあります。
さらに、センター長が続けておっしゃたことは、それに併せて、外と内での趣味を持つことだと言う。「晴耕雨読」の晴れと雨に応じて、外と内で出来ることと言う意味だろう。読書や碁・将棋などが「内」でできることであって、「外」とはゴルフ・テニス・キャンプなど外でできるもの何でもよい。ここで趣味といったのは、まだ現役時代なので、仕事以外で何かを「発散できるもの」という意味であったものと解釈できる。今はリタイヤーしているので、趣味とはいわず、内・外でできることを見つけよということになる。
内でできるもの、私は「歴史もの」が好きである。「歴史もの」というより歴史上の人物の生き方に興味がある。今、気になっているのは、NHK大河ドラマの「渋沢栄一の生涯」である。彼は日本資本主義の父といわれるが、教科書に登場したのはつい最近といわれる。しかし、彼の資本主義とは、いわゆる「資本主義」とはちょっと違うような気がするからである。実務家である一方で福祉事業にかかわったその人となりを勉強したいのである。
また、元社労士として心のこりなのは、 正直をいえば「労働法」(菅野著)を始めから終わりまで読んだことがない。菅野労働法と言えば、専門書で大書であるが、折に触れて必要な時に必要な箇所だけを読んでいて、読破したということはなかったような気がするからである。はじめから少しずつでも読んでみよう。
かのごとく、思いつくまま、とりとめもなく、やりたいものからやっていくと、次々にやりたいものが出てくるような気がする。
問題は、外でできるものである。私は白状するとスポーツ音痴である。ゆえに、ほとんど大成したものがないのは、もちろんのこと、皆がゴルフに興じていた頃も、経済的な理由あれこれもあったのであるが、全く手を出さなかった。ほかのスポーツもそうである。唯一、大学になってテニスを始めたのであるが、2年の夏に後輩が出て来て、追い抜かれやめてしまった経験がある。
しかし、外でできるもの。そういった「超」活動的なものでなくてもいいのではないか。歩くことだって、散歩でなくて今では「ウォーキング」といっているではないか。走ることだって「ランニング」や「ジョギング」といっている。自分は、よく長距離を走っていたではないか。そう思った時、今、内・外でできる行動指針ができたのである。がんばってみようと思う。スポーツだけではなく、まだ老人クラブにいるような年ではないと思っているので、私の場合はそうでもないのであるが、そのなかでの活動でもよい。外でやりたいもの、なんでもよいのである。
一つだけ頭の中で気になることがある。この年になると、今から何かをやっても、死んでしまえば元の木阿弥ではないかということである。これに対して、人に強制できることではないが、死んでも魂は残るという考え方であろう。ただし、魂は残って生まれ変わった場合は、知識等は消えてしまうということは間違いないらしい。しかし、その努力の痕跡は残り、また何かをしようという時に、その「才能」が開花するのではないかと思うのである。例えば、モーツアルトは、生まれながらに「才能」を持っていたといわれるが、作曲内容そのものは生まれた世界に持っていけなくても、作曲の「足跡」というかその「性質的」なものは持っていたといえよう。少なくとも、知識そのものは、持っていけなくても何がしらの「努力の痕跡」は、モーツアルトのように(ただし彼の場合は「努力の痕跡」以上のものを持っていたようであるが・・)、新たな生まれた世界に 持っていけるのではないかということである。少なくとも、生まれ変わるたびにステージが上がっていくといわれるが、そのステージが上がるごとに記憶はなくなっても何もかもなくしてしまうわけではないことに注意しなければならない。何かが残らなければステージは上がらないのだから。
生まれ変わりがないとの立場に立っても次のことはいえる。せっかく残された人生、一生懸命生き切ってみませんか。残された人生、好きなことをやってみよう。そのためにも「晴耕雨読」の実践を行ってみませんか。
先にタイトル「60歳から10年をどう生きる=やりたいことよりもやらなければならないことを見つける」<※※※⇒> のなかで、次のように述べたところです。仕事を辞めた途端に老け込まないためには、やらなければならないことを見つけるべきで、今しなければならないことがあれば、動き回らなければならず、心が沈む暇などないと書いた。そして、やむにやむにやまれず、そうなってしまった我が人生についても、話したところです。
<※※※⇒>→タイトル「60歳から10年をどう生きる」へ
じゃあ、70歳になった今、どうすべきかということである。(*注)60歳から10年間やりたいことは後回しにして、やらなければならないことをやってきたのである。やっとやりたいことができる状況になったのである。結論は、やりたいことをやればよいのである。
(*注)状況に応じて、この年齢等は違う。10年間も5年の人もいるだろう。少なくとも60歳退職とすると退職後はある程度の期間は「やるべきこと」を、その後は「やりたいこと」に転じるということとして、とらえてもらいたい。
職員研修の講師をしていた頃、その時のセンター長が次のようなことをおっしゃった。「晴耕雨読」である。晴れた日には田畑を耕し雨の日には読書をするということ。昔のことなので、田畑を耕すことは「労働する」ことでもあります。気候などの大自然に合わせた生活をしようということであって、「理想的な生活」を意味することばでもあります。
さらに、センター長が続けておっしゃたことは、それに併せて、外と内での趣味を持つことだと言う。「晴耕雨読」の晴れと雨に応じて、外と内で出来ることと言う意味だろう。読書や碁・将棋などが「内」でできることであって、「外」とはゴルフ・テニス・キャンプなど外でできるもの何でもよい。ここで趣味といったのは、まだ現役時代なので、仕事以外で何かを「発散できるもの」という意味であったものと解釈できる。今はリタイヤーしているので、趣味とはいわず、内・外でできることを見つけよということになる。
内でできるもの、私は「歴史もの」が好きである。「歴史もの」というより歴史上の人物の生き方に興味がある。今、気になっているのは、NHK大河ドラマの「渋沢栄一の生涯」である。彼は日本資本主義の父といわれるが、教科書に登場したのはつい最近といわれる。しかし、彼の資本主義とは、いわゆる「資本主義」とはちょっと違うような気がするからである。実務家である一方で福祉事業にかかわったその人となりを勉強したいのである。
また、元社労士として心のこりなのは、 正直をいえば「労働法」(菅野著)を始めから終わりまで読んだことがない。菅野労働法と言えば、専門書で大書であるが、折に触れて必要な時に必要な箇所だけを読んでいて、読破したということはなかったような気がするからである。はじめから少しずつでも読んでみよう。
かのごとく、思いつくまま、とりとめもなく、やりたいものからやっていくと、次々にやりたいものが出てくるような気がする。
問題は、外でできるものである。私は白状するとスポーツ音痴である。ゆえに、ほとんど大成したものがないのは、もちろんのこと、皆がゴルフに興じていた頃も、経済的な理由あれこれもあったのであるが、全く手を出さなかった。ほかのスポーツもそうである。唯一、大学になってテニスを始めたのであるが、2年の夏に後輩が出て来て、追い抜かれやめてしまった経験がある。
しかし、外でできるもの。そういった「超」活動的なものでなくてもいいのではないか。歩くことだって、散歩でなくて今では「ウォーキング」といっているではないか。走ることだって「ランニング」や「ジョギング」といっている。自分は、よく長距離を走っていたではないか。そう思った時、今、内・外でできる行動指針ができたのである。がんばってみようと思う。スポーツだけではなく、まだ老人クラブにいるような年ではないと思っているので、私の場合はそうでもないのであるが、そのなかでの活動でもよい。外でやりたいもの、なんでもよいのである。
一つだけ頭の中で気になることがある。この年になると、今から何かをやっても、死んでしまえば元の木阿弥ではないかということである。これに対して、人に強制できることではないが、死んでも魂は残るという考え方であろう。ただし、魂は残って生まれ変わった場合は、知識等は消えてしまうということは間違いないらしい。しかし、その努力の痕跡は残り、また何かをしようという時に、その「才能」が開花するのではないかと思うのである。例えば、モーツアルトは、生まれながらに「才能」を持っていたといわれるが、作曲内容そのものは生まれた世界に持っていけなくても、作曲の「足跡」というかその「性質的」なものは持っていたといえよう。少なくとも、知識そのものは、持っていけなくても何がしらの「努力の痕跡」は、モーツアルトのように(ただし彼の場合は「努力の痕跡」以上のものを持っていたようであるが・・)、新たな生まれた世界に 持っていけるのではないかということである。少なくとも、生まれ変わるたびにステージが上がっていくといわれるが、そのステージが上がるごとに記憶はなくなっても何もかもなくしてしまうわけではないことに注意しなければならない。何かが残らなければステージは上がらないのだから。
生まれ変わりがないとの立場に立っても次のことはいえる。せっかく残された人生、一生懸命生き切ってみませんか。残された人生、好きなことをやってみよう。そのためにも「晴耕雨読」の実践を行ってみませんか。