変わり者なら変わりもんで堂々と生きたらよか<自分を許す~斎藤一人>
祥子ばんばの言葉は、人生を生き抜いてきたからこそ言えるもので、人生のエッセンスをとらえている名言・金言である。
貴司は仕事に行き詰まり会社を辞め「もう限界だ」と呟いたが、五島の自然の中でどうにか自分を取り戻した。心配した幼馴染の舞・久留美が駆けつけ、ここ五島でどうにか3人が再会できたのである。その夜、舞の祖父・祥子の下で、夕食を囲みながらの祥子ばんばと貴司の会話である。
<祥子> そんで逃げてきたとか。(そんな言い方と「舞」が抑えるが・・)逃げてきたのは事実やろが、ちゃんと認めた方がよかぞ。
<貴司> ハイ、認めたら楽になりました。やっと凍った心が解けた気がします。ああ、海ってこんな色だった、空ってこんなにきれいだったんだなって。違う自分になりたくて、五島に来たのに(舞が小さいころ育った「五島」の「灯台の夕日」を写した舞からの絵葉書を見てここにいきたいと思って来たのである。)、今のままでええんやと思ったんです。空にこんなに星があるのも知らんかったのに、世の中のことが全部分かったと、もうええってと思っていました。
文学的表現を交えて自分を表現する貴司を見てか・・・
<祥子> 面白か「舞」の幼馴染み たいネ ここに来てよかったごたるね。
「舞」は貴司は文学青年であることを明かすが、それに対して・・
<祥子> 変わり者たいね。(舞がまた「言い過ぎやて」ととりなすが・・・) 舞、そがん腫物ごつ扱わんでよか。貴司君も周りにあわせんでよか。自分のことば知っちょう人間が一番強かけん。変り者は変りもんで堂々と生きたらよか。
貴司だけでなく、3人ともそれぞれに納得の表情を浮かべる。というのも、貴司はもちろんのこと、そのほかの2人も人生の悩みを抱えていたからであるが、これを聞いてそれぞれに元気づけられた様子であった。
カウンセラーだったら、こんな直球勝負はしないだろうが、言っていることは芯をついているのである。人生を長年生きてきた「祥子」にしか言えない言葉(人生訓とか名言とか言えるもの)によって、貴司はベストなカウンセリングを受けているようなものであろう。
「俺の人生ーすべてが成功する絶対法則」の著者 斎藤一人さんは、次のように言っている。
人をゆるすためには、自分をゆるせなきゃなりません。あのね、私は学校時代、学校に行かなきゃ宿題もやっていかないし、先生のいうことも聞かない。親の言うことも聞かなかったの。ただ、他の人と違ったのは、私はそういう自分のすべてをゆるしていたんだよね。自分をゆるせている、普通の人は、劣等生だって何だって、自分を責めちゃうの。親のいうことを聞かなかったとか、学校の成績が悪かったとか。でもね、私は自分をゆるせるから、人のこともゆるせるんです。自分の出来の悪いのをゆるせるとね、人の出来の悪いのってゆるせるものなの。
人をゆるせる人のそばって居心地がいいから、あちこちから人が大勢集まってくるんですよ。で、集まった人が幸せになることを考えたりなんかしていると、神様からうんといい知恵がもらえたりするんです。そういう法則がわかっちゃうと、幸せになることって簡単なんだよね。(本の一節をまるごと全部載せてしまいました。前著書p84~85)
なお、余談になるが、11月21日(月)からの回は、舞が航空学校に入学してからの訓練・生活が舞台になるようである。航空大学校といえば、我が宮崎市に本校があるが、撮影は、宮崎県民としては残念ながら、北海道の帯広分校で行われたようである。
<後日談> 11月21日(月)の分を見ていたら、入学式が宮崎本校であったことが出ていました。少しでも、今後宮崎のことが、放映されればうれしいなあと思います。どういう展開になるのでしょうか。
祥子ばんばの言葉は、人生を生き抜いてきたからこそ言えるもので、人生のエッセンスをとらえている名言・金言である。
貴司は仕事に行き詰まり会社を辞め「もう限界だ」と呟いたが、五島の自然の中でどうにか自分を取り戻した。心配した幼馴染の舞・久留美が駆けつけ、ここ五島でどうにか3人が再会できたのである。その夜、舞の祖父・祥子の下で、夕食を囲みながらの祥子ばんばと貴司の会話である。
<祥子> そんで逃げてきたとか。(そんな言い方と「舞」が抑えるが・・)逃げてきたのは事実やろが、ちゃんと認めた方がよかぞ。
<貴司> ハイ、認めたら楽になりました。やっと凍った心が解けた気がします。ああ、海ってこんな色だった、空ってこんなにきれいだったんだなって。違う自分になりたくて、五島に来たのに(舞が小さいころ育った「五島」の「灯台の夕日」を写した舞からの絵葉書を見てここにいきたいと思って来たのである。)、今のままでええんやと思ったんです。空にこんなに星があるのも知らんかったのに、世の中のことが全部分かったと、もうええってと思っていました。
文学的表現を交えて自分を表現する貴司を見てか・・・
<祥子> 面白か「舞」の幼馴染み たいネ ここに来てよかったごたるね。
「舞」は貴司は文学青年であることを明かすが、それに対して・・
<祥子> 変わり者たいね。(舞がまた「言い過ぎやて」ととりなすが・・・) 舞、そがん腫物ごつ扱わんでよか。貴司君も周りにあわせんでよか。自分のことば知っちょう人間が一番強かけん。変り者は変りもんで堂々と生きたらよか。
貴司だけでなく、3人ともそれぞれに納得の表情を浮かべる。というのも、貴司はもちろんのこと、そのほかの2人も人生の悩みを抱えていたからであるが、これを聞いてそれぞれに元気づけられた様子であった。
カウンセラーだったら、こんな直球勝負はしないだろうが、言っていることは芯をついているのである。人生を長年生きてきた「祥子」にしか言えない言葉(人生訓とか名言とか言えるもの)によって、貴司はベストなカウンセリングを受けているようなものであろう。
「俺の人生ーすべてが成功する絶対法則」の著者 斎藤一人さんは、次のように言っている。
人をゆるすためには、自分をゆるせなきゃなりません。あのね、私は学校時代、学校に行かなきゃ宿題もやっていかないし、先生のいうことも聞かない。親の言うことも聞かなかったの。ただ、他の人と違ったのは、私はそういう自分のすべてをゆるしていたんだよね。自分をゆるせている、普通の人は、劣等生だって何だって、自分を責めちゃうの。親のいうことを聞かなかったとか、学校の成績が悪かったとか。でもね、私は自分をゆるせるから、人のこともゆるせるんです。自分の出来の悪いのをゆるせるとね、人の出来の悪いのってゆるせるものなの。
人をゆるせる人のそばって居心地がいいから、あちこちから人が大勢集まってくるんですよ。で、集まった人が幸せになることを考えたりなんかしていると、神様からうんといい知恵がもらえたりするんです。そういう法則がわかっちゃうと、幸せになることって簡単なんだよね。(本の一節をまるごと全部載せてしまいました。前著書p84~85)
なお、余談になるが、11月21日(月)からの回は、舞が航空学校に入学してからの訓練・生活が舞台になるようである。航空大学校といえば、我が宮崎市に本校があるが、撮影は、宮崎県民としては残念ながら、北海道の帯広分校で行われたようである。
<後日談> 11月21日(月)の分を見ていたら、入学式が宮崎本校であったことが出ていました。少しでも、今後宮崎のことが、放映されればうれしいなあと思います。どういう展開になるのでしょうか。