縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

『逢えてよかったね友だちプロジェクト』 ~ 音楽で“そっと寄り添う”被災地支援

2015-10-26 23:35:38 | 最近思うこと
 みなさんは小原孝氏の『弾き語りフォーユー』という番組をご存じだろうか?
 NHK FMで月曜から木曜の午前11時から11時20分までやっているラジオ番組である。ピアニストである小原氏が、一般からのリクエストを受け、クラシックから童謡、歌謡曲、JPOP、民謡など、幅広いジャンルの音楽を自らのアレンジで弾くという番組らしい。もう17年も続いているというから、多くの人に愛されている番組なのだろう。
 伝聞調の表現で申し訳ないが、実は、僕は『弾き語りフォーユー』を聴いたことがない。そもそも、 つい2日前まで小原氏のことも番組のことも知らなかった。

 先週の土曜日、『渋谷音楽祭』の“心地よい週末のひと時を 今夜はとことんクラシック!”というイベントに行って来た。前半は東フィルがモーツァルトの「ジュピター」を演奏し、後半が小原氏のピアノとおしゃべりだった。
 小原氏の演奏はとても楽しかった。そう、まるでジャズのアドリブを聴いているような感じだ。クラシックを弾いているかと思ったら、途中で演歌(「川の流れのように」)に変わったり、童謡に変わったりと。このほか、ベートーヴェン風の「人生いろいろ」であるとか、ショパンと「ねこふんじゃった」を合体させた「仔猫と子犬のワルツ」であるとか、氏の才能、アレンジの妙が感じられる、本当に楽しい演奏だった。

 しかし、僕が今日みなさんに一番ご紹介したいのは、『逢えてよかったね友だちプロジェクト』である。これは、小原氏が2011年から続けられている、東日本大震災の復興支援、被災地の方々を音楽で励まそう、勇気づけようという活動である。僕は今回のイベントで初めてこの活動を知った。
 小原氏は、震災後、何か自分にできること、音楽にできることはないかと思い、「あなたにありがとう/逢えてよかったね」のCDを発売し、そのCDの売上やコンサートの収益の一部で、被災地にCDや楽譜、楽器などを送られているという。また被災地でのコンサートも行っていらっしゃる。最後に皆で一緒に「逢えてよかったね」を合唱するのだという。被災地の方各々の置かれた状況や苦しみも知らずに、ただ頑張れと言うのではかえって重荷になることもある。音楽でそっと寄り添ってあげたい、何かの支えになればうれしいと氏は考えられたのだという。

 この氏のお考えは大変立派である。さらに、それ以上に素晴らしいのが、氏が今もその活動を続けられていることだ。震災から4年半、まだ現地は復興の途上である。大切な方を失ったり、ご自身本当に苦しい思いをされた方が皆、震災前と変わらぬ生活を、気持ちを取り戻したとは到底思えない。が、悲しいかな、僕のように被災地と直接関係のない人間は、日々の生活にかまけ、震災のことも忘れがち。
 僕の勤める会社で、震災後、被災地の小中学校にメッセージを添えて本を贈ろうというプロジェクトがあった。うちの会社もたまには良いことをするなと思い、僕も喜んで協力した。ただ残念なことに、このプロジェクトが行われたのは震災の年の1回だけだった。
 僕自身、今、被災地の方のため何かを積極的にやっているわけではない。だからこそ小原氏の活動を知り、僕も何かお手伝いをしたいと思い、まずは皆さんに氏の活動をご紹介した次第である。皆が自分のできる範囲で何かを始められると良い。

誰が日本を守るのか

2015-07-13 22:48:11 | 最近思うこと
 僕は改憲論者です。それは憲法第9条が、どこか嘘っぽい気がしてならないからです。

 復習を兼ね、憲法第9条を見てみましょう。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 大変立派な内容です。世界のすべての国がこのように考えてくれると良いのですが、残念ながら現実は違います。

 第9条第1項は「戦争の放棄」を規定しています。この「戦争」は、すべての戦争をいう、あるいは侵略のための戦争を指し自衛のための戦争は含まない等諸説あります。政府の見解は勿論後者です。もっとも、いずれも戦争であることに変わりはありませんし、侵略と自衛をきれいに峻別できるのかも疑問です。

 続く第2項は、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」です。ここで問題になるのが自衛隊。自衛隊は「戦力」にあたらないのでしょうか。政府の見解は「前項の目的を達するため」、つまり侵略のための戦力は持たないが、自衛のための「必要最低限度」の戦力は持つことができるというものです。民主党も含め、共産党以外の政党は同じ考えです。でも、どう見ても自衛隊は立派な戦力、軍隊ですよね。それに第1項をすべての戦争を放棄と考えるのであれば、このロジック自体成り立ちません。
 後段の「交戦権」は曖昧な概念であり、この解釈にも諸説あります。通常「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」と解されているようですが、文字通り「戦う権利」と考えれば自衛のための交戦、戦争も否定されてしまいます。

 第9条は、憲法制定時の状況、米国の占領下にあり武装解除されていた当時の日本の状況を考えれば、極めて自然な内容だったといえます。しかし、米ソ冷戦が激化する中で警察予備隊が組織され、後に保安隊、自衛隊へと改組・移行して行ったことや、近年わが国も国際社会の一員として一定の国際貢献が求められていること等を踏まれば、実態に合わない、時代にそぐわないと思いませんか。第9条は理想の姿だと思いますが、現実を見るに、どこか嘘っぽいと感じるのは僕だけでしょうか。
 僕は、我が国は侵略戦争は行わない、自衛権を有する、そのための軍備を保持する、国際貢献には応分の責任を果たすと、はっきり書いた方が良いと考えます。

 さて、次の問題は最近話題の自衛権です。個別的自衛権を持つことに異論はないかと思いますが、集団的自衛権については、持つ、持たない、持つべきではない等意見が分かれます。判断というか、方針を決めるには国民全体での議論、コンセンサスが必要ですが、僕はまずその前提として「誰が日本を守るのか」を考えるべきではないかと思います。それは自衛隊だけでしょうか? それとも米軍でしょうか?

 ところで、皆さんは日米安全保障条約には賛成ですか? 因みに、自衛隊同様、共産党以外は日米安保を容認しています。僕は日米安保を容認するのであれば、集団的自衛権に反対することはできない、それはおかしいと思います。米国の集団的自衛権に依存しながら、自らは集団的自衛権を認めない、あるいは憲法第9条ゆえに集団的自衛権を行使できないというのは論理として矛盾しています。それに国際社会から見ればあまりに身勝手と思われるでしょう。極論すれば、米国が日本のために血を流すのは構わないが、日本が米国はじめ他国のために血を流すのは嫌だということなのですから。

 集団的自衛権を否定するのであれば、スイスのように武装中立を目指すしかありません。スイスは徴兵制を有し、かつ自国が攻撃された場合は国民が銃を持って戦う、シェルターに籠る、さらには橋などのインフラを破壊するといった焦土作戦の実施まで国民に徹底しています。
 非武装中立あるいは貧弱な武装では中立を保つことはできません。これは歴史を見ても明らかです。第二次世界大戦で中立国であったオランダやベルギーはドイツ軍に蹂躙されました。スイスは連合国であろうが枢軸国であろうが自国内に入るものは攻撃するとし中立を維持したのです。中立を維持するには相当の覚悟が必要です。

 今回の安倍首相のやり方はちょっと乱暴な気がしますが、せっかくの機会なので「誰が日本を守るのか」、「どのように日本を守るのか」について皆さんも一度考えてみませんか。(そもそも、国民自らが守りたいと思う国でなければ、そんな国を守ってくれる人はいないと思いますが・・・。)

花の命は結構長い!

2015-04-12 13:59:14 | 最近思うこと
 「『花の命は結構長い』っていう言葉が好き。“結構”っていうのがミソなのよね。」と、古い友人が言った。
 一般的には「花の命は短い」で、女性が美しく輝いている時間は短いという意味で使われている。この「~結構長い」は、以前生保のCMで使われたフレーズである。最近の美魔女ブームの話ではない。頑張っている女性を応援する保険のCMだった。見た目の美しさではなく、人として一生懸命生きている、輝いているといった意味で使われていたように思う。
 このCMのことなどすっかり忘れていたが、彼女が言うのを聞き、僕もすぐこの言葉が気に入ってしまった。やっぱり僕も“結構”がミソだと思う。

 4月で大学を卒業し働き始め30年になった。十年一昔というから、もう三昔。年を取るわけである。もっとも孔子のように不惑、知命とはいかず、未だ惑うことばかりだし、天命はおろか当面の目標すらおぼつかない有様だが。本当にお恥ずかしい限りである。
 残された時間で世のため他人(ひと)のため、そして勿論自分自身のため、何かをやりたい、始めたいとの思いはある。が、その何かが見つからず、ただ漫然と時間だけが過ぎて行く。そして、日々の生活に追われ、だんだんその思いすら忘れがちになる。

 そんな中で聞いた「花の命は結構長い」。これはなにも女性に限った話ではないはずだ。人間誰しも皆、長いこと輝いていたいのだから。そこでミソとなるのが“結構”という言葉。この文脈で考えると、輝いていられる時間は、若いうちだけでなく、あなたが思っているよりも長い、それなりに十分長い、といった意味であろう。
 これをさらに僕なりに解釈すれば、あなたが夢や希望を捨てず、毎日一生懸命、前向きに生きて行けば、それが実現する・しないは別として、ずっと輝いていられるという意味になる。“結構”には、長いも短いも、それはあなた次第なのよ、というニュアンスが込められている気がするのである。

 僕が大学生の頃、サミュエル・ウルマンの『青春の詩』がブームになった。あの「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。 ~ 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。 ~ 」という詩である。
 正直、当時の若かった僕の心にこの詩はまったく響かなかった。ふ~ん、まあそうかもしれないね、といった感じ。しかし、年と共に段々この詩に親近感を覚えるようになり、そうあって欲しいと思うようになってきた。
 もう一つ、これは最近知った話だが、ケンタッキーおじさんとして有名なカーネル・サンダース。彼が今の形態のケンタッキー・フライドチキンのビジネスを始めたのは、なんと彼が65歳の時だという。何かを始めるのに年齢は関係ない。要は本人のやる気である。
 「花の命は結構長い」ことを信じ、年齢など気にすることなく、前向きに生きて行きたい。

与那国島、そして沖縄の基地問題について

2015-02-26 01:20:13 | 最近思うこと
 先週の日曜、2月22日、我が国最西端の沖縄県与那国島で自衛隊配備の賛否を問う住民投票が行われた。
 結果は賛成632票に対し反対445票と配備賛成が多数を占めた。有権者数は1,276人(なんと中高生など未成年96人や永住外国人5人も含むとのこと)で、投票率は85.74%の高さ。しかし、この結果に法的拘束力はなく、町議会では反対派が多数を占めることから、まだ紆余曲折があるかもしれないという。

 与那国では、2008年に町議会が自衛隊誘致を可決して以来、町は賛成・反対で二分されてきた。賛成派は人口減少が続く島の活性化を期待し、一方の反対派は監視レーダーによる電磁波が人体に与える健康被害の懸念を訴えていた。電磁波の影響はよくわからないが、おそらく人口わずか1,700人の町に、多くのよそ者(150人規模の自衛隊員とその家族)が来ることで島の穏やかな生活が乱されることを恐れたのであろう。
 ところで、島の“活性化”とは何か。早い話、島に金が落ちるということだ。それは自衛隊員が生活費として支出する金額だけではない。自衛隊基地は町有地に作られるため、町には賃料が入る。また町は国からの特別交付税も期待しているだろう。なにせ町は自衛隊誘致にあたり“迷惑料”として10億円を要求していたくらいだから(因みに国はこれを拒否)。

 しかし、これは何も与那国の自衛隊に限ったことではない。沖縄の米軍基地でも事情は変わらない。沖縄については、江戸時代の薩摩藩による侵攻、明治政府による日本編入、太平洋戦争での激戦、そして米国の統治等、その歴史的経緯から感情的に語られることが多い。これは多分にマスコミの責任だと思う。例えば、辺野古移設反対は沖縄県民の総意、米軍基地縮小は沖縄県民の悲願といった表現をよく聞くが、果たして本当だろうか。
 先の沖縄県知事選では辺野古移設反対の那覇市長・翁長氏が、移設容認の仲井眞知事に勝利したが、その得票数は各々361千と261千。100千票の大差ではあるが、投票率は64.13%であり、よって翁長氏にしても全有権者数の1/3の票を獲得したに過ぎない。少数意見も尊重すべきとする民主主義国家において、1/3の意見により民意が示されたとするのは乱暴すぎないだろうか。

 沖縄が米軍基地の恩恵を受けていることを考えれば、県民皆が基地反対でないことは明らかだ。沖縄の米軍基地の2/3は借地であり、自治体や3万人の地主に対し年間1,000億円近い賃料が日本政府(注:米軍ではない)から支払われている。この賃料を含め、基地での雇用、工事の発注等沖縄の米軍基地がもたらす経済効果は年間2,000億円以上という。
 さらに、基地が存在することの補償的意味合いで、毎年3,000億円もの沖縄振興予算が沖縄の公共工事等に投入されている。これでは、直接の基地の従業員は勿論、地主や建設業者等も米軍基地に反対なわけがない。米軍基地が縮小するなら、代わりに自衛隊に来て欲しいというのが彼らの本音かもしれない。
 
 誤解しないで欲しいが、僕はだから沖縄の米軍基地が現状のままで良いと言っているわけではない。個人的には、沖縄に米軍の海兵隊は要らないと思うし、それ以上に、まずは治外法権を認める日米地位協定を早急に見直すべきだと考えている。そして、情に流されることなく、何が沖縄にとって良いのか、冷静かつ客観的に考える必要があると思う。

『人の気持ちがわかる人、わからない人』を読んで ~ 貴方の人生へのスパイス

2014-11-16 20:08:27 | 最近思うこと
 この本は、人生をハッピーにするためのスパイスがいっぱい詰まった本である。勿論、スパイスを上手に使うかどうかはシェフである貴方の腕次第。まずは本を読み、そして実践あるのみだ。

 著者である和気香子氏は、東大、女優、MBA、大手外資系企業、ベンチャーキャピタル等を経て、今はエグゼクティブ・コーチをされている方。この経歴を見る限り、天が二物も三物も与えた方なのであろう(注:残念ながら本に著者の写真はない)。
 不勉強ながら、“エグゼクティブ・コーチ”なるものがどんな職業なのか、僕は知らない。が、この本を読む限り、悩みを抱えた方や自分の進むべき道のわからない方の話を聞き、その解決のお手伝いをする仕事のようである。全知全能の神? いや、違う。そうではない。解決方法というか答えは、初めから相談者の中にあるのである。ただ、それに本人が気が付いていないだけ。エグゼクティブ・コーチは、相談者の話を聞き、問題点を整理し、そして新たな視点を提供する。この過程で相談者は自ら答えに気付くのである。つまり、エグゼクティブ・コーチとは、人に気付き、発見を与えるスペシャリスト。この本は、そんな「人の気持ちがわかる」プロが書いた本なのである。

 人の気持ちをわかるために必要なことは、【他人・自分・物事】をどういう視点でとらえるかと、いかに想像力を働かせるかだと著者はいう。そして、人の気持ちがわかる人は自分ともうまく付き合えるという。
 この本には、そのために必要な視点、思考のプロセスと、そうした考え方を身に着けるためのエクササイズが書かれている。まさに“気付き”の秘伝書か、“気付き人間”養成ギブス(ちょっと古い?)といった感じだ。

 僕は、所詮、人間同士は解り合えないと考えている。解り合えないからこそ、解り合う努力が必要だと思う。ただ、そんな努力を皆にするのは大変。好きな人のことは、それこそ伝記を書けるくらい知りたいと思うが、関心のない人にはとことん関心がない。仕事その他の関係で付き合わざるを得ない場合は必要最低限でいい、といった感じ。
 が、そういう考え、気持ちは周りにも伝わり、逆に周囲からもそれなりの対応しかされていないのであろう。この本を読み、深く反省した次第。自分の考え、行動が変われば、人間関係が劇的に変化するかもしれない。
 よし、明日からこの本のエクササイズを少しずつ始めよう。新しい人間関係を創るために、ちょっぴりハッピーになるために。

盲導犬を増やすには・・・

2014-10-13 17:54:34 | 最近思うこと
 8月の終わり、盲導犬がフォークのような鋭利なもので刺された事件が話題になった。目の不自由な方の支えとなっている盲導犬を刺す、それも無抵抗な盲導犬を刺す。僕もそうだが、なんて酷い話だろう、そんな卑劣な犯人は断じて許せないと、強い憤りを感じた方が多いと思う。
 しかし、先日インターネットで知ったが、獣医さんの間では、あれは皮膚炎ではないか、あるいは前日などに他の犬に咬まれた傷ではないかとの意見が強いらしい。少なくともフォークなどで刺されたばかりの傷には見えないと言うのである。
 確かに、電車内や駅のエスカレーターなど衆人環視の下、犬の服をめくって、結構な力で刺している犯人を目撃した人がいないことや、盲導犬が吠えることもなく、いつもと変わらぬ様子であったことも、それであれば合点がいく。それに、その方が日本人というか日本の社会がそこまで酷くなかった、病んでいなかったと思えて良いのだが。

 ところで、実際に盲導犬を見たことのある方は意外に少ないのではないだろうか。そう、日本に盲導犬は少ない。全国でわずか1,000頭しかいないのである。
 世界の国で盲導犬が一番多いのはアメリカで8,000頭。次がイギリスで5,000頭。普及率をみると、最も高いイギリスは人口100万人に対し盲導犬80頭であるが、日本は100万人あたり8頭とその1/10にすぎない。
 この差は文化の違いが大きい。欧米では大型犬であっても家の中で飼うことが多いが、日本では小型犬がせいぜい。犬を家族と考えるかペットと考えるかという違いに加え、家が狭い、土足厳禁、畳の部屋がある等我が国固有の事情も影響している。
 もう一つ、盲導犬が少ない、普及率が低い理由として、我が国の盲導犬の供給数が少ないことがある。おおよそ年間150頭しか提供されていない。しかも、そのうち100頭近くはリプレイス、つまり引退した盲導犬の後任である(因みに、我が国の盲導犬のほとんどはラブラドール・レトリーバーという犬種で、盲導犬としての実働は2才から10才までの8年である)。よって、新たに提供される盲導犬は年間50頭程度に過ぎない。これでは盲導犬はなかなか増えない。

 以前『どうぶつ奇想天外!』というテレビ番組があり、“パピーウォーカー”という盲導犬の仔犬飼育ボランティアや盲導犬飼育センターの話をよく取り上げていた。パピーウォーカーの方々は、すぐに別れがやって来るにも拘らず、本当に仔犬を愛し、可愛がって育て、仔犬を引き継いだセンターの方々も愛情を持ち、かつ熱心に訓練されていた。しかし、悲しいかな、人々の善意に頼るだけでは盲導犬は増えないのである。では、盲導犬を増やすために何をすれば良いのだろう。
 まず、盲導犬育成の歩留りを上げること。日本では訓練した犬のうち盲導犬になれるのは3割程度だという。盲導犬としての適性は遺伝による所が大きいものの、我が国の盲導犬はすべて去勢・避妊されており、その遺伝子を残すことができないからである。精子や卵子の凍結保存や最近話題の代理出産など、何か技術的な工夫はできないのだろうか。この問題をクリアーすれば盲導犬育成の歩留りは確実に高まる。
 もう一つはコストの問題。盲導犬1頭を育てるのに3百万円の費用(除く人件費)が掛かると言われる。が、日本盲導犬協会のデータを見る限りではもっと高い。平成25年度の収入931百万円に対し、新たに提供した盲導犬の数は41頭。よって盲導犬1頭当たり23百万円掛けている計算になる。上述の歩留りの問題や啓蒙活動その他いろいろ必要なのだろうが、それにしても高い。寄付をするにも、そのお金がどこに使われるのか心配になってしまう。他の団体も似たり寄ったりだと思うが、もっと運営を効率化して欲しい。さもないと、盲導犬ロボットを作った方が安い、盲導犬はもう要らないといった話になってしまうのではないだろうか。

『アンネの日記』事件に思う

2014-03-03 00:02:26 | 最近思うこと
 東京都内の図書館で『アンネの日記』や関連する書籍が破られる被害が続出している。

 『アンネの日記』は、アンネ・フランクという少女が、ナチス・ドイツの迫害を逃れるため家族とともに隠れ住んだ2年間の生活を綴ったものである。死と背中合わせの生活の中でも希望を失わずに生きて行くアンネの姿は、彼女がナチスに逮捕され強制収容所で僅か15歳で亡くなった事実を思い起こすにつれ、本当に痛々しく涙を禁じ得ない。
 以前『アンネの日記』やアムステルダムの“アンネ・フランクの家”のことを書いているので、ご関心のある方はご覧頂きたい(2006年9月10日付『アンネが信じたもの』)。

 一体全体、誰が何のために『アンネの日記』を破いているのだろう。

 犯人が組織か個人かというと、おそらく個人であろう。何らかの目的、意図を持った組織が犯人であれば、犯行声明を出し、自らの主義主張の正当性を訴えるに違いない。が、今のところ、そんな話は聞いていない。それに組織であればもっと目立つ方法を使うだろう。図書館で本が破られるのはさほど珍しい話ではなく、また誰かが気が付かない限り表にも出ない。何か訴えたいことがあるなら、公衆の面前で本を焼くとか切り裂くとかのパフォーマンスを採ると思う。

 しかし、個人となるとその動機、理由を知るのは難しい。

 歴史的に見ても我が国に反ユダヤ主義的な思想はない。ユダヤ人虐殺・ホロコーストの悲劇の象徴といえる『アンネの日記』はでっち上げだ、と言う極端なナチス信者、ヒトラー信奉者も日本では聞いたことがない。もっとも、たまたまそんな人間が一人いて事件を起こしたのかもしれず、その可能性を完全には否定できない(地理的に横浜の図書館と池袋の書店は別の人物、模倣犯のような気がするが)。

 個人的には、今回の犯行は、アンネ・フランク、あるいは彼女の隠れ家や収容所での生活、そうした外界と隔絶された生活への恨みや病的なまでの執着を持った人物の犯行の気がする。本を破いてはいるものの、図書館に馴染みのある、本好きな人間なのかもしれない。
 もう一つ気になるのは犯行の時期である。被害が見つかったというか話題になったのは2月のことであるが、実際に本が破られたのはもう少し前からの気がする。我々が気が付いていなかった、つまり『アンネの日記』を手に取る人がいなかったり、破られていてもあまり気に留めなかっただけかもしれない。本を破るという行為は褒められたものではないが、犯人はただ我々が『アンネの日記』に無関心であることを哀しみ、警鐘を鳴らしていたと考えられなくもない。

 いずれにしろ、これ以上被害が拡大しないことを切に望む。また、今回の事件で初めて『アンネの日記』を知った人もいると思うし、改めて関心を持った人も多いと思う。災い転じて福となすではないが、この一件が、『アンネの日記』が多くの人に読まれ、今後も読み継がれて行く、一つのきっかけになれば良い。

欧米の首脳がソチの開会式を欠席する理由

2014-02-03 00:22:36 | 最近思うこと
 早いものでもう2月。今週の金曜日、2月7日からソチ・オリンピックが始まる。
 そのソチの開会式であるが、アメリカのオバマ大統領や、今本業以外で話題のフランス・オランド大統領など欧米各国の首脳は、早々に欠席を決めている。昨年ロシアが制定した「同性愛宣伝禁止法」などロシアの人権侵害への抗議が理由である。
 主要国で開会式に出席するのは、中国の習近平国家主席と我が国の安倍首相。各々ロシアとは複雑な関係があり、ここはプーチンの顔を立てた方が得策との判断があったのであろう。さらに、中国共産党最優先の中国はそもそも人権問題に関心がないし、我が国は同性愛など性的少数者の人権について未だ世間一般の関心が低いというのも理由かもしれない。

 我が国における同性愛をタブー視する考え、偏見は、実は意外に新しいものである。古くから“男色”という言葉がある通り、奈良、平安の昔から男と男の関係についての記録が残っている。織田信長の森蘭丸は有名であるが、武士だけでなく僧侶、貴族、それに一般大衆の間にもそうした関係があったという。それが明治以降の欧米思想の導入、とりわけキリスト教の価値観により同性愛はタブーとなったのであった。
 キリスト教は生殖に繋がらない性行為は罪としており、よって同性愛も自慰行為も罪なのである。(因みに、オナニーの語源となったオナンは旧約聖書の登場人物であり、精液を地に漏らしたがゆえに神に処刑されている。)仏教はそこがおおらかだったことから、従来我が国では“男色”に対する社会的抵抗が少なかったのであろう。
 もっともこれは何も日本に限った話ではない。そもそも“男色”は中国から来た言葉であり、つまり“男色”は中国で特異な行為だったわけではない。また古代ギリシアにおいても、少年に対する愛は当たり前のものとされており、あのソクラテスも美しい少年を横に侍らせていたらしい。

 「同性愛宣伝禁止法」はキリスト教の教えに従ったものといえるが、欧米では昨今の人権意識の高まりにより、人を人種や民族、肌の色などで差別しないのと同じく、性的志向によっても差別すべきではない、性の多様性を認めるべきだとの考えが強くなっている。2000年以降、オランダやスウェーデンなど多くのヨーロッパの国々が法的に同性婚を認めてきた。そして昨年5月フランスも同性婚を認め、またアメリカでも6月に「結婚は男女間に限る」とした「結婚防衛法」が最高裁で違憲と判断された。
 勿論、そうした国々でも、性的少数者が法的に差別されないからといって、社会的にも差別されていないとは限らない。やはりキリスト教のなかった昔には戻れないのである。

 恥ずかしながら、私自身、あまり性的少数者が直面する差別や問題について考えたことがなかった。それが昨年「虹色ダイバーシティ」という、性的少数者がいきいきと働ける職場づくりのための活動をするNPO法人の話を聞き、目から鱗というか、初めて関心を持った次第である。
 同性愛は違法行為でもなければ病気でもない。性的少数者の比率は、おそらく昔も今もさほど変わらないであろう。が、私も含め、多くの日本人はその問題から目を背けている気がしてならない。
 安倍首相がその政治的判断でソチ・オリンピックの開会式に出席することの是非はともかく、欧米の首脳が欠席する理由について、その意味なり背景を自分なりに考えてみてはどうだろうか。オリンピックを無条件で礼賛する雰囲気の強い我が国では、そこが話題になっておらず残念である。

「八ツ場ダム」を憶えていますか?

2013-11-04 11:58:51 | 最近思うこと
 先日、八ツ場ダムの建設予定地に行った。もとい、偶然訪れた。

 僕らは、関越道を渋川伊香保ICで降り、国道145号を通って草津へと向かっていた。その途中、車は、ナビ上では145号を外れ、道なき道(?)をずんずん走っている。ウチの車のナビが古いため、新しくできた道を認識していないのである。いくつかトンネルを抜け、ふと見ると「道の駅 八ツ場ふるさと館」の看板が。そうか、ここがあの八ツ場ダムの場所だと気付いた。なるほど、道理で新しいトンネルや橋、立派な道路、そして道の駅にしては洒落た施設が出来たわけだ。

 ふるさと館の裏から吾妻渓谷を見ることが出来るが、八ツ場ダムの建設場所やダムの規模はよくわからない。しかし、草津からの帰り道、今度は国道145号の旧道を走ってみたが、するとその規模の大きさがよくわかった。旧道は吾妻川の川沿いを走っており、ダムが出来るとこの区間の多くが水没するという。おそらく4、5kmは水没してしまうのではないだろうか。このため2年前新道(八ツ場バイパス)が作られたのであった。
 旧道は、所々周りの草が伸び放題であったり、また廃墟となった家屋が散見されたりと、忘れ去られた、取り残されたといった感じが強くした。ダム建設のため将来の生活に展望が持てず、この地を去った方が随分いるのであろう。なかなか一つの集落が消えることの実感は湧かないし、うまく理解できないが、やはり目の前の現実は重い。

 ご存知のように八ツ場ダムは、前民主党政権の「コンクリートから人へ」のスローガンの下、無駄な公共事業の代表として話題になった。民主党はいったん建設を中止したものの、その2年後、一転ダム建設継続を表明し、現自民党政権もその方針を受け継いでいる。その治水効果、利水効果を考えれば、事業継続の効果が費用を大きく上回るとの判断である。が、実態としては、地元・群馬県長野原町の反対や、既に多額の資金を拠出している関東の1都5県の反対に依るものであった。

 八ツ場ダムの建設が決定したのは1967年。ダム建設により川原湯温泉はじめ340世帯が水没することから地元住民は建設にこぞって反対した。源頼朝が発見した川原湯温泉や美しい吾妻渓谷の大部分が水没しては観光業が、生活が成り立たないからである。
 しかし、補償の問題、代替地の提供、道路整備や観光業支援などダム建設後の生活基盤再建に向けた提案や交渉が長い間続けられ、地元住民は建設を受け容れるに至った。その間、四半世紀近い月日が経っていた。住民の方にしてみると、ダム建設の是非はともかく、動きようのない現状から抜け出したい、時計の針を動かさないといけない、といった思いだったのであろう。

 そして、実際に工事が動き始めたのは1994年。本来であれば、この時点で事業の費用対効果を十分検証すべきだった。ダム建設は高度成長期に決まっているが、90年代半ばには、今後の人口減による水需要の減少が見込まれ、また堤防等の整備により治水の効果も当初より薄れていたと思う。おそらく交渉が長期に亘って継続、硬直化する中、当初の建設目的だった治水や利水の効果に代わり、ダムを作ること自体が目的になっていたに違いない。
 長良川河口堰にしろ、諫早湾干拓にしろ、政府が一度決めると、その後の環境や経済等状況の変化に拘わらず、やらざるを得ないのだろうか。

 ある意味、ダム建設中止を決めた民主党の判断は正しい。ただ問題は遅きに失したことである。既にダム建設後の生活に向け歩き始めていた地元住民をいたずらに混乱させてしまった。
 八ツ場ダムを教訓とし、政府には既成事実や慣習に囚われず、やめるべきはやめる、改めるべきは改めることを期待したい。

ハロウィンとお菓子 ~ 地域の繋がりが希薄化する中で

2013-10-30 22:29:28 | 最近思うこと
 今日、僕の住むマンションでは一日早いハロウィン・パーティーが行われている。仮装した子供たちが、「トリック・オア・トリート」と言って、お菓子をもらいながら家々を回っている。
 たまたま通りかかった僕は、そもそもウチのマンションにこんなに子供がいたことに驚き(なにせ生活の時間帯が違うもので・・・)、そしてハロウィンが日本でも今や子供たちの身近な行事になっていることに改めて驚いた。

  
 日本ではいつからハロウィンが定着して来たのだろう。僕の若い頃(つまりン十年前)は、ハロウィンの時期にかぼちゃの飾り付けをする飲食店が少しあったくらいで、一般家庭は何もしていなかった。お盆からクリスマスまでは、行事の空白期間だったのである。ハロウィンが広まって来たのは、おそらくディズニーランドがハロウィンに力を入れ、お菓子やアパレルの会社がそれに便乗し始めた、この10年くらいの話ではないだろうか。このため年齢が30歳より上か下かで、自らのハロウィン体験、思い入れに大きな差がある気がする。
 妻が、会社の外国人社員から「あまり面識のない日本人からハロウィン・パーティーに招待されたが、日本ではそんなにハロウィンが普及しているのか?」と聞かれたと言っていた。その日本人というのは小さな子供のいる若い母親らしい。アラフォー世代以上にとってハロウィンは外国の行事に過ぎないが、アラサー世代以下にとっては既に年中行事の一つなのかもしれない。

 もっとも、ハロウィンが日本に受け容れられたのは、こうした商業主義の力以外にも理由があると思う。それは日本の文化である。一つは我が国が古来より八百万(やおよろず)の神を信奉することから、キリスト教など他の宗教に寛容である点。イスラムにクリスマスはないし、教会で結婚式を挙げる人もいないだろう。が、日本では当たり前に行われている。仏教徒でも(そもそも仏教徒という意識があるかさえ怪しいが)クリスマスを祝い、バレンタインには心ときめかせ、ハロウィンにはお菓子をもらう。
 もう一つは新しい文化、日本がクールジャパンの代表として世界に誇るコスプレ文化との融合である。仮装への抵抗は年々薄れてきているし、ハロウィンは大手を振ってコスプレを楽しめる絶好の機会なのではないだろうか。

 ところで、僕の故郷・北海道にはハロウィンと似た行事がある。北海道では、8月7日、ひと月遅れで七夕を祝うが、その晩、子供たちは浴衣を着て、提灯を持って、近所の家々をお菓子をもらって回るのである。「トリック・オア・トリート」の代わりに、「ローソク、出せ、出せよ、出さないと、かっちゃくぞ(注:引っ掻くぞ)」と歌いながら練り歩くのである。さすがに札幌では随分前から見かけないが、田舎では今も行われているだろう。この由来はよくわからないが、地域社会の繋がり、近所同士の付き合いが密であったからこそ、続いてきた行事といえよう。
 因みに我がマンションのハロウィンは事前申告制である。前もって、子供たちにお菓子をあげますと言った家しか子供は訪ねない。アメリカのように間違えて知らない家に行っても銃で撃たれることはないが、日本も物騒になっているのは事実だ。しかし子供たちが、ハロウィンで普段接触のない近所の家を回ることで、地元の人たちが新しい関係を築く一つのきっかけになるかもしれない。よし、来年はウチも子供たちにお菓子をあげよう。

ファンタジーとしての『半沢直樹』 ~ 目的は手段を正当化する?

2013-09-22 01:19:39 | 最近思うこと
 僕は元銀行員である。某メガバンクに勤めていた。そのため、よく『半沢直樹』は現実にある話なのかと聞かれる。話すと長いので、いつもは「あそこまでひどくはないけど、結構ある話だよ。」と答えている。
 が、『半沢直樹』も明日で最終回。今日は少し真面目に答えを考えてみたい。

 昔の仲間の『半沢直樹』に対する反応は二つある。一つは、おもしろい、毎回見ているというファンで、もう一つは、設定がおかしい、銀行実務が滅茶苦茶だ、見るに堪えないというアンチ半沢である。僕は東京編からしか見ていないが、確かに東京編だけでも設定に疑問を感じることが多い。

 まず、“東京中央銀行”が“伊勢志摩ホテル”に一行単独で、かつ無担保で200億円もの金額を融資した点。
 普通の銀行員の感覚として、ホテルのビジネスモデルを考えれば、そんなことは絶対あり得ない。ホテルの建設には多額の資金が必要であり、その多くは借入で賄われる。ホテルは、利益と減価償却を原資に返済を行うが、返済には極めて長い時間がかかる。ホテルは、その華やかなイメージとは裏腹、あまり儲かる事業ではなく、返済までの長い間に何が起こるかはわからない。一つの銀行だけで一つのホテルに多額の融資を行い、果敢に長い期間のリスクを取ることなどは考え難い。しかも、これは資金使途がホテル建設資金で、そのホテルが担保となる場合の話であり、それ以外の資金使途(運用資金?)で無担保とあっては全くもって信じられない。

 次に、伊勢志摩が実質破綻先とされた場合、東京中央が1,500億円もの引当金を積む必要があるという点。
 引当金は、融資残高から担保処分等で見込まれる回収額を差し引いた額を積むことになるため、東京中央だけで伊勢志摩に1,500億円以上の融資を行っていることになる。バブル期の不動産会社相手ならいざ知らず、2013年における一ホテルへの融資額としてはあまりに大きい額だ。因みに、伊勢志摩と同じ老舗ホテルの借入金(含む社債)はというと、帝国ホテルは無借金、ホテルオークラは243億円、そして最近皇居前の旗艦ホテルを建て替えたパレスホテルでさえ877億円である。
 いったい伊勢志摩ホテルとはどんな会社なのだろう。

 細かい点を挙げればまだまだあるが、最後に、一番大きな問題といえる半沢直樹の検査妨害、検査忌避の件について。
 半沢が「疎開資料」と称して伊勢志摩に関する資料の一部を隠しており、それが密告により金融庁に知れることとなったが、上手く隠していたため事無きを得たというくだりがあった。しかし、これは完全にアウトである。
 2004年、旧UFJ銀行が、金融庁検査に際し、問題先に関する資料を隠した、改ざんしたとされ、検査忌避の罪で刑事告発されたことを覚えている方も多いと思う。旧UFJ銀行が三菱銀行に吸収されるきっかけとなった事件である。
 そう、半沢の行動は立派な(?)犯罪なのである。他にも半沢の危ない行動が散見されるが、目的のために手段は正当化されるということなのだろうか。
(余談であるが、金融庁検査、巨額の引当金計上による赤字、経営責任、派閥抗争による内部告発等々、原作はこの旧UFJ銀行の事件を参考にしていると思われる。)

 ここまで読んで、「そうか、こいつもアンチ半沢なんだ。」と思われた方、それは違う。僕はファンタジーとして、あるいは時代劇感覚で『半沢直樹』を楽しんでいる。
 『半沢』を見て、これはノンフィクションだとか、日本の銀行や銀行員の実態を現しているとか(確かに一部は正しいが)思われては困る。が、『ハリーポッター』や『水戸黄門』と同じだと思えば何も気にならないし、皆さんにもそう思って見て欲しい。
 ほら、“半沢黄門”に助さん・格さんもいれば、悪だくみをする家老や越後屋、人は良いけど管理のなってない殿様もいる。前回、半沢が印籠のように携帯電話をかざすシーンがあって、つい笑ってしまった。由美かおるの入浴シーンの代わりに、最終回くらいサービスで上戸彩の入浴シーンがあってもいいかもしれない。
 う~ん、明日(書いているうちに今日になってしまった)の最終回が楽しみだ。

藤圭子に捧ぐ ~ 圭子とヒカル、そしてやす子

2013-08-27 00:13:53 | 最近思うこと
 8月22日、藤圭子が亡くなった。自殺だという。

 彼女の全盛期が1960年代終わりから70年代初めということもあり、僕は彼女の歌をよく知らない。さすがに小学校低学年に彼女の歌う、どろどろした大人の世界は理解できなかった。ただ、彼女が札幌近郊の岩見沢という町で歌っていて札幌でスカウトされたことは聞いており、地元出身のスターとしての記憶、憧れは覚えている。

 もっとも、ずっと彼女のことは忘れていた。そんな彼女の存在を思い出したのは、大方の人と同じように、娘・宇多田ヒカルのデビュー。芸能情報に疎い僕は、知らないうちに藤圭子が結婚していて、その上こんな立派な娘がいたのだと驚いた。
 が、その後の彼女のことは何も知らず、いや、その前の彼女のことすらよく知らないが、今回の自殺が、忽然と目の前に現れたのである。さらに、ネット社会の良い所であり悪い所でもあるが、自殺を機に、藤圭子に関する情報がネット上に氾濫した。彼女の生い立ち、宇多田氏との生活、米国の空港での大金没収事件、ギャンブル好き、うつ病等々、何が本当かわからないが、様々な情報を目にするようになった。

 そんな中、今日、インターネットで宇多田ヒカルのコメントを見た。勝手な憶測を収めるため、敢えてコメントしたのだという。
 そこには、藤圭子が長い間精神の病に苦しめられていたこと、本人の意思で治療を拒んでいたこと、母の記憶は悲しいものが多いのに不思議に心に浮かぶ母は笑っていること、母の娘であることを誇りに思い、彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいであること、等が綴ってあった。
 共に同じ歌手、アーティストとして、解り合えるものがあるのだろう。通常の母娘以上に、その結びつきは深いのだと思う。

 藤圭子はハスキーな声で演歌を歌っていた。僕が唯一憶えているのは『圭子の夢は夜開く』。それは幸薄い女の恨み節だった。
 しかし、彼女は、本当は何を歌いたかったのだろう。彼女は、引退しアメリカで暮らしていたというし、もしかすると演歌よりポップスやロックを歌いたかったのかもしれない。そうした不満や、父親のギャンブル癖(彼女が稼いだお金のほとんどを父親がギャンブルに使ったという)が彼女を苦しめ、精神を蝕んで行ったのであろう。
 また彼女にとって、娘・ヒカルの成功は、嬉しい反面、同じアーティストとしては辛かったのかもしれない。それは、本来自分が得るべき成功だったのではないか、と。
 誰が悪いというのではないが、そうして彼女の心の均衡が崩れ、今回の自殺へと繋がったのではないだろうか。

 藤圭子の少し後、内藤やす子がデビューした。彼女も圭子と同じようにハスキーヴォイスが魅力だった。そして二人には声以外にも共通点がある。ともに親が浪曲師なのである。しかし、歌のジャンルは違う。ど演歌の圭子に対し、内藤は演歌だけれどもブルージーな歌だった。宇崎竜童と阿木燿子がよく内藤に歌を作っていた。
 実は、今、内藤やす子の歌を聴きながら書いている。昔、とある焼き鳥屋の親父から、日本でジャズを歌わせたら一番うまいのは内藤やす子だと言われ、CDを買ったのである。確かに、ジャズはしゃがれた声の方が、どこか味があって良い。藤圭子の歌うジャズを一度聞いてみたかった。

 今、外はどしゃぶり。藤圭子さんのご冥福をお祈りする。

「般若心経」って何?(その1)

2013-08-11 23:02:39 | 最近思うこと
 中学の頃、『エースをねらえ』が大のお気に入りだった。少女マンガであるが、下手な教科書や教養小説より為になる本だと僕は思う。事実、僕が高村光太郎を読んだきっかけは『エースをねらえ』だったし、般若心経を知ったのもそうだ。

 ところで、今、「般若心経」がマイブームである。

 正確には2度目のマイブームで、最初のブームは『エースをねらえ』でその存在を知った中学生のとき。僕は岩波文庫の『般若心経・金剛般若経』を買い、般若心経を読んだ。が、正直、何を言っているのかさっぱりわからなかった。般若心経は262字しかなく、漢文、読み下し文、現代語訳を合わせ、冒頭のたった6ページのみ。有名な「色即是空。空即是色。」のところを読んでも、まったく心に響かなかった。
 かくして、般若心経の第1次マイブームは、わずか2、3日で終焉を迎えた。

 それから30年以上経った今が第2次マイブーム。
 きっかけは熊本に旅行に行った際、たまたま訪れた『蓮華院誕生寺奥之院』という真言宗のお寺である。初めは阿蘇に行こうと思っていたが、つつじが満開で大混雑とのこと。そんなとき妻が、近くのお寺で「功徳行」といって、写経、護摩行、座禅の体験ができるというのを見つけた。毎月第1日曜しかやっておらず、これも何かの縁ということで行くことにした。
 お寺で白装束に着替え、般若心経の写経を行い、何度も何度も般若心経を唱えた。相変わらず意味はまったくわからないが、不思議とおごそかな気持ちになるし、般若心経のリズムは妙に心地良い。

 そして2カ月後、たまたま入った本屋さんで『あらすじとイラストでわかる般若心経』(文庫ぎんが堂)という本を見つけた。仏教とはどんな宗教か、お釈迦さまとは、ブッダとは等、仏教の初歩から説明してあり、僕のような初心者には有難い本だ。
 で、肝心の般若心経はというと、それは600巻以上もある『大般若経』のエッセンス、核心をまとめたものだという。
 般若心経の核となる思想は「空」。「色即是空。空即是色。」とは、「色、形のある物質的な存在は固定的な実体をもたない。」との意味。目の前の物質や、あるいは精神的なものにも何ら実体はなく、あるのは絶えず移り変わる状態、即ち「空」のみ。よって、絶えず移り変わるものに拘る必要はない、煩悩などは無意味、いや自らの生死さえも気にすることは無い、このことに気が付き、悟りを開こう、というのである。

 とすると、般若心経は普遍的な真理は認めないのだろうか。多分に僕の知識が浅いせいだと思うが、自己矛盾を感じてしまう。あらゆるものに実体がなく、絶えず移り変わるのであれば、般若心経自体も変化に晒されているのではないか、「空」なのではないだろうか。あるいは、般若心経、延いては仏教が、個人の生き方について教えるものであり、世界の根底にある原理などには関心がないだけかもしれないが。

 種々疑問が残るため、続きはもう少し勉強してから改めて書くことにしたい。
(と言いつつ、般若心経の第3次マイブームはやって来るのだろうか。その2はあるのだろうか・・・。)

3・11 南三陸町

2013-06-30 20:47:28 | 最近思うこと
 先日、東日本大震災で自ら被災しながらも患者の避難や治療に努めた南三陸町志津川病院の医師(当時)菅野武氏の講演を聞く機会があった。

 菅野先生は、津波で多くの人の命や生活が理不尽に奪われていくのを目の当たりにし、一時はご自身も死を覚悟されたと言う。それでも先生は、最後まで医師として被災された方に寄り添い、多くの患者さんの支えになろうとした。
 しかし、先生は言う。何も自分はスーパーマンではないし、誰もが皆各々の出来ることをやっていただけだと。多くの人の助けがあればこそ出来たのだと。
 自衛隊による救援活動、NGOであるHuMA(災害人道医療支援会)や全国から駆けつけてくれた自治医科大学OBの支援チーム、それに国境なき医師団やイスラエル医療団など海外からの支援。そして、阪神・淡路大震災で被災された方々の支援。彼らは、あのとき多くの人に助けてもらったのに自分たちは何もお返しができていない、これで漸く恩返しができると言って、喜んで助けに来てくれたという。やっと被災者から被災経験者に変わることが出来たというのである。
 先生のお話を聞き、人と人とのつながりや絆の大切さ、尊さに感動し、同時に何もできない自分の不甲斐なさを深く反省した。

 震災の直後、3月16日に菅野先生に長男が誕生した。この長男・怜君は、先生一家の救世主であり、かつ先生がアメリカTIME誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれるきかっけになったのであった。
 実は、先生が住んでいたアパートは津波で流された。奥様と3歳のお嬢さんがアパートにいたなら、二人が生きていられたかどうかわからない。しかし、幸い、出産のため奥様とお嬢さんは仙台の先生の実家に行っていたのであった。偶然なのか、それとも神様の思し召しなのか、危機一髪、二人は難を逃れたのであった。
 また、震災後、多くの尊い命が失われた中で新しく生まれた命ということで、NHKのニュースで先生と怜君のことが採り上げられ、それがNHKオンラインを通じ世界に配信され、先生がTIME誌に取材されることになったのである。

 ところで、志津川病院のある南三陸町は宮城県北東部に位置し、リアス式海岸の景観が美しい町である。震災前の人口は1万7千人。町の中心部が海岸から近いため、震災による死者・行方不明者が千人、避難者が1万人と町民の半数以上が被災したという。建物は6割以上が流出した。志津川病院は5階建てであるが、なんと4階まで津波にのまれたといい、その凄まじさが窺われる。
 南三陸町の復興は未だ緒に就いたばかり。先生の経験、そして今の南三陸町の姿は、将来起こり得るであろう災害に備え、語り継いで行くべきだ。まだJR気仙沼線は復旧していないが、この夏、南三陸町に行こうと思う。是非行ってみたい。

このまえ銭湯に行ったのはいつですか?

2013-05-19 11:08:41 | 最近思うこと
 今週、銭湯巡りをしている。家の給湯機が壊れたのである。暖かくなってきたとはいえ、さすがに水風呂・水シャワーはまだ辛い。で、今週一杯、銭湯に通うはめになった次第。

 今どき珍しいと思うが、家の近所に銭湯が3軒ある。佃・月島に銭湯が多いのは、昔この辺りに鉄工や機械の工場が多かったことや、ここが未だに長屋が残る下町だからであろう。
 ふと気になって調べてみたが、銭湯(統計上は「一般公衆浴場」)の数は昭和30年代後半がピークで、全国で23千軒あったという。それが今では5千軒しかない。ひどい時には1日1軒銭湯が廃業したと聞いたが、あながちそれも嘘ではあるまい。家風呂の普及による利用者の減少に加え、銭湯経営者の高齢化や後継者難により廃業が後を絶たないのである。
 そういえば、銭湯や古い(安い?)温泉宿でお馴染の、黄色のケロリン桶。なんとこの桶を製造していた睦和商事という会社が、今年の3月に倒産したという。理由は、銭湯の減少による営業不振。幸い、広告主である内外薬品(注:あの桶は頭痛薬「ケロリン」の広告のため作られたもの)が、引き続き桶の販売を行うとのこと。銭湯の必需品・ケロリン桶が無くならないと聞き、どこかほっとした。

 さて、最初の日は運動がてらスポーツクラブに行って風呂に入ったが、次の日から僕の巡礼の旅ならぬ“巡湯(?)”の旅が始まった。
 まずは「旭湯」。ここは3軒の中で最も昔ながらの銭湯の趣きを残している。他の2軒はマンションや商店などビルの一角にあるが、ここの建物は銭湯だけ。番台もあれば、壁には富士山ではないが立派な絵もある。天井は高く、脱衣所も洗い場も湯船も広い。僕は学生時代ずっと銭湯に通っていたが、その頃にタイムスリップしたような感じがする。お湯も43度と一番熱く、それも良かった。
 次に行ったのは「日の出湯」。ここはアパートの1階にある。銭湯だけでは生活が厳しいから上をアパートにしたのであろう。全体に狭いが、雰囲気としては昔の銭湯である。
 最後が「月島温泉」。ここは商業ビルの2階にある。雰囲気的には地方の温泉にある日帰り入浴センターといった感じ。入り口では男湯・女湯に分かれていない。まず受付があり、中に入ってから男湯と女湯に分かれる形だ。「洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸カタカタ鳴った」という『神田川』のような経験は望むべくもない作りである。ここもちょっと狭いが、サウナもあるし、全体に新しく、きれいだった。

 各々タイプの違う3つの銭湯であるが、一つ共通点があった。番台(あるいは受付)に座っていたのが皆お婆さんだったのである。確かに、高度成長期が全盛で、その後廃業はあっても新たな参入がないとすれば、銭湯の方の高齢化は否めないであろう(1970年代、『時間ですよ』で番台に座っていた森光子さんも昨年亡くなってしまったし)。
 では、銭湯に未来はないのだろうか。個人的には旭湯のような銭湯に残って欲しいと思うが、時代の流れとしては月島温泉のような形でないと生き残りは難しいのかもしれない。それこそ村上春樹にでも『人生で必要なことを僕はみな銭湯で学んだ』とかいう本でも書いて応援してもらわないと無理かもしれない。子供にしてみれば、共同生活のルールというか、大人とのつきあい方、お爺さん・お婆さんあるいは自分よりも年下の子供へのいたわりなどを学べる良い場所だと思うが。
 郷愁にふける中年おやじの独り言である。