タイは何度かこのブログでも取り上げている。3月の反タクシンの大規模デモについても記事を書いた。その行きがかり上、今回のクーデターについても何か書かねばと思うのだが、基本的な見方は前回既に書いた通りである。
要約すれば、タイでは1932年の立憲君主制移行後、20回近いクーデターが起こっており、特に92年のクーデターは流血事態に発展するなど政治的には極めて不安定であるが、その根本 = 王室 がしっかりしているので、心配には及ばない、というものである。
実際、今回のクーデターは、早くにプミポン国王が容認したことから、無血で所期の目的を達している。そして、しまいには皆が戦車の記念写真を撮るなど、クーデターが観光目的と化している有様である。
一方で、クーデターに対するアメリカの評判はすこぶる悪い。東南アジアにおける民主主義の優等生であったタイで、軍のクーデターが、選挙で、つまり民主的手続きにより選ばれた内閣を葬り去るなどまかり為らん、との考えである。
が、ここで疑問が一つ。これは民主主義が最高の体制であることが前提になっている。しかし、民主主義そのもの、それ自体が、自ずと善を生み出すものと言えるのだろうか。
学生時代、「社会的選択の理論」というのを勉強した。合理的な個人からなる社会を想定したとき、社会全体として合理的、民主的な選択を成し得ない、というものである。「アローの不可能性定理」として有名だが、この とんでもない結論は、その後、経済学のみならず、論理学、倫理学、政治学等の分野で大きな議論を呼んでいる。アローの前提の修正を試みるもの、新たな評価・判断方法を導入するもの等がいるが、未だ決定的な回答は出ていないように思う。
では、厳密な意味での民主主義は幻想だとする学問、理論の世界に対し、現実の世界はどうだろう。民主主義国家といわれる国の状況はどうか。例えば、アフガニスタンそしてイラクへと侵攻したアメリカ、人種問題・移民問題に苦しむヨーロッパの国々、そして日本。まあ、社会主義や独裁主義よりはマシだと思うが、いずれの国も多くの問題・矛盾を抱えていることは事実である。
こうした現実を見ても、民主主義は比較的望ましい制度とは言えるものの、絶対的に正しい、それ自体が皆に良い状態をもたらす制度だとは考え難い。
アメリカにはない王室、それも国民の敬愛を集める王室が存在し、かつ仏教の教えが浸透している国、タイ。そもそも、そんなタイにアメリカと同じ制度を求めることが絶対的に必要なのだろうか。
タイでタクシン首相の評価は二分されている。初めて地方の農民層や都市部の貧困層に目を向けた政治家として積極的に評価する者もあれば、一族の優遇や不正蓄財、麻薬取締りやマスコミ統制などでの強権発動などを強く非難する者もいる。完璧な政治家とは言えないまでも、クーデターという超法規的手段に訴える必要があったのか僕にはわからない。
いずれにしろ、タイが国王の下、新たな政権によって、より良い方向に進むことを願いたい。タイでは都市と農村の格差は凄まじく、未だ人身売買などの問題に解決の糸口が見えない。タクシンの貧困層に向けた各種政策が後戻りすることのないよう願う。
要約すれば、タイでは1932年の立憲君主制移行後、20回近いクーデターが起こっており、特に92年のクーデターは流血事態に発展するなど政治的には極めて不安定であるが、その根本 = 王室 がしっかりしているので、心配には及ばない、というものである。
実際、今回のクーデターは、早くにプミポン国王が容認したことから、無血で所期の目的を達している。そして、しまいには皆が戦車の記念写真を撮るなど、クーデターが観光目的と化している有様である。
一方で、クーデターに対するアメリカの評判はすこぶる悪い。東南アジアにおける民主主義の優等生であったタイで、軍のクーデターが、選挙で、つまり民主的手続きにより選ばれた内閣を葬り去るなどまかり為らん、との考えである。
が、ここで疑問が一つ。これは民主主義が最高の体制であることが前提になっている。しかし、民主主義そのもの、それ自体が、自ずと善を生み出すものと言えるのだろうか。
学生時代、「社会的選択の理論」というのを勉強した。合理的な個人からなる社会を想定したとき、社会全体として合理的、民主的な選択を成し得ない、というものである。「アローの不可能性定理」として有名だが、この とんでもない結論は、その後、経済学のみならず、論理学、倫理学、政治学等の分野で大きな議論を呼んでいる。アローの前提の修正を試みるもの、新たな評価・判断方法を導入するもの等がいるが、未だ決定的な回答は出ていないように思う。
では、厳密な意味での民主主義は幻想だとする学問、理論の世界に対し、現実の世界はどうだろう。民主主義国家といわれる国の状況はどうか。例えば、アフガニスタンそしてイラクへと侵攻したアメリカ、人種問題・移民問題に苦しむヨーロッパの国々、そして日本。まあ、社会主義や独裁主義よりはマシだと思うが、いずれの国も多くの問題・矛盾を抱えていることは事実である。
こうした現実を見ても、民主主義は比較的望ましい制度とは言えるものの、絶対的に正しい、それ自体が皆に良い状態をもたらす制度だとは考え難い。
アメリカにはない王室、それも国民の敬愛を集める王室が存在し、かつ仏教の教えが浸透している国、タイ。そもそも、そんなタイにアメリカと同じ制度を求めることが絶対的に必要なのだろうか。
タイでタクシン首相の評価は二分されている。初めて地方の農民層や都市部の貧困層に目を向けた政治家として積極的に評価する者もあれば、一族の優遇や不正蓄財、麻薬取締りやマスコミ統制などでの強権発動などを強く非難する者もいる。完璧な政治家とは言えないまでも、クーデターという超法規的手段に訴える必要があったのか僕にはわからない。
いずれにしろ、タイが国王の下、新たな政権によって、より良い方向に進むことを願いたい。タイでは都市と農村の格差は凄まじく、未だ人身売買などの問題に解決の糸口が見えない。タクシンの貧困層に向けた各種政策が後戻りすることのないよう願う。