縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

しゃぶしゃぶのルーツをご存知ですか? ~ 鳥取『たくみ割烹店』

2017-05-09 00:36:04 | もう一度行きたい
 しゃぶしゃぶの元は「シュワンヤンロウ」という北京の羊鍋。羊ということは、そう、さらに遡れば、ジンギスカンと同じモンゴルの料理だ。
 この「シュワンヤンロウ」を日本に伝えたのが、『たくみ割烹店』の創業者、吉田璋也(よしだ しょうや)。戦後間もなく、京都・祇園の『十二段家』が始めた「牛肉の水炊き」がしゃぶしゃぶの元祖と言われる。すき焼きは明治の初めに誕生しており、しゃぶしゃぶも同じ頃かと思いきや、思いのほか新しい。そして『十二段家』に「シュワンヤンロウ」を教えたのが吉田なのである。
 吉田は昭和37年に『たくみ割烹店』を開き、自らも特製だれを使ったしゃぶしゃぶ、「鳥取和牛すすぎ鍋」を始めた。こうした経緯から『たくみ割烹店』はしゃぶしゃぶの元祖(あるいは本家?)に連なる店だと考えられる。

 因みに、“しゃぶしゃぶ”という名前は大阪『永楽町スエヒロ本店』が考えたものである。商標登録もされている。ただ登録は“肉のしゃぶしゃぶ”や“スエヒロのしゃぶしゃぶ”といった形であり、よって“しゃぶしゃぶ”は誰でも自由に使うことができる。“しゃぶしゃぶ”の普及を願った、粋な計らいと言えるだろう。

 さて、先日初めて『たくみ割烹店』に行って来た。勿論食べるは「鳥取和牛すすぎ鍋」。某飲食店情報サイトによれば、すすぎ鍋のコースは肉の種類で普通と特選があるとのこと。滅多に食べられるものではないので、若干お高いが特選に決めていた。
 が、お店でメニューを開いてびっくり、コースは3つあった。なんと特選の上に極上があった。値段もさらにお高い。特選がリブロースで極上がサーロインと書いてある。ステーキならいざしらず、しゃぶしゃぶならリブロースで十分と思い、初志貫徹、特選をお願いした。
 まず前菜や野菜、そして特製のつけだれが出された。ごまだれと言いつつ、やや黄色い。ラー油が入っているからだという。ポン酢だれはなく、ネギやもみじおろしもない。あとは肉を待つのみ。
 ついに肉が運ばれてきた。美しい。明るく鮮やかな紅色。サシもきれいだ。肝心の味はどうだろう。肉をしゃぶしゃぶ、もとい熱い出汁でさっとすすぎ、口の中へ。あっ、肉がとろける。口いっぱいに肉汁が広がる。甘い香りが残る。う~ん、こんなに美味しいしゃぶしゃぶは食べたことがない。このコースの名前は“悦”というが、その名の通り、僕は心底悦に入った。

 ところで、和牛には三つの系統がある。兵庫県の但馬系、島根県の糸桜系、そして鳥取県の気高系である。今ある全国のブランド牛のほぼすべてが、この三つの系統の掛け合わせによって生まれている。つまり、鳥取県は和牛のルーツの一つなのである。
 気高系というのは、昭和41年の第1回全国和牛能力共進会(5年に1度開催される和牛日本一を決める大会)で1等賞に輝いた雄牛・気高号の血統をいう。鳥取和牛は総じてオリーブオイルの主成分であるオレイン酸が高く、口溶けが良いとされる。その中で、脂肪中にオレイン酸を55%以上含有し、かつ気高号の血統を引き継ぐ牛の肉だけが「鳥取和牛オレイン55」と命名され、ブランド化されている。僕が食べたのはこの「オレイン55」のリブロースだったのである。どうりで旨いわけだ。

 よ~し、お腹も結構一杯になってきたが、折角なのでもう少し肉を食べよう。もう繊細な違いは分からないだろうから肉は普通の肉にしておこう。僕は“悦”の下の“福”コースの肉を追加でお願いした。

 肉が来た。言葉を失う僕。見るからに全然違う。色は暗い紅色というか紫に近い。サシもきれいに入っていない。味も押して知るべし・・・。
 お店の人に聞けば、“悦”は鳥取和牛の最高峰・オレイン55であるが、“福”は鳥取県産の牛のロース肉とのこと。えらい違いだ。注文する前に肉の違いを確認すべきだった。『たくみ割烹店』にいらした際は、是非“悦”以上の肉を召し上がって頂きたい。僕に最後に福は来なかったが、皆さんは“福”を頼まず、最高の福が訪れますように。

函館・青森のご当地グルメ(後編)

2017-01-02 19:22:25 | もう一度行きたい
 なんか風情ないな~。
 正直、これが北海道新幹線で青函トンネルを渡った僕の印象である。

 もっとも比較の対象は、ウン十年前、年末に上野発の夜行列車で青函連絡船に乗り帰省した学生時代の思い出であるが。
 ~ 寝台車に乗るお金がなく椅子席に座り、隙間風の入る窓から雪の降る外をぼんやり眺める。周りには、出稼ぎ帰りだろうか、ワンカップのお酒を片手にスルメをかじり、酒盛りをするおじさん達。東北訛りがどこか懐かしく心地よい。 ~
 う~ん、いいね、昭和だね、演歌だね、そう『津軽海峡冬景色』の世界だ。

 これに対し北海道新幹線は快適そのもの。かつての「八甲田」や「十和田」といった急行列車と違い、隙間風は入らないし、座席も倒せる(当たり前か・・・)。おまけにヘッドレストや電源コンセントまである。要は新幹線の新しい車両なのである。
 函館から青森までわずか1時間強。トンネルなので外の景色を楽しむことはできない。中国語は聞こえたが、東北訛りを聞くことはできなかった。それに真新しくきれいな車両はワンカップの雰囲気ではなかった。便利になったものの、少し寂しい気がした。

 実は、同じような印象を、楽しみにしていた“青森生姜味噌おでん”でも感じた。

 “青森生姜味噌おでん”は、凍てつく寒さの中、青函連絡船を待つ人の体を少しでも温めてあげたいと思った屋台のおかみさんが、おでんの味噌だれに生姜のすりおろしを入れたのが始まりだそうだ。それが青森市一帯に広まり、今では“生姜味噌おでん”は青森市の立派な観光資源の一つにまでなっている。
 が、どうだろう。お店で食べると、確かに生姜の味はするが、それ以外は普通のおでんである。“たれ”にこだわるよりは“だし”にこだわってくれた方がいい気がしないでもない。やはり“青森生姜味噌おでん”は、寒風吹きすさむ中、屋台で「んだ、生姜さぁ入ってから、あったまるだべ~」(注:方言は僕の想像)とか言われながら食べるからこそ美味しいのではないだろうか。おかみさんのやさしさで身も心も温まるのではないだろうか。

 暖房のきいたお店の中で食べた“青森生姜味噌おでん”は、ただの生姜味のおでんだった。食事の印象は、何を食べたかだけでなく、誰と一緒か、暑さ・寒さや天気、お店の雰囲気等々、食べた時の状況・シチュエーションにも大きく影響される。実際、あのとき朝早く青森駅に着いた僕は、連絡船に乗る前に冷えた体を温めたい、何か熱いものを食べたいと思った。あたりを見渡すと、6時過ぎだったので立ち食いそば屋しか開いていない。しかし、そこで食べたそばで、ただのかけそばだったと思うが、冷えた体が生き返ったことを覚えている。
 それがそばでなく、生姜味噌おでんなら良かった。それこそ“人生最高のおでん”になったかもしれない。青函連絡船なき今、かなわぬ夢である。

函館・青森のご当地グルメ(前編)

2016-12-28 00:01:09 | もう一度行きたい
 函館は、まさに「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう~」の、山下達郎の世界だった。が、その雪というのが、ちらちら舞い落ちるといったロマンチックな雪ではなく、傘が壊れるような強風の猛吹雪だったが。歩くのがしんどい・・・。
 この3連休、函館と青森に行って来た。ただひたすら食べては温泉に入るという優雅な(ぐうたらな?)旅。初日こそ強風に雨と雪で散々だったが、残り2日は好天に恵まれた。初の北海道新幹線に青函トンネル、これまた初の『ラッキーピエロ』と青森生姜味噌おでん、そして久々の『梅乃寿司』(2009/5/19 来た、見た、食った!(函館編)をご覧ください)と盛りだくさんで、楽しく、美味しい旅だった。

 さて、前編では函館グルメの紹介をしたい。活イカの刺身(スルメイカはかつてない不漁だったが、もうヤリイカ漁が始まっていた)や『梅乃寿司』(相変わらず仕事が丁寧で美味い)のことは以前書いたので、それ以外の話をする。

 まずは『ラッキーピエロ』。全国的に有名なご当地バーガーの店である。“秘密のケンミンSHOW”で見て、僕はずっと気になっていた。しかし函館での貴重な一食をバーガーに使うのはもったいない気がして、今まで食べたことはなかったのである。
 今回は妻の友人の勧めもあり、意を決し“ラッピ”へ。一番人気の“チャイニーズ・チキンバーガー”のセット(@650円)を頼んだ。甘辛味の鶏のから揚げとレタスのバーガーは、メインの唐揚げは勿論、バンズまで美味しい。フライドポテトも普通のポテトではない。チーズがとろっとかかっていて、これまた美味い。結構なボリュームだが、美味しさのあまり僕は即座に完食した。
 作り置きはしない、食材は地産地食つまりは北海道産、冷凍した肉は使わない等々のこだわり、どうりで美味いわけだ。メニューにバーガーだけでなくカレーやかつ丼まであり、もはやバーガー店の域を超えている。地元密着の大衆食堂だ。近所にお店があったら毎週のように通ってしまうだろう。

 次は『青龍軒』。塩ラーメンで有名な町の中華屋さんである。ここも有名な店だと後から知ったが、札幌育ちで味噌ラーメン好きの僕は塩ラーメンにあまり関心がなく、まったく知らなかった。妻がここの塩ラーメンが食べたいと言い、僕はビールと餃子で付き合うよと軽い気持ちで付いて行ったのである。
 ラーメンのスープが美味い。透明であっさりしているが、昆布の甘みと塩のバランスが絶妙である。こんな塩ラーメン食べたことない(もっとも僕は塩ラーメン自体あまり食べたことがないが・・・)。妻も大絶賛していたので秀逸な塩ラーメンに違いない。
 そんな僕が塩ラーメン以上に感動したのが“ザンギ(鶏のから揚げ)”。北海道民のソウルフード・ザンギを久々に目にした僕は、思わず注文してしまった。ザンギは、生姜やニンニクなどを入れた醤油だれに鶏肉を漬けこみ、から揚げにしたものである。概して味は濃い。が、『青龍軒』のザンギはラーメンのスープ同様あっさりめの味だった。イメージした懐かしのザンギと味は違うが、熱々のザンギはとても美味しかった。“ラッピ”のチャイニーズチキンも美味しかったが、から揚げとしては『青龍軒』に軍配が上がる。次回は他のメニューも食べてみたい。

 と、函館では、朝市で活イカとビール、寿司屋では日本酒、中華店ではやっぱりビールと、クリスマスとは程遠い食事だった。前回クリスマスにはシャンパンを!と書いておきながら面目ない。はてさて後編の青森は如何に。やっぱり・・・?

フィンランドの有名人・後編(北欧の話その6)

2016-10-15 11:16:06 | もう一度行きたい
 二人目は、前編のムーミンからはガラッと変わって実在の人物、あの『フィンランディア』で有名な作曲家“ジャン・シベリウス”である。

 『フィンランディア』は単に音楽として有名なだけではない。20世紀初頭のフィンランドの民族意識の高まりや独立運動との繋がりから、『フィンランディア』は歴史の中でも有名である。スメタナの『モルダウ』と一緒に世界史の教科書にも出ていたと思う。それがシベリウスを優れた作曲家であるとともに、歴史上の人物として、広く世界に知らしめている理由となっている。

 1917年ロシア革命の混乱に乗じて独立を宣言するまで、フィンランドに自らの国は存在していなかった。古くからフィンランドの地に人は住んでいたが、国を形作ることはなかったのである。12世紀以降はスウェーデンによる支配が長く続いた。スウェーデンの属国というか、スウェーデンの一部、州のような扱いだった。
 皮肉なことに、フィンランドが初めて国家の体をなすのは、1809年のロシアによるフィンランド大公国の建国である。当時のロシア皇帝アレクサンドル1世はフィンランドの自治を認め、その結果としてフィンランド国民の中に民族意識が芽生え始めたという。しかし、この基盤の脆い自由は長続きしなかった。19世紀の終わり急速にフィンランドのロシア化が推し進められ、彼らの自由は取り上げられた。こうした中で『フィンランディア』は作曲されたのである。

 ここまでは世界史の話。僕も詳しく知らなかったが、フィンランドの哀しい歴史はまだ続いていた。独立を宣言したフィンランドは、その後第二次世界大戦と前後し、新たな隣国・ソ連との戦いに巻き込まれてしまう。その戦いに敗れたフィンランドは、ソ連に主要な領土を一部奪われたのであった。
 そうした中、国威発揚のため『フィンランディア』に愛国的な歌詞が付けられ、『フィンランディア賛歌』が作られた。『賛歌』は愛国歌あるいは第二の国歌として今でもフィンランド国民に歌い継がれている。

 僕らはフィンランドの古都トゥルクにあるシベリウス博物館を訪れた。フィンランド唯一、ということは世界で唯一のシベリウスの博物館である。
 博物館は、トゥルクの中心部、マーケット広場から歩いて10分のところにある。トゥルク大聖堂の裏手、閑静な住宅街の中だ。館内にはシベリウス直筆の楽譜や日記・手紙のほか、彼の生い立ちや活動を説明するパネルが展示されている。彼は小さい頃からヴァイオリンを勉強していたといい、また姉や弟も楽器をやっていたというから裕福な家に育ったのだろう。
 建物の中央に小さなホールがあり、週1回ミニコンサートをやっているそうだ。それ以外の時は、椅子に座ってスピーカーから流れるシベリウスの曲を聴くことができる。リクエストに応じて曲を流してくれる。シベリウスの人生を想いながら、厳かな雰囲気の中で聴く『フィンランディア』は格別だった。

 トゥルクからタンペレに移動し、翌日、ムーミン谷博物館を見学した。その後電車でヘルシンキに向かったが、せっかくここまで来たのだからとハメンリーナで途中下車。シベリウスの生まれた町である。今でも生家が残っている。もっとも生家といっても借家である。こじんまりした平屋建てだった。
 医者をしていた父親は、シベリウスが2歳のときに亡くなった。その後一家は困窮し、ついには自己破産。兄弟そろって楽器を習う裕福な家かと思っていたら全然違うようだ。
 貧しい、苦しい中から音楽家として大成したシベリウス。フィンランドの人達は、そんな彼の人生にフィンランドの現状と将来の独立・繁栄とを重ね、希望を、生きる力を育んでいたのかもしれない。シベリウスの功績、そして音楽の力は本当に大きい。

だだちゃ豆とクラゲと『アル・ケッチァーノ』

2016-10-13 22:00:30 | もう一度行きたい
 そうだ、“だだちゃ豆”を食べよう。

 4月に突然思い立ち、ふるさと納税で山形県鶴岡市のだだちゃ豆をお願いした。8月に大量に届いただだちゃ豆は、茹でるのにも食べるのにも一苦労したが、強い甘みに濃い豆の味、やはり格別の美味さだ。心行くまで堪能した。

 ご存じない方のために簡単にだだちゃ豆の紹介を。
 だだちゃ豆は枝豆の一種である。が、そんじょそこらの枝豆とは訳が違う。枝豆界のスーパースター、そう、枝豆界のシャンパンである。フランス・シャンパーニュ地方で作ったスパークリング・ワインしかシャンパンと呼べないように、ここ山形県鶴岡市で作った豆しか“だだちゃ豆”と言えない。鶴岡の風土で育ってこそ、だだちゃ豆独特の美味しさが出るのだと言う。

 鶴岡市から、だだちゃ豆とは別に、ふるさと納税の御礼として市立加茂水族館の招待券が2枚送られてきた。あの世界一のクラゲ水族館である。
 これも何かの縁と思い、まあ先方の術中にはまった気がしないでもないが、鶴岡に行ってみることにした。ときは10月、もうだだちゃ豆は終わっているが、美味しい庄内の食材に沢山巡り会えるに違いない。僕は迷わず、庄内食材にこだわるレストランとして有名な『アル・ケッチァーノ』を予約した。あとは早起きするだけ・・・(勢いで羽田発6時50分の飛行機を予約してしまったのである)。
 
 朝8時に“おいしい庄内空港”(名前がすごい!)に到着。まずは早朝からやっている「さかた海鮮市場」で朝食。アオリイカや白バイ貝が美味しかった。
 そして加茂水族館へ。水族館としては小さいが、クラゲの展示には質・量とも圧倒される。さすがはギネスが認定したクラゲの種類数ナンバーワン。
 人を刺したり、大量発生し漁業に被害を与えたりと悪いイメージの多いクラゲ。しかし水槽の中のクラゲは繊細で、妖しいまでに美しい。色も様々だし、中にはネオンのように発光しているものまである。ずっと見ていても飽きない。癒される。

 さて、いよいよ『アル・ケッチァーノ』へ。市内からタクシーで15分、随分寂しい所にある。
 有名な奥田シェフの『アル・ケッチァーノ』、僕の期待は大きく、より楽しめるようにと事前にネットでお店のことを調べてみた。すると賛否両論、いや、どちらかというと厳しい意見の方が多かった。奥田シェフは忙しくて店にいない、商業主義だ、まったく味がない、こんなのイタリアンじゃない、値段の割に店が貧相、等々。大丈夫だろうか。

 で、実際に行った感想であるが、やっぱり僕の中でも賛否両論(笑)。アミューズを入れて料理は14品。美味しいものもあれば、ごく普通のものもあった。玉石混交。ソースをなるべく使わない、必要以上に手を掛けない奥田シェフの料理、やはり素材が命だ。鯛やサンマなど魚は美味しかった。確かに味は薄い。ほとんどのものにコショウをバリバリ掛け、ときどき塩も振った。案の定、奥田シェフは不在だった。
 庄内の美味しい食材を沢山味わって欲しいとの親切心なのだろうが、一皿毎のポーションは小さいものの計14品の料理、その量たるや半端じゃない。妻だけでなく僕でも途中でお腹いっぱいになってしまった。
 あと料理の出てくる速さに驚いた。4種類のコースのみというのもあるが、満席のテーブルに次から次へと小気味よく料理が運ばれていく。相当下ごしらえ、あるいは冷製のものなどは作り置きしているのだろう。

 平日の夜はアラカルトもやっているようだ。年とともに食が細っているので(不思議と体の方は全然細らないが)、今日の量は若干辛かった。今度はアラカルトでゆっくり料理を味わってみたい。できれば奥田シェフのいらっしゃるときに。

フィンランドの有名人・前編(北欧の話その5)

2016-10-04 00:13:54 | もう一度行きたい
 あなたは「フィンランドの有名人は?」と聞かれたら誰を思い出しますか?

 Linuxの開発者? 失礼、名前を忘れてしまいました。
 ノキアの社長? フィンランドの会社ですが、社長はフィンランド人でしょうか?
 それとも、F1好きの方であればハッキネンやライコネン、スキージャンプがお好きな方であればニッカネンやアホネン、といったところでしょうか。あとはサンタクロース・・・。

 残念ながらサンタの住む村は遠いので、僕らは彼に次ぐフィンランドの有名人に会いに行くことにしました。
 
 一人目は“ムーミン”。

 みなさんご存じかと思いますが、ムーミンはカバではありません。フィンランドのどこかにある“ムーミン谷”に住む妖精の一種です。もう一度言います、妖精です。人を見かけで判断してはいけませんね。

 ナーンタリという町に“ムーミンワールド”というテーマパークがあって、夏の間だけオープンしています。今年は僕らがフィンランドに着いた8/25が最終日でした。僕らは、その日の早朝、隣町のトゥルクに着いたのですが、“ムーミンワールド”はお子様向けな感じがしたので行きませんでした。さすがにムーミンの着ぐるみに会って「嬉しい!」と感激する年ではないので。

 その代わり、タンペレの“ムーミン谷博物館”に行ってきました(因みに、今の博物館は10/30で閉館し、来年5/9に新しい場所にオープンします)。タンペレは、トゥルクから特急電車で1時間半くらいのところにあるフィンランド第2の都市です。もっとも人口は22万人しかいません。湖に囲まれたきれいな町です。
 博物館には、作者トーベ・ヤンソンが寄贈したムーミンの原画やムーミン屋敷の模型(ドールハウス)など多くの作品が展示されています。写真撮影は禁止で、カメラのシャッター音がすると屈強なお兄さんが飛んできて注意されてしまいます(体験談)。
 日本語のパンフレットがあり、ムーミンに詳しくなくても充分展示を楽しむことが出来ます。ただ説明の番号と展示の番号や順番が微妙に違うところがあり、若干の努力と忍耐が必要ですが。

 実は、僕はムーミンのアニメを見たことがないし、ムーミンに関する知識といえば主な人物の顔と名前を知っている程度でした。彼らの性格は勿論、ムーミンのストーリーもほとんど知りません。
 そんな僕ですが、今回博物館でムーミンの世界に触れ、ムーミンに対する認識を新たにしました。ムーミンを、童話や子供向けアニメだと考えてはいけません。大変奥の深い話です。「深イイ話」に投稿したいくらい。友情、勇気、やさしさ、そしてユーモアと皮肉。子供に教えたいだけでなく、知れば自分もちょっぴり元気になれる、名言、人生訓がびっしり詰まっています。
 やはりフィンランドの長い冬は人を哲学者にするのでしょうか。一度ムーミンの小説をしっかり読んでみようと思いました。

 で、二人目は・・・と行きたいところですが、思いのほか長くなったので、それは次回に。

スウェーデンで和食の偉大さを知る(北欧の話その4)

2016-09-28 22:23:14 | もう一度行きたい
 ストックホルムの“Smorgastarteriet”(注:正確には oの上に・・、両方のaの上に〇が付く)というレストラン、今回の北欧旅行で一番印象に残っている店である。

 まずはこの店に行った経緯から。
 僕らは、残念ながら、コペンハーゲンであまり美味しい食事にありつけなかった。中でも最悪は、夜遅くでも開いていた地元のステーキ・チェーン店。ミディアム・レアを頼んだのに出てきたのはどう見てもウェルダン!仕方なくそれを食べ(お腹が空いていたので)、僕らはスゴスゴとホテルに戻った。
 ホテルに帰った僕は、怒りにわなわなと震え(?)、「よ~し、ストックホルムでは絶対美味いもの食うぞ!」と決意したのである。早速ネットで「トリップアドバイザー」を開き、明後日の夜に予約できる一番順位の高い店を予約した。それがこの“Smorgastarteriet”である。2,500軒を超すストックホルムのレストランの中で確か第5位だったと思う。
 
 お店はストックホルム中央駅から北へ、タクシーで6、7分の所にある。Vasaparkenという公園のすぐ側。一応上着を着て行ったが、無くても構わないカジュアルなお店だった。
 が、値段はまったくカジュアルではない。料理はコースのみでスウェーデン・クローナ(SKE)750.-。それにワインのペアリングSKE650.-を付け、〆て一人SKE1,400.-、日本円にして一人17,000円もした。

 コースは、アミューズを含め料理6品とデザート2品。それにワインを5杯(盛りがいい!)付けてくれた。6品も料理が食べられるかと心配する必要はない。料理はどれも小ぶり。そして見た目が美しい。手が掛かっている。まるで懐石料理を食べているようだ。料理は月替わりであり、これもまた懐石っぽい。旬の食材(スウェーデンの場合、種類は少ないと思うが)を味わって欲しいという配慮であろう。

 この料理の印象から、ウェイターに「シェフは日本料理の勉強をされていたのか?」と聞いてみた。「特に勉強はしていないが、彼は“Esperanto”で修行していたので、あの店はフュージョン、多国籍だから、その影響ではないか。」との答えだった。
 “Esperanto”ってなんだ? エスペラント語なら知っているが、そんなレストランは知らない。ただ彼の口ぶりが知ってて当然的な感じだったので、取り敢えず、なるほどと頷くふりをした。

 後で調べたところ、“Esperanto”はストックホルムにあるミシュラン1つ星のレストランだった。ホームページには、「ここ数年私たちは日本料理に情熱を傾けており、我がスカンジナビアの土壌と日いづる国の香り、技、器、さらにはその美学との融合を料理で図ろうとしている。」と書いてある。
 なるほど、漸く合点が行った。“Esperanto”の人たちは、彼らの料理を和食のように五感で楽しんで欲しいと考えている。ここのシェフもそうした思い、和食への憧れを引き継いでいるのだろう。

 ん、ちょっと待って。去年行ったリスボンのミシュラン2つ星レストラン、“Belcanto”(ベルカント)でも和のテイストが感じられた。最近まで日本人シェフが働いていたというし、その料理にも、全体に小ぶり、美しい盛り付け、触感や組み合わせの意外性など和食の良さが取り入れられていた。
 思うに、ヨーロッパのレストラン、とりわけフランスやイタリア以外のレストランが、それこそ星の数ほどある西欧料理のレストランの中で注目されミシュランの星を獲得するには、何か強い個性・特徴がないと無理なのではないだろうか。料理が美味しいのは当たり前で、さらなる喜びや感動を与えるプラス・アルファが。
 このプラス・アルファとして、今、和食がヨーロッパで脚光を浴びている気がする。世界遺産となった和食、やはりその力は伊達じゃない。日本から遠く離れたスウェーデンの地で、僕は改めて和食の素晴らしさを認識した。

移民の効用?(北欧の話その3)

2016-09-22 11:10:32 | もう一度行きたい
 コペンハーゲン2日目、市内散策。
 この日、2人のイタリア人と出会った(デンマークでの話です、念のため)。

 一人目はシェフ。
 出会ったのは、早めの昼食で訪れたシーフード料理の店。市内中心部、ストロイエ通り(世界一長い歩行者天国らしい)のデパート「イルム(ILLUM)」のレストラン街にある。時間が早かったせいかお店の人が少なく(因みに客も僕らだけ)、奥にいた彼に質問したのがきっかけだった。
 彼はコペンハーゲンに経済学を勉強しに来たという。経済学ならイギリスでは?と思ったが、そもそもなんでシェフを?と思い尋ねてみた。すると、彼曰く「なんでって、イタリア人だからさ。」うん、妙に納得。

 二人目はバーテンダー。
 “Ruby”というバーで、中心部のはずれ、クリスチャンスボー城を臨む運河沿いにある。店の看板もなく入口が極めて分かり難いが、オリジナルのカクテルが美味しい店だ。コペンハーゲンに行く機会があれば、お酒好きの方は是非訪ねてみて欲しい。
 僕らはカウンターに座ったが、30代くらいのきれいな女性が目の前でカクテルを作ってくれた。シェーカーを振る姿がとってもクール。聞けば、彼女もイタリア人。ブーツのかかとと言うから、プーリアの出身だろう。

 単なる偶然なのか、コペンハーゲンで話したのが続けざまにイタリア人だったとは。それとも、イタリア人は暑いイタリアに疲れ、涼しさ(寒さ?)を求め、ここデンマークに大挙してやって来ているのだろうか。

 最近のデンマークは移民や難民の受け入れに極めて厳しい。外国人は、たとえデンマーク人と結婚しても、簡単にデンマークに住むことができないという。偽装結婚を恐れているのである。以前は労働力として移民を歓迎していたデンマークであるが、高福祉へのただ乗りと批判され、また最近では犯罪やテロの問題もあり、移民への規制が強まっている。
 もっとも日本と同じ単一民族国家で人口僅か 570万人のデンマークに既に60万人近い外国人がいるというから、人口の2%弱しか外国人の居ない日本がとやかく言える話ではない気もするが・・・。

 しかし、イタリアなどEU加盟国の人間に移民規制は関係ない。なぜならEUは基本目標の一つとして、EU市民がEU内を自由に移動し、居住し、働くことを可能にする「域内国境のない領域」を掲げているからである。つまり、EU全体が一つの大きな国のようなものである。
 ただEU内での移民についても、加盟国間の経済格差の存在により、今なお種々議論がある。事実、移民問題はイギリスがEUを脱退した理由の一つであった。

 一般に、食材の豊かな国の方が料理に懸ける情熱、探究心が強く、必然的に料理人の腕が上がると思う。そう考えると、デンマーク人の作る料理より、イタリアやフランスのシェフの料理の方が断然美味しい気がする。気候が厳しく農業に向いていない北欧は、食材の種類に乏しく、料理はいたって素朴である。
 そうそう昔イギリスに行ったとき「食べるならイタリアンか中華が良いよ。両方ともイギリス人が作ってないから。」と聞いたことを思い出した。なにせ1970年代にEC(EUの前身)に加盟するまで、新鮮な野菜を出すだけで“よく手に入ったね”とか“ご馳走だ”とか言われたイギリスの話である。デンマークなど北欧も大差ないであろう

 最後に、胃袋の出した結論:むやみに移民を規制してはいけない、移民には意味がある!


豊かさと幸せ、そして日本の将来(北欧の話その2)

2016-09-15 01:05:53 | もう一度行きたい
 ストックホルムからフィンランドのトゥルクという町までフェリーで渡った。フェリーは島々の間をぬって走る。市場で買った塩茹でのエビ(これが旨い!)とスモークサーモン(これもまた旨い!)をつまみに、ワインを飲みながら、ぼーっと外を眺めていた。大きな島もあれば、小さな島もある。どの島も船がなければ辿り着けないだろう。島は木々の深い緑に覆われている。橋はないし、おそらく道路もほとんどないと思う。
 が、しかし、なんとそこそこの大きさの島には大抵家が建っている。小さな集落もあれば、ポツンと1軒建っているのもある。ストックホルムから船で1、2時間とはいえ、さすがにここから通勤する人はいないだろう。別荘、サマーハウスに違いない。スウェーデンの人口は1千万人弱。ほとんどの家が別荘を持っているのかと疑うほどの数だ。スウェーデンの人は意外にお金持ちなのかなと、住宅ローンを抱え別荘など夢のまた夢の僕は羨ましく思った。
 そういえば、コペンハーゲンで市内の運河巡りをしたときもそう感じた。運河にはヨットやボートが所狭しと泊められている。船着き場を持った家にお洒落なコンドミニアム。う~ん、やっぱり金持ちはどこの国にもいるんだな、と。

 確かに一人当たり名目GDP(単位:米ドル、2015年、IMF)を見ると、北欧の国は皆日本より高い。デンマークは 52,114で8位、スウェーデン 49,866、12位、フィンランド 41,974、19位。これに対し我が日本は32,486で26位・・・。因みに今回行けなかったノルウェーは 74,822で堂々の4位であり、米国(55,805で6位)よりも上。まさに恐るべし北欧。
 もっとも北欧は国民負担率(国民所得に対する国民全体の税金と社会保障の負担割合)も6~7割と世界のトップクラス。日本の国民負担率は44.4%(平成27年度)と今のところまだ低い。消費税だけを見ても、北欧3国は25%(注:フィンランドは24%)。北欧の人々は高負担高福祉を受け入れている。行き届いた高齢者福祉は有名であるが、医療や教育も原則無料。また北欧の国々は所得格差が小さいとの特徴もある。

 ところで、国連の最新の幸福度ランキング(2016)を見ると、デンマークが栄えある第1位、そしてノルウェー4位、フィンランド5位、スウェーデン10位と、北欧の国は皆トップテンに入っている。悲しい哉、日本は53位、おまけに年々順位が低下している。

 なぜ北欧の人はそんなに幸せなんだろう。

 わずか1週間の短い滞在であったが、僕が思うに、北欧の人達は“あるがままを受け入れている”から幸せなのではないだろうか。無い物ねだりというか、そこに無い選択肢は考えないのである。
 例えば、日光浴。北欧では多くの人が日光浴しているのをよく見た。特に何かするわけでもなく、ただ座って日を浴びているだけ。それ自体が目的なのである。安上がりで良いが、他にやることがないのかと要らぬ心配をしてしまう。
 食事にしてもそう。寒さの厳しい地方ゆえ穫れる農作物は限られている。その種類は温暖な日本の比ではない。市場やスーパーを随分見たが、珍しいものはほとんどなかった。
 絶対的な自然の力を前に、冬が長く日照時間が短い、寒さゆえ食材の種類が乏しい等の現実を所与のものと受け入れ、その中での生活に喜びを見出し、満足してきた北欧の人たち。我々日本人から見ると選択肢の限られたシンプルな生活、刺激の乏しい生活かもしれないが、可能な選択肢の枠内では自由なのである。また、所得格差が小さく皆同じような生活水準であるため、他人と比べたり、羨んだりする必要もないのであろう。
 
 最後に少し飛躍した考えだが、こうした国民性ゆえ北欧では高福祉高負担が成立し得たのではないだろうか。厳しい自然を受け入れ共存して来た人たちだからこそ、社会民主主義が根付いた、高負担を受け入れる土壌があった気がしてならない。個人主義の強い中国が共産主義の理念と程遠いのも仕方がないと思う。
 と言いつつ、政治がだらしなく、国民の権利意識が強い日本は、果たして将来高負担を受け入れることが出来るのだろうか。

『コペンハーゲン・プライド』そして宴の後(北欧の話その1)

2016-08-31 00:04:58 | もう一度行きたい
 夏休み、避暑を兼ね、北欧へ行ってきた。というとお洒落に聞こえるが、実は飛行機がヘルシンキ便しか取れなかったのである。デンマーク、スウェーデン、フィンランドを駆け足で回ってきた。
 穏やかなイメージのある北欧であるが、旅の始まりはまったく逆、極めて鮮烈な出来事から始まった。

 成田からヘルシンキは飛行機で9時間。ヨーロッパとは思えない近さ、これは楽である。飛行機を乗り継ぎコペンハーゲンに着いたのは夜の8時過ぎ。まずはデンマーク料理をと思い、散歩がてら繁華街へと向かった。ライトアップされたチボリ公園がきれいだ。
 市庁舎前の広場でライブをやっている。広場を埋め尽くす人々。少し露店も出ているし、日本の夏祭りのようなものだろう。土曜日の夜、短い夏を皆大いに楽しんでいる。広場の隅を、人を掻き分けながら進み、漸く目指す通りに入った。

 なんだ、こりゃ?

 前に進めない。道路を占拠し、踊り、酒を飲み、大騒ぎする人、人、人。
 これもお祭りの一環で歩行者天国、いや路上クラブ(?)にでもなっているのだろうか。大音量の音楽が響く。道路にはビール缶や酒瓶が転がり、容器や食べかすが散乱している。中には派手な女装をしている男性もいる。意外に年配の方が多い。
 北欧の人は、物静かで思索にふけ、人生とは・・・などと語る人を勝手に想像していたが、ここにいる人達はまったく違う。真夏の夜の夢? やはり、直にやって来る暗く、寒く、長い冬を思えば、短い夏の一夜、ばか騒ぎの一つでもしたくなるのだろうか。であれば観光客の僕が文句を言えた義理はない。
 結局、僕らはほんの20mくらい行ったところでギブ・アップ。人にあたったというか、その喧噪に疲れてしまった。もう、これ以上は進めない。横道にそれ、目指すデンマーク料理は諦めざるを得なかった。おかげで北欧での初ディナーは、なぜかトルコ料理(それもケバブとかのファストフードの店)になってしまった。

 翌日、とあるお店の人から昨日の騒ぎはただの夏祭りではないと聞いた。なんと『コペンハーゲン・プライド』というLGBT(性的少数者)の世界的なイベントだったのである。確かに今にして思えば、レインボーの旗を何度か見たし、セブンイレブンの看板もレインボーになっていた。
 このイベントは8/16から8/21まで行われ、昨日(8/20)はイベント最大の呼び物である『プライド・パレード』があったという。今年は20周年ということもあり、世界各地からパレードに人が集まったそうだ。あの大騒ぎはパレードの打ち上げだったのである。

 デンマークは世界で初めて同性婚を認めた国だという。それが1989年。そんな経緯もあって『コペンハーゲン・プライド』は始まったのであろう。今ではイベントの参加者は20万人以上というし、市民も一緒にイベントを楽しんでいるようだ。セブンイレブン以外にも、スカンジナビア航空(SAS)、マイクロソフトなど名だたる企業がイベントを協賛している。市庁舎前のライブは靴のecco の協賛だった。

 LGBTの多様性を認め、尊重するデンマークの懐の深さを垣間見た気がした。
(もっとも僕の通りを自由に歩く権利も尊重して欲しかった!)

ハーレムでゴスペルを聴いたけど・・・(ニューヨークの話その2)

2016-05-17 21:31:08 | もう一度行きたい
 ニューヨークで教会の日曜礼拝に行った。ハーレムにゴスペルを聴きに行ったのである。僕らはブログを調べ、とても評判の良かった教会、メモアリアル・バプティスト教会(Memorial Baptist Church)を選んだ。地下鉄の駅(116th Street)からのアクセスも良い。ハーレムも以前に比べ治安は格段に良くなったというが、やはり裏通りや路地を歩くのは避けたかった。

 駅から5分ほどで教会に着いた。まだ少し時間が早く、僕らは下の部屋で待つように言われた。そこは結構大きな部屋で、皆に朝食がふるまわれている。信者の方や教会の関係者の方が食事をしていた。僕らは信者でもないしホテルで朝食を済ませていたのでご馳走にはならなかった。が、これが日曜朝の教会の風景なんだ、慈善の食事なんだと、自分が教会にいることを妙に実感できて良かった。ゴスペルへの期待も高まって行く。

 と、ここまでは良かったが、実はここから先がちょっとがっかり。映画やテレビで観るのとは全然違う、観光化しすぎている、というのが僕の正直な感想である。

 さて、時間となり礼拝堂に入ろうとしたところ、なんと入場料として一人10ドル取られた。当然それなりに献金をするつもりでいたが、教会なのに入るだけでお金を取るんだと唖然とした。おまけに入口で係りの方に座る席まで指定される始末。教会というより、どこかのライブハウスにでも来ているような感じだ。
 外国人らしき団体客が入って来た。そして、あたりにはフランス語が響く。なんちゃって仏教徒の僕が言うのもなんだが、えっ、あなたたちはカトリックじゃないの?(注:ここはプロテスタントの教会)と思ってしまった。教会には200人近くいたと思うが、おそらく地元の信者の方は1割もいないだろう。

 そうこうするうちに牧師さんのお話というか歌が始まった。本当に教会で歌うんだなと改めて感心したのも束の間、すぐ聖歌隊も歌に加わった。手拍子が始まる。数少ない信者の方が立ち上がるのに合せ、皆も立ち上がる。会場内は俄然盛り上がり・・・と言いたいところだが、ちょっと違う。映画等で観るゴスペルの場面とは違い、一体感に欠けている。自ら進んでというより、やらされている感。全体に醒めた雰囲気である。
 でも、そりゃそうだよね、ほとんど観光客なんだから。それに宗教・宗派が違ったり、僕みたいに英語がよくわからない人間もいるのだから。

 それに歌詞にも違和感が。やたらジーザス、ジーザスと連呼したり、あなたが最高!と繰り返し歌ったり。不謹慎ながら、ジーザスはあなたのお友達でしたっけ、と聞きたくなってしまう。多神教の日本人は、一神教の感性にちょっとついて行けない気がする。また、一神教は唯一絶対の存在に従うため、良からぬ人たちに利用されやすいのかもしれないなどと思い、少し怖い気もした。そう、キリスト教もイスラム教も元は一緒だし。
 時間にして1時間くらいだろうか、ゴスペル主体の部が終わり、観光客はほぼそこで退場。若干消化不良気味のゴスペル体験だった。

 実は後で気が付いたが、この教会を絶賛していたブログはいずれも古いブログだった。10年近く前なら、この教会もアット・ホームな雰囲気で、信者の方との暖かい交流を楽しめたのである。どうも観光客が増えたせいで商業主義に走ってしまったようだ。次に行くときは、まだ観光客の少ない穴場の教会を探すことにしたい。

ラッシュ・チケットを買ってオペラに行こう!(ニューヨークの話その1)

2016-05-09 22:20:37 | もう一度行きたい
 オペラは高い。とても気軽には行けない高嶺の花だ。
 10年前に来日したニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演、『椿姫』のS席はなんと64,000円もしたという。ソリスト、合唱団、オーケストラ、衣装、大道具・小道具等々、数百人規模のキャスト、スタッフが来日するのだから無理もない話かもしれないが。
 もっとも新国立劇場など日本のオペラでもS席は2万円前後が相場であり、やはりオーケストラなどの公演に比べ高いことに変わりはない。

 このゴールデン・ウィーク、ニューヨークに行って来た。滞在はニューヨークのみ、5泊した。
 「またとない機会だからオペラを観よう、メトロポリタン歌劇場に行こう。現地ならオペラも安いに違いない。」と、僕は高を括っていた。が、なんたる無知。その料金を見てびっくり。まったく安くない。というか高い! 一番良い席は500ドル近いし、そこそこの席をと思うと200ドル以上はする。ああ、やっぱりオペラは高嶺(高値?)の花か。

 ショックを受けた翌日、時差ぼけで朝早く起きた僕は、ガイドブックのオペラのページを改めて読み直した。立ち見の当日券がある。1階の一番後ろで25ドル、5階の一番後ろで17ドル。これは安いが、この年になると2時間も3時間も立っているのは辛い。それにこの場所では舞台もろくに見えないだろう。というわけで却下。
 次にラッシュ・チケット25ドルというのを発見。なんだこりゃ?と思いながらも、その安さに釣られ、ネットで調べてみた。

 ラッシュ・チケットというのは、売れ残っている席の一定数を当日の正午(土曜日は、マチネは開演4時間前、夜は午後2時)からオフィシャルサイトで販売する仕組みだという。早い者勝ちで、1人2枚まで買うことができる。購入は1週間に1回のみとの制限があり、事前登録が必要とのこと。本当かどうかはわからないが、最も良い席を販売と書いてある。
 よし、これしかない。これが飛行機と宿で既にお金を使い果たした僕がオペラを観る唯一の方法だ。今日(5/2)の演目は『オテロ』。念のため残席があるのを確かめたうえで僕は事前登録をした。住所、氏名、メールアドレスなど、ごく簡単な内容である。あとは幸運を願うのみ。

 グリーン・マーケット(朝市のようなもの)に買い出しに行き、12時前にホテルに戻って来た。そしてパソコンを立ち上げメトロポリタン歌劇場のサイトを開き、スタンバイOK。12時と同時にラッシュ・チケットのページを開いた。
 おっ、確かに良い席が売りに出ている。幸運にも1階J列、前から10列目の右端寄りの席をゲットできた。通常200ドル以上する席がたったの25ドルである。日本で松竹がやっているMETライブ・ビューイングが@3,600円だから、それよりも安い。これなら僕でも気軽にオペラに行ける。もしニューヨークに住んでいたら毎週でもオペラが観られるかもしれない。
 う~ん、身近にオペラのある生活、憧れるな~。MET最高!

滋賀への旅 ~ 祝・47都道府県制覇

2016-04-09 19:40:11 | もう一度行きたい
 久々の一人旅。新幹線で西へ、滋賀へと向かっている。新幹線を降りた途端、今回の旅の目的はほぼ達成される。そう、今回は滋賀県に行くこと自体が目的なのである。これで漸く47都道府県すべてに行ったことになるからだ。

 僕のルールとしては、車や電車で通り過ぎただけでは認めず、実際に降りてそこの土を踏み、観光なり仕事なり何らかの足跡を残して、初めて“行った”とカウントしている。特に47都道府県制覇に情熱を注いでいたわけではないが、旅好きに加え、以前は出張で地方に行くことが多く、気が付けば46都道府県を訪れていた。
 残すは滋賀県だけとなったのは、もうかれこれ10年以上も前。46番目に行ったのは和歌山県だが、それから10年、滋賀に行く機会はなかった。いや、行こうという意欲があまり沸かなかったのである。わざわざ琵琶湖を見に行く気もしないし、近江牛だって東京で食べられるし、良い温泉もなさそうだし等々、行くぞ!という理由が見つからなかった。
 が、「それじゃダメじゃん」と一念発起し、一人、新幹線に飛び乗った次第。

 ブランド総合研究所が、毎年「魅力度47都道府県ランキング」を出している。滋賀県の最新の順位は堂々の(?)43位。どうもこの辺りが滋賀の定位置のようである。因みにその下は埼玉、群馬、佐賀、茨城。個人的には、有田、伊万里、唐津の焼き物や、嬉野温泉、呼子の烏賊に伊万里牛と魅力たっぷりの佐賀県が46位というのは納得いかないが、他は、まあ、そうかなあといった感じ。
 はてさて、実際に行った滋賀県はどうだろう。続きは帰りの新幹線で。


 行って来ました、滋賀県。金曜の夜から一泊二日の駆け足の旅。新幹線で米原まで行き、乗り換えて今回の宿泊地である彦根へ。居酒屋で遅い夕食を取った。翌日は彦根城など彦根市内を散策した後、近江八幡に移動。昼食に近江牛のステーキを食べ、八幡堀など市内を散策し帰路についた。
 これが最初で最後かもしれない僕の滋賀の旅の概略である。

 滋賀はのどかで住むには良いところだと思う。これは本当にそう思う。しかし、観光地としてはどうだろう。パンチに欠けるというか、他県に誇るスペシャルなものがない気がする。信長の安土城が残っていれば違ったかもしれないが、彦根城ではパワー不足は否めない。ちょうど桜が満開できれいだったが、この時期桜ならいたる所で咲いている。
 また、彦根でも近江八幡でも、地場のスーパー・平和堂に行き食品売り場を見たが、取り立てて珍しいものはなかった。そして、なにより東京から遠い。もっとも『秘密のケンミンSHOW』を見ていたら、京都や大阪の人は滋賀県のことを、琵琶湖しかない、関西で一番影が薄いと言い、あまり行かないらしい。では、いったい誰が滋賀県に行くのだろう。

 もう割り切って、滋賀県は滋賀県民のものと考えるべきなのだろうか。いっそのこと独立するとか。それで県境に関所でも設けて出入りをチェックすれば、かえって珍しがられて人が来るかもしれない。信長、秀吉、石田三成など歴史ロマンあふれる滋賀県、近江国にタイムスリップという謳い文句は如何だろう。
(と言いつつ、後ろから中国語が聞こえてきて、すぐ現実に引き戻されるかと思いますが・・・。)


ポルトのマリア(ポルトガル紀行3)

2015-12-21 22:26:41 | もう一度行きたい
 さて、今日はファティマの聖母マリアではなく、ポルトのマリアの話である。

 “ポルト”と聞いてすぐにピンとくる方は、ワイン好きの方か、大のサッカー・ファンのどちらかだろう。それ以外の方は、どこの国にあるかさえ怪しいのではないかと思う。ポルトはポルトガル北部にあり、ポートワインの産地として、あるいはサッカーの強豪クラブ・FCポルトの本拠地として有名な都市である。
 また、ポルトガルの国名はポルトに由来する等、ポルトは大変歴史のある街である。旧市街地は1996年に「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録されている。最近はLCCの普及により、英・独・仏などからの観光客が増えているそうだ。

 ポルトは小さな街なので主な観光名所は歩いて回れる。大聖堂、グレリゴス教会などの歴史ある建物、ドウロ川に架かる鉄橋、ドン・ルイス1世橋、アズレージョ(タイル画)で有名なサン・ベント駅、ハリー・ポッターの撮影に使われた、世界で最も美しい本屋の1つといわれるレロ・イ・イルマオン(なんと本屋なのに入場料を取られる!)など、見どころは多い。そしてワイン好きにはドウロ川の対岸にあるポートワインのワイナリー巡りも楽しい。

 海外に行ったとき、レストラン探しに“トリップ・アドバイザー”のサイトをよく見る。ガイドブックも良いが、情報が古かったり、味よりもただ老舗/有名といった店が多かったりするからだ。
 パソコンで調べると、はえあるポルトのレストラン・ランキング第1位は『Bacchus Vini』というワイン・バーだった。ドウロ川沿いのレストランやバーの集まったエリアにある。ドン・ルイス1世橋の近くだし、眺めも良いだろう。よし、これは行くしかない。
 
 予想に反し、『Bacchus Vini』は目立たない、カフェというか、日本の喫茶店、そうドトールのような店だった。これが1位? と一抹の不安を感じたものの、来たからにはワインを飲まないわけには行かない。メニューを見ると、ポルトガル・ワインのテイスティング・セットがいろいろある。うーん、少しずついろんなワインを飲みたい観光客にはぴったり。これが 1位の理由の一つなのだろう。僕らはポルトガル白ワイン 5杯セット(レゼルバ=ちょっと高めのセット)を頼んだ。

 しかし、本当の1位の理由は、オーナーのマリアだった。マリアはまだ若い(確か25歳?)が、ワインの知識が豊富。飲んでいるワインは勿論、ポートワインのことを聞いても、親切に教えてくれる。若さからくる一生懸命さというか情熱が、ひしひしと伝わってくる。彼女は語学が堪能。ポルトガル語は勿論、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語等多くの外国語を話せるようだ。これも観光客に愛される理由なのだろう。
 マリアにトリップ・アドバイザーの話をすると、やはり彼女も順位をチェックしていた。なんと 1位になったのは昨日が初めてとのこと。が、今日は 4位に下がったと残念がっていた。彼女の話とワインを楽しんだ僕らは、翌日彼女お勧めのポートワインの酒蔵テイラーズを訪れ、夜、また『Bacchus Vini』にお邪魔した。今度はポートワイン 6杯セットを注文し、ポートワインの種類の違いを心ゆくまで味わったのだった。

 できて間もないドトールのような店を、1,000軒を超すポルトのレストランのトップにしたマリア。なにも奇跡ではなく彼女の努力の賜物である。天は自ら助くる者を助く。マリアという名前もあり、努力するマリアには神のご加護もあるのだろう。年とともに日々怠惰になっている自分が恥ずかしい。

リスボンのお勧めレストラン(ポルトガル紀行その2)

2015-10-20 00:01:54 | もう一度行きたい
 ポルトガル料理といえば、やはりバカリャウ(干した塩ダラ)抜きには語れない。一年365日、毎日違うレシピで食べられるという、その豊富な料理のバリエーション。目の前が海で、いくらでも新鮮な魚介類が手に入るのにポルトガル人は塩漬けのタラの干物が大好物。いわばポルトガル人のおふくろの味なのである。
 因みにポルトガル近海でタラは獲れない。タラは寒流の魚であるが、ポルトガルの横を流れるのは暖流の北大西洋海流。ポルトガル人は、はるか大航海時代の昔から、ノルウェー沖やカナダのニューファンドランド沖まで行ってタラを獲っていた。冷蔵技術のない時代、船での保存は塩漬け。長い年月を掛け、ポルトガル人のDNAに塩ダラ好きが刷り込まれて来たのであろう。
 また、この塩ダラ好きのせいか、あるいは昔も今も塩田での塩づくりが盛んなせいか、はたまた暑いせいか、ポルトガルの味付けは全体に塩辛い。苦手な方は「塩を少し控えめに」というポルトガル語を覚えて行くことをお勧めする。

 さて、DNAに塩ダラ信仰の刷りこみのない僕らは、ポルトガルでバカリャウではなく、海老、カニ、タコなどを食べていた。いくつかリスボンで気に入ったお店を紹介したい。

 ホテルで新鮮な魚介類を食べたいと言ったところ紹介されたのが ”Cervejaria Ramiro”(ラミーロ)。夕食時、店の前は大行列だった。観光客も多いようだ。列の後ろはシンガポール在住の中国人だったし、隣に座ったのはオーストラリア人のカップルだった。店は大衆食堂の雰囲気。安くて、とにかく量が多い。新鮮な魚介類をとことん堪能するにはもってこいの店だ。
 僕らは、茹でた海老、カニ(イチョウガニ?)、ペルセベス(カメノテ)を食べた。特にカニみそが旨い。カニのむき身をカニみそと少し酸味のあるソースであえたものが、甲羅いっぱいに詰っている。そのまま食べたり、パンに付けて食べたり、いい酒のつまみである。またハサミではなく、ハンマーが出てきたのにはちょっと驚いた。あと日本人としては、やはり日本のカニスプーンが欲しかった(日本から輸入すれば売れるかな?)。

 翌日はガイドブックを見て、”Solar dos Presuntos”(ソラール・ドス・プレズントス) へ。またまた海老、カニを食べた。この店の方が料理もインテリアも、それに店員も洗練されている。値段も若干高い。皿に無造作に海老・カニが置かれていたラミーロに対し、こちらは皿に氷が敷かれ、その上に海老・カニがきれいに並べられていた。カニみそのソースもラミーロとはちょっと味が違う。むき身の量の違いかもしれないが、昨日よりマイルドで、僕はこちらの方が好みだった。ここも人気店である。時間が遅かったので並ばずに入れたが、店は3階までいっぱいだった。

 リスボンでもう1軒、是非とも紹介したい店がある。それは”Belcanto”(ベルカント)。ミシュラン1つ星の店である。高級店なのに、僕らはベルカントに飛び込みで行った。乗ろうとしたポルトに向かう特急列車がいっぱいで、急に2時間の待ち時間ができたことから、リスボンでの最後の午餐を優雅に楽しもうと思ったのである。席が空いているか、短パンにポロシャツのラフな格好で店入れてくれるか等不安だったが、だめもとで店に行ってみた。外国人だと思い大目に見てくれたのかもしれないが、僕らは無事店に入ることができた。
 ここの料理、特に前菜は本当に芸術的だった。シェフの想像力というか独創性というか、見た目も味もその才能が感じられる料理だった(もっともこれは最近まで居たという日本人シェフのセンスかもしれないが)。意外性、良い意味での驚きの連続である。メインの子豚のローストも秀逸。パリッとした皮にジューシーな肉、それにオレンジのソースがよく合っている。
 実は、あまりに料理とワインが素晴らしかったため店を去りがたく、予約した特急列車に乗り遅れてしまった。幸い1時間後の特急に乗ることが出来たが、ベルカントは列車に乗り遅れてでも行く価値のある店である。