ホテル・マジェスティックの屋上に眺めの良いバーがある。僕らは前回の記憶、心地良い風と冷たいビールで生き返ったことを覚えていて、今回もビールを飲みにやって来た。
このホテルはホーチミンの中心部、ドンコイ通りの端にある。暑さが堪えたり、買い物で歩き疲れたりしたとき、休むのにはもってこいの場所だ。目の前にはサイゴン川、その向こうは住宅街であろう。渡し船が走っている。
マジェステッィクは1925年創業、つまりフランスの植民地時代に建てられたコロニアル式ホテルである。ベトナム戦争中は海外のマスコミ関係者が多く滞在し、盛んに諜報活動も行われていたようだ。このバーはおそらく当時とあまり変わっていないだろう。向こうの席で米兵が騒いでいても 何の違和感も感じない、そんな空間である。
『グッドモーニング・ベトナム』という映画がある。戦争映画にしては戦闘シーンの少ない映画である。というのも主人公がベトナム戦争当時の米軍放送の人気DJだからだ。彼の目を通し、戦争の現実とそのむなしさを描いた秀作である。
映画の中でルイ・アームストロングの ”What a Wonderful World”(「この素晴らしき世界」)という曲が使われていた。主人公が最後の放送で流したのである。ご存じの方も多いと思うが、この曲は日々の何気ない生活や日常の他愛のない瞬間に喜びを感じ、それがずっと続くように、といった趣旨の歌である。とても戦意高揚には程遠い。が、主人公は敢えてこの曲をベトナムで戦う兵士達に贈った。そして、彼はベトナムを去った。
ベトナムで戦い、その自然を破壊し、さらに多くの罪のない人まで殺害した米軍に ”What a Wonderful World” というのは痛烈な皮肉とも採れる。しかし、この曲、この映画は、自然の中で人間なんかちっぽけな存在に過ぎない、つまらない争いや戦いは無意味だ、とやさしく僕らに語りかけている気がする。
マジェスティックのバーで、のどかな風景を眺めていると、ふと『グッドモーニング・ベトナム』と ”What a Wonderful World” のことが思い出された。
ところで、アメリカに侵攻され多大な被害を被ったにも拘わらず、ベトナム人の対米感情は悪くないらしい。経済発展のためにはアメリカとの友好関係が不可欠との判断のようだ。
ベトナム戦争の終結が1975年、まだ35年しか経っていない。戦争で家族を失った人もいれば、枯れ葉剤の影響で未だに苦しんでいる人もいるだろう。国の政策として親米というのはわかるが、国民レベルではどこまで親米なのだろうか。
ベトナム滞在中、ごく普通のベトナム人に、アメリカとフランス(旧宗主国)と中国(かつてその支配下にあり、近年も国境紛争あり)で、どの国が一番嫌いかと訊ねてみたかったのだが、残念ながらその機会がなかった。勿論言葉の問題もあるし、それに政治的なことをぶしつけに聞いて良いのかわからなかったのである。どなたか、ベトナムの事情に詳しい方がいらしたら教えて欲しい。
が、しかし、ある意味、日本もベトナムと同じかもしれない。日本から仕掛けた戦争とはいえ、アメリカとの戦争で甚大な被害を被った。原爆の後遺症は今なお続いている。にも拘わらず、国も国民も総じて親米である。日本で戦後35年といえば1980年、まさにアメリカあっての日本、といった時代だった。
ベトナム人の方が日本人よりしたたかというか複雑な気がするが、いずれにしろ戦後20、30年も経てば記憶は風化する、いや、人は悲惨な過去を乗り越えて次に進むのであろう。
やはり、戦争など無意味だ。
このホテルはホーチミンの中心部、ドンコイ通りの端にある。暑さが堪えたり、買い物で歩き疲れたりしたとき、休むのにはもってこいの場所だ。目の前にはサイゴン川、その向こうは住宅街であろう。渡し船が走っている。
マジェステッィクは1925年創業、つまりフランスの植民地時代に建てられたコロニアル式ホテルである。ベトナム戦争中は海外のマスコミ関係者が多く滞在し、盛んに諜報活動も行われていたようだ。このバーはおそらく当時とあまり変わっていないだろう。向こうの席で米兵が騒いでいても 何の違和感も感じない、そんな空間である。
『グッドモーニング・ベトナム』という映画がある。戦争映画にしては戦闘シーンの少ない映画である。というのも主人公がベトナム戦争当時の米軍放送の人気DJだからだ。彼の目を通し、戦争の現実とそのむなしさを描いた秀作である。
映画の中でルイ・アームストロングの ”What a Wonderful World”(「この素晴らしき世界」)という曲が使われていた。主人公が最後の放送で流したのである。ご存じの方も多いと思うが、この曲は日々の何気ない生活や日常の他愛のない瞬間に喜びを感じ、それがずっと続くように、といった趣旨の歌である。とても戦意高揚には程遠い。が、主人公は敢えてこの曲をベトナムで戦う兵士達に贈った。そして、彼はベトナムを去った。
ベトナムで戦い、その自然を破壊し、さらに多くの罪のない人まで殺害した米軍に ”What a Wonderful World” というのは痛烈な皮肉とも採れる。しかし、この曲、この映画は、自然の中で人間なんかちっぽけな存在に過ぎない、つまらない争いや戦いは無意味だ、とやさしく僕らに語りかけている気がする。
マジェスティックのバーで、のどかな風景を眺めていると、ふと『グッドモーニング・ベトナム』と ”What a Wonderful World” のことが思い出された。
ところで、アメリカに侵攻され多大な被害を被ったにも拘わらず、ベトナム人の対米感情は悪くないらしい。経済発展のためにはアメリカとの友好関係が不可欠との判断のようだ。
ベトナム戦争の終結が1975年、まだ35年しか経っていない。戦争で家族を失った人もいれば、枯れ葉剤の影響で未だに苦しんでいる人もいるだろう。国の政策として親米というのはわかるが、国民レベルではどこまで親米なのだろうか。
ベトナム滞在中、ごく普通のベトナム人に、アメリカとフランス(旧宗主国)と中国(かつてその支配下にあり、近年も国境紛争あり)で、どの国が一番嫌いかと訊ねてみたかったのだが、残念ながらその機会がなかった。勿論言葉の問題もあるし、それに政治的なことをぶしつけに聞いて良いのかわからなかったのである。どなたか、ベトナムの事情に詳しい方がいらしたら教えて欲しい。
が、しかし、ある意味、日本もベトナムと同じかもしれない。日本から仕掛けた戦争とはいえ、アメリカとの戦争で甚大な被害を被った。原爆の後遺症は今なお続いている。にも拘わらず、国も国民も総じて親米である。日本で戦後35年といえば1980年、まさにアメリカあっての日本、といった時代だった。
ベトナム人の方が日本人よりしたたかというか複雑な気がするが、いずれにしろ戦後20、30年も経てば記憶は風化する、いや、人は悲惨な過去を乗り越えて次に進むのであろう。
やはり、戦争など無意味だ。