以前シンガポールの「イメージ・オブ・シンガポール」を訪れた際の話を書いた(『シンガポールで考えたこと(1)』、2009/1/17)。そこで、第二次世界大戦中、日本軍がシンガポールで行った残虐行為のフィルムを見て、これは中国の映像ではないかと思った云々と僕は書いた。今日は自らの無知を反省し、お詫びと訂正をしたい。
先日、ディスカバリーチャンネルで『第二次世界大戦の真実、1942年、シンガポールの戦い』という番組を見た。
マレー半島を南下した日本軍は、1942年2月、ついにシンガポールに上陸。守るはイギリスと、当時イギリス領であったインド、英連邦のオーストラリアの連合軍、それに華人の義勇軍であった。連合軍は日本軍の陽動作戦に引っ掛かり、守りの薄い地域に日本軍の上陸を許してしまう。さらに連合軍内の連絡が悪く、必要な増援部隊の派遣は行われず、逆に不必要な撤退を行う始末。わずか9日間で連合軍は降伏を余儀なくされた。日本軍の爆撃や砲撃が激化し市街地にも及ぶようになり、連合軍司令官パーシヴァルは降伏を決断したのであった。
が、その後がひどい。日本軍は、華人が当時日本の戦っていた彼らの祖国・中国を支援していると非難し、抗日ゲリラ、中国の支援者やスパイ、共産主義者とおぼしき華人を多数処刑した。その数は日本側の資料では6,000人と言われ、一方、シンガポール側の資料では数万人とも十万人とも言われる。日本軍がシンガポールを占領した3年半、インフレ、食糧不足、暴力等々、シンガポールの人々にとっては本当に悪夢だったという。
番組はざっとこんな内容である。僕は、共通一次(センター試験)で日本史を選択し、大学の2次試験でも日本史を選択した。日本史はそれなりに詳しい方だと自負しているが、日本軍がシンガポールで多くの華人を処刑した話は知らなかった。学校で教わらなかったと言えばそれまでだが、やはり日本人として恥ずかしい。
歴史は主観的なものだと思う。国によって見方は違うし、同じ国でも時代によって見方が変わることもある。例えば、日本と中国や韓国とのいわゆる歴史認識の問題、そして明治以降突如として最大の朝敵にされた足利尊氏など、同じ事象や人物についての評価が国や時代によって異なる例だ。そもそも、過去の文献は当時の体制側が自らに都合良くまとめたものであり、それに基づき歴史が作られている。歴史は、その時時の体制側の主観が混入し、正当化がなされた物語なのである。
しかし、当然、歴史の中にも客観的な事実はあるし、合理的に事実と推測されることもある。日本軍がシンガポールや南京で多くの人を処刑したことは残念ながら事実であるし、足利尊氏が実在し、後醍醐天皇に反旗を翻したことも事実と思われる。
歴史について、どこかの国のように国民に特定の評価を押しつけ洗脳するのは如何なものかと思うが、臭いものに蓋よろしく、何も教えない日本もどうかと思う。事実は事実としてありのままに伝え、それをどう評価するか、そこから何を学ぶのかは、個人に委ねれば良い。
(追記:冒頭、お詫びをしたいと言ったわりに、最後は何か開き直ってしまった感もありますが、知らぬこととはいえ、なんて能天気なことを書いてしまったのかと本当に深く反省しております。)
先日、ディスカバリーチャンネルで『第二次世界大戦の真実、1942年、シンガポールの戦い』という番組を見た。
マレー半島を南下した日本軍は、1942年2月、ついにシンガポールに上陸。守るはイギリスと、当時イギリス領であったインド、英連邦のオーストラリアの連合軍、それに華人の義勇軍であった。連合軍は日本軍の陽動作戦に引っ掛かり、守りの薄い地域に日本軍の上陸を許してしまう。さらに連合軍内の連絡が悪く、必要な増援部隊の派遣は行われず、逆に不必要な撤退を行う始末。わずか9日間で連合軍は降伏を余儀なくされた。日本軍の爆撃や砲撃が激化し市街地にも及ぶようになり、連合軍司令官パーシヴァルは降伏を決断したのであった。
が、その後がひどい。日本軍は、華人が当時日本の戦っていた彼らの祖国・中国を支援していると非難し、抗日ゲリラ、中国の支援者やスパイ、共産主義者とおぼしき華人を多数処刑した。その数は日本側の資料では6,000人と言われ、一方、シンガポール側の資料では数万人とも十万人とも言われる。日本軍がシンガポールを占領した3年半、インフレ、食糧不足、暴力等々、シンガポールの人々にとっては本当に悪夢だったという。
番組はざっとこんな内容である。僕は、共通一次(センター試験)で日本史を選択し、大学の2次試験でも日本史を選択した。日本史はそれなりに詳しい方だと自負しているが、日本軍がシンガポールで多くの華人を処刑した話は知らなかった。学校で教わらなかったと言えばそれまでだが、やはり日本人として恥ずかしい。
歴史は主観的なものだと思う。国によって見方は違うし、同じ国でも時代によって見方が変わることもある。例えば、日本と中国や韓国とのいわゆる歴史認識の問題、そして明治以降突如として最大の朝敵にされた足利尊氏など、同じ事象や人物についての評価が国や時代によって異なる例だ。そもそも、過去の文献は当時の体制側が自らに都合良くまとめたものであり、それに基づき歴史が作られている。歴史は、その時時の体制側の主観が混入し、正当化がなされた物語なのである。
しかし、当然、歴史の中にも客観的な事実はあるし、合理的に事実と推測されることもある。日本軍がシンガポールや南京で多くの人を処刑したことは残念ながら事実であるし、足利尊氏が実在し、後醍醐天皇に反旗を翻したことも事実と思われる。
歴史について、どこかの国のように国民に特定の評価を押しつけ洗脳するのは如何なものかと思うが、臭いものに蓋よろしく、何も教えない日本もどうかと思う。事実は事実としてありのままに伝え、それをどう評価するか、そこから何を学ぶのかは、個人に委ねれば良い。
(追記:冒頭、お詫びをしたいと言ったわりに、最後は何か開き直ってしまった感もありますが、知らぬこととはいえ、なんて能天気なことを書いてしまったのかと本当に深く反省しております。)