道端の看板に「愛嬌と健康を教えるのは親の努め」と書いてある。それを見ながら車のハンドルを左にきる。「女は愛嬌、男は度胸」とか三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」とか、特に「男は度胸」というのは自分の憧れでもある。「言い訳しない」「嫌なことはさっさと忘れる」「恨まない」も僕のモットーである。
この頃は煮込むようにして考え、決めたらすぐに実行に、しかも早く行うのが習性のようになった。だがときどきまだ熟慮が足りないこともある。
また「死」は二段階であり、電車のレールのように死の路線と生の路線がいつでも替わると思っている。2段階というのは乳児のときと同じような状態が1つで、そのあとは子宮に戻るようなことを最終と考えている。それで「死は怖くないかと」と聞かれれば「思うと怖い」のが本音である。「死は怖くない」というのは嘘だと思う。
「生」を生ききりたいと思っている。しかし人間にはおそらく定められた命の終りがあるのだろう。母はまだあの交通事故では死なない運命であったのだと思う。「未来から現在をみる」というのも僕の思想的な基本である。過去をみるときは大過去からみるというのも原則にしている。2000年の歴史で自分や日本を見ない。さらに個人的には40年億年前まで遡り、縄文時代という長い時期にまで遡ってみる。すると民族主義や天皇制や差別などは無化されてしまう。未来から見れば、今どのように生きるべきか、まっとうに考えられると思っている。
人間は楽しく、良いことばかりが続くわけではない。苦しいときの方が多いぐらいだが、楽しい時もちょこちょことある。
この頃、小説を読むようにクラシック音楽を聴いている。バック音楽として聴くのではない。全脳を音に集める。すると、作曲者や指揮者のなにかに同調したり、違和を覚えたりするときがある。小説は以前にも述べたように短編小説を読んでいる。珠玉の短編集というものがある。村上春樹の短編集はどれも秀逸だし、みやべみいうきや高村薫の初期の短編集もよい。藤沢周平の短編集である「秘剣もの」もよい。
しばらくの間のんびりするので、いい気分である。こんないい気分が続いているとまた落ちるときがある。落ちるときはそんなことが続く。しかしまた落ち着く。そんな風だ。人生というのは。だから漫然と、ぼんやりいるのがよいように思う。
この頃は煮込むようにして考え、決めたらすぐに実行に、しかも早く行うのが習性のようになった。だがときどきまだ熟慮が足りないこともある。
また「死」は二段階であり、電車のレールのように死の路線と生の路線がいつでも替わると思っている。2段階というのは乳児のときと同じような状態が1つで、そのあとは子宮に戻るようなことを最終と考えている。それで「死は怖くないかと」と聞かれれば「思うと怖い」のが本音である。「死は怖くない」というのは嘘だと思う。
「生」を生ききりたいと思っている。しかし人間にはおそらく定められた命の終りがあるのだろう。母はまだあの交通事故では死なない運命であったのだと思う。「未来から現在をみる」というのも僕の思想的な基本である。過去をみるときは大過去からみるというのも原則にしている。2000年の歴史で自分や日本を見ない。さらに個人的には40年億年前まで遡り、縄文時代という長い時期にまで遡ってみる。すると民族主義や天皇制や差別などは無化されてしまう。未来から見れば、今どのように生きるべきか、まっとうに考えられると思っている。
人間は楽しく、良いことばかりが続くわけではない。苦しいときの方が多いぐらいだが、楽しい時もちょこちょことある。
この頃、小説を読むようにクラシック音楽を聴いている。バック音楽として聴くのではない。全脳を音に集める。すると、作曲者や指揮者のなにかに同調したり、違和を覚えたりするときがある。小説は以前にも述べたように短編小説を読んでいる。珠玉の短編集というものがある。村上春樹の短編集はどれも秀逸だし、みやべみいうきや高村薫の初期の短編集もよい。藤沢周平の短編集である「秘剣もの」もよい。
しばらくの間のんびりするので、いい気分である。こんないい気分が続いているとまた落ちるときがある。落ちるときはそんなことが続く。しかしまた落ち着く。そんな風だ。人生というのは。だから漫然と、ぼんやりいるのがよいように思う。