25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

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2015年02月15日 | 映画
 グランドキャニオンの渓谷の細い溝を通っていたら突然、大きな石が落ちてきて、右手を挟まれる。どのようにしても石は動かない。
土曜日が日曜となり、月曜となり、腕を切ることも考える。しかしながら石を削ったナイフで腕は切れないこともわかる。火曜日となる。大雨が降ってら潜って浮力を使い石をあげる妄想もみる。水曜日。今度はナイフを腕に突き刺してみる。しかし切ることはできない。水はもうない。小便を飲む。その間、彼は明るくビデオ撮影をしてメッセージを伝えておく。死の恐怖も襲ってくる。左手はすでに壊死している。男の過去の思いでも映像では挿入される。
 見ている側はどうやってこの危機を脱出するのだろうか、という一点に絞らされる。
 夜は寒い。眠い。夢を見る。過去のあらゆることがこの結末に向かっていたのだ、石は宇宙から偶然ではなく落ちるべくして落ちてきたのだ、と思うようになる。再び小さなナイフの先で腕を切断しようとする。神経を切り、骨まで切って引き抜こうすつすることに必死になる。「127時間」という映画の話である。実はであるらしい。
 毎日のように起こる事故。事故からの脱出劇である。タフな男を描いた作品だった。

 結構こんな映画が好きなので、今日は一人ということもあって、気楽に見たら、気楽に見るどころではなかった。