昔、「僕って何?」という小説が芥川賞をとって読んだことがある。三田誠広が書いたものである。1977年という記録があるから
僕も文藝春秋で読んだのは1977年だ。僕は27歳であった。その小説は「全共闘が跋扈した大学内の僕」が主人公でわけわらずうろうろ、オロオロしていているノンポリの学生を描いていたような記憶がある。
その三田誠広は今、「マルクスの逆襲」という新書版で経済と社会の歴史をほもとき、これからの未来について論じている。興味があって読んでみた。多方見方は水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」やピケティの「資本」とよく似ている。水野は「金利ゼロ、利潤ゼロ=資本主義の死と論じ、ピケティは世界同時相続税強化を謳っている。三田の新書版は彼らのよりも古く、リーマンショック前に書かれている。ちょうど出版する前に急遽リーマンショックが起こり、追加のあとがきでリーマンショックに触れている。
さすがに文学者なのか、組織的なテロも起こるだろことも予想している。
資本主義は利潤の法則であり、富が富を産み、富めるものはますます富み、その他は貧していくというシステムである。それを息に延びさせたのは「植民地政策」であり、戦後は「安い労賃を求めての海外での生産工場作り」であり、グローバルなファンドによるハゲタカ金融政策である。そのハゲタカ金融政策はアメリカにおいて破綻した。しかしなおもファンドは甘い汁を吸おうと、世界のそれぞれの企業を狙っている。ものいう株主、ものいうファンドで日本で有名になったのは村上某という人物であった。
マルクスはイギリスの資本主義の隆盛を見て、「資本論」を書いた。故郷ドイツはまだ未発達の国であった。ところがマルクスの経済学は思いも寄らぬ、資本主義の経験のない皇帝制であったロシアで起こってしまった。マルクスは資本主義のいきつく先のことを言っていたが、一足飛びに農奴制から「社会主義」へと突入していった。資本主義の発達で歪みが生じると国家がインフラを行うというケインズ経済学が現れた。日本は全くのマルクス主義国家であった。官僚は選挙されず、インフラ整備に精を出し、理想に燃えた。政治家は官僚の言うがままであった。そして一億総中級社会を1970年頃に作り出した。
ロシアや東欧の社会主義国家では、競争原理の働かない企業や社員は怠けてしまうことも露呈し、インフラ整備が終わると破綻していった。
世界で、またアラブの石油関連で潤沢にお金のあるものたちはファンドにお金を預け、デリバティブという巧妙な為替先物金融商品などに投資し、働かにものが富を生み、普通の庶民の貯金もそんなものに銀行が投資をして稼ぐようになった。銀行の本来の職務はすでのどこかに行ってしまっている。
ピケティーは「相続税」の強化を言う。水野は「累進課税の強化」を言う。三田は社会資本の重要度を決め、農村共同体の復活を言う。そして三者ともに、規制の緩和、特に税制への規制の強化を唱える。
教育だけはすべての子供たちに公平に与えられるものあることも言う。僕は農村共同体などというのはまっぴらごめんだが。
さてここからが僕の意見である。日本はやがて債務返済に限界が来る。資本主義という点からすると最先進国だ。しかしながら民主主義という点においては人々は民主主義とは何であるか、自ら勝ちっとった国民ではにので、その意味がよくわからない。選挙の時に露呈する。若者は選挙に行かない。地方では特に地縁血縁関係で、義理などで政治家を選ぶ。オカミを大事なものだと思っている。
資本主義は民主主義や基本的人権とセットだったはずなのに、日本ではそれが醸成されていない。いないうちに債務不履行の時がやってくるのかもしれない。するとどうなるかだ。マスコミの弱腰がまた始まっている。政権提灯記事が多くなり、武器輸出もできるようになり、秘密保護法までもできてしまう。マスコには権力と対峙するところなのに、対峙ができない。自衛隊の活動範囲も能力もひろがりつつある。
政治に右も左もない。あるのは中立・戦争放棄・忍耐強い外交である。経済的には不要なものは作らないことである。品質や技術、デザイン、世界の人々に役立つことを作る研究や技術やサービスノウハウなどにお金を使うことである。
僕も文藝春秋で読んだのは1977年だ。僕は27歳であった。その小説は「全共闘が跋扈した大学内の僕」が主人公でわけわらずうろうろ、オロオロしていているノンポリの学生を描いていたような記憶がある。
その三田誠広は今、「マルクスの逆襲」という新書版で経済と社会の歴史をほもとき、これからの未来について論じている。興味があって読んでみた。多方見方は水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」やピケティの「資本」とよく似ている。水野は「金利ゼロ、利潤ゼロ=資本主義の死と論じ、ピケティは世界同時相続税強化を謳っている。三田の新書版は彼らのよりも古く、リーマンショック前に書かれている。ちょうど出版する前に急遽リーマンショックが起こり、追加のあとがきでリーマンショックに触れている。
さすがに文学者なのか、組織的なテロも起こるだろことも予想している。
資本主義は利潤の法則であり、富が富を産み、富めるものはますます富み、その他は貧していくというシステムである。それを息に延びさせたのは「植民地政策」であり、戦後は「安い労賃を求めての海外での生産工場作り」であり、グローバルなファンドによるハゲタカ金融政策である。そのハゲタカ金融政策はアメリカにおいて破綻した。しかしなおもファンドは甘い汁を吸おうと、世界のそれぞれの企業を狙っている。ものいう株主、ものいうファンドで日本で有名になったのは村上某という人物であった。
マルクスはイギリスの資本主義の隆盛を見て、「資本論」を書いた。故郷ドイツはまだ未発達の国であった。ところがマルクスの経済学は思いも寄らぬ、資本主義の経験のない皇帝制であったロシアで起こってしまった。マルクスは資本主義のいきつく先のことを言っていたが、一足飛びに農奴制から「社会主義」へと突入していった。資本主義の発達で歪みが生じると国家がインフラを行うというケインズ経済学が現れた。日本は全くのマルクス主義国家であった。官僚は選挙されず、インフラ整備に精を出し、理想に燃えた。政治家は官僚の言うがままであった。そして一億総中級社会を1970年頃に作り出した。
ロシアや東欧の社会主義国家では、競争原理の働かない企業や社員は怠けてしまうことも露呈し、インフラ整備が終わると破綻していった。
世界で、またアラブの石油関連で潤沢にお金のあるものたちはファンドにお金を預け、デリバティブという巧妙な為替先物金融商品などに投資し、働かにものが富を生み、普通の庶民の貯金もそんなものに銀行が投資をして稼ぐようになった。銀行の本来の職務はすでのどこかに行ってしまっている。
ピケティーは「相続税」の強化を言う。水野は「累進課税の強化」を言う。三田は社会資本の重要度を決め、農村共同体の復活を言う。そして三者ともに、規制の緩和、特に税制への規制の強化を唱える。
教育だけはすべての子供たちに公平に与えられるものあることも言う。僕は農村共同体などというのはまっぴらごめんだが。
さてここからが僕の意見である。日本はやがて債務返済に限界が来る。資本主義という点からすると最先進国だ。しかしながら民主主義という点においては人々は民主主義とは何であるか、自ら勝ちっとった国民ではにので、その意味がよくわからない。選挙の時に露呈する。若者は選挙に行かない。地方では特に地縁血縁関係で、義理などで政治家を選ぶ。オカミを大事なものだと思っている。
資本主義は民主主義や基本的人権とセットだったはずなのに、日本ではそれが醸成されていない。いないうちに債務不履行の時がやってくるのかもしれない。するとどうなるかだ。マスコミの弱腰がまた始まっている。政権提灯記事が多くなり、武器輸出もできるようになり、秘密保護法までもできてしまう。マスコには権力と対峙するところなのに、対峙ができない。自衛隊の活動範囲も能力もひろがりつつある。
政治に右も左もない。あるのは中立・戦争放棄・忍耐強い外交である。経済的には不要なものは作らないことである。品質や技術、デザイン、世界の人々に役立つことを作る研究や技術やサービスノウハウなどにお金を使うことである。