25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

酒を酌み交わす

2015年03月11日 | 日記
人と会って話すというのは楽しいものだ。がっくりするときもあるが、探り合いをすることもなく、疑うこともなく、世間話もそれなりに互いに釣りあったもので、さらに互を刺戟し合えればより楽しいものだ。

 昨日、岡田良仁さん(以下今後のブログでは岡田さんと実名で呼ぶ。互いにそうしようと決めた。EさんやOさんという書き方は二人に関しては止めた)と食事を共にした。酒を酌み交わし、出てくる料理に舌鼓をうち、時によそからきた客とも会話し、和やかに、ごく和やかに時を過ごした。二次会を予定していなかったので、席の最後ではウィスキーを頼んだ。セントナントカというゴルフボールの形に入ったウィスキーでそれがとてもうまかった。ブレンドウィスキーだと思うが、メモをしておけばいいと思った。

 僕がこの頃、クラシック音楽に入れ込んでいることは彼は知っている。帰り際、「クラッシックに凝ってるのは知っとるけど、それに合わせて、うんぬんというのはええな(いらんな)。世間話でええんさ。会って話をする、それでええんさな」と彼は言った。僕も賛同した。酒を酌み交わし。話をするといういのは、気を許して、互いに友好を保存してくようなもので、そこに岡田さんがいるというだけで、それでよいのだ、と思う。好奇心をくすぐられる話も聞ける。僕も相手の好奇心をくすぐれる話が提供できればいいのだが、とそのくらいの心構えはもっておこうと思う。

 無性に人と話がしたいというときがある。そのときは誰でもよいというのでもない。そこに何か刺戟のようなものがほしい。贅沢な物言いかもしれない。しかしそう思う。最低の礼節は必要である。吐きたいだけ吐いてそれで帰るというのはいけない。

 岡田さんは現在剣道七段である。八段に挑戦している。八段は剣道界では最高位である。僕はそれを常日頃羨ましいと思っている。
 この世界で自分なりの修行を積んできたのだ。最高位になればまた心境の変化もあるかもしれない。今は八段をとるための心境や身体つくりをしている。確かに20年前と言葉も違ってきているように思える。

 よく時代劇で凄腕の老人剣豪がでてくる。剣客商売の「秋山小兵衛」もそうだが、藤沢周平の剣豪ものにもでてくる。だいたいが飄々としているか、厳しく独りで暮らしているかという風である。岡田さんはまだ若いがこれからどんな風になっていくのだろう。僕もこれからどんな風になっていくのだろう。決してこれだけはやらない。それはあたりの風に流されること。あたりの風に巻き込まれること。これだけは注意したい。たった一人で屹立していたい。あるいは逃げたい。
 で、気分よく帰宅したのだった。こういう酒は次の日、身体に悪く影響しない。