25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

看護・介護の問題

2015年03月30日 | 社会・経済・政治
「まれ(希)」が今日から始まった。このところ、「おひさま」から朝の15分ドラマを昼休みに見るようになった。「カーねーション」「梅ちゃん先生」「純と愛」「花子とアン」ときて、今度は「現代もの」である。利発で前向きで、他人のことを優しく思うような少女が第一回目に描かれた。

 明日から、大阪に寄って、のちバリ島なので、バリ島のホテルでNHKの国際放送で時間帯を探すことになる。
 岡田さんが「テロに気をつけえ。どこそボーッとしとるでな」とか冷やかされて、「わかった、わかった」と受けごたえたが、実際にバリ島では2回爆弾テロがあったし、被害も受けた。さらに、泥棒にまであった苦い経験がある。
 歩いていても、車を運転しているときもボーッとしていることが多いので、本当に注意が必要だ。事故というのは不注意から起こる場合が多い。チュニジアやフランスでの航空機事故などは不注意もなにもないので、やるせないことだ。

 日本では介護職につく人が今後30万人不足するという。ちょっと調べてみたら、介護報酬が下がったことから赤字会社は閉鎖し、トントンの会社は赤字に転落する。大きな、もうけている施設しか維持できなくなる。外国人にはインドネシア人、フィリピン人、ヴェトナム人に研修制度が設けられていて、国際厚生事業団という、(たぶん天下り団体なのだろう)がこの協定の母体団体である。例えば、インドネシア人の看護婦や介護士の経験者は日本語をある程度学び、N2ぐらいのレベルの日本語検定試験に合格したら、証明書がもらえて、ビザ"が発給される資格を得る。そして事業団に登録をして、受け入れ先を斡旋してもらう。受け入れ先にも厳しい規則がある。日本人と同じ報酬にすること、日本語研修を受けさせることなどである。すると、相当余裕のあるところでないと受け入れ先になれないことになる。人で不足で経営がなりたたない施設はどうするのだろうか、と疑問に思う。こういうことは施設にまかせればいいのではないか、と思うが、国家が管理するというふうである。民間にまかせると、給料からいくらか抜きっとたりし、トラブルもあったからだろうが、要は誰が「抜き取るか」という問題だ。事業団の場合は官僚が抜き取るのである。公益法人とあるが、日本語検定、テキスト、会員費など、抜き取る方法は巧みに作られている。民間の斡旋業者はなんだか悪者みたいだが、同じことだとは思う。

 さて、日本にきた研修生は5年のうちに介護福祉士の資格をとらないと帰国させられてしまう。それまではヘルパーのようなことをさせられる。本当はこの種の人が一番必要なのだから、これも巧妙に5年で資格をとれないと帰してしまう、という門戸の閉じ方をしている。
 ちょっと考える。超高速で、日本語を教えることのできるテキストを作ってインドネシアで使ったもらったらどうか、などと。
 言葉の学習などは方法によるが簡単である。

 バリ島ではこの協定に興味を示している会社があるので、会うことになっている。それでいろいろと情報をとってみたのだ。
 尾鷲市は消滅都市候補になっているが、この消滅都市というのは看護や介護を担う人がいない市町村をさす。

 さあ、どんな話になるか。