25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

表参道 スパイラルのこと

2015年07月29日 | 音楽
今から20年程前に、東京の表参道に「スパイラル」というとても異空間のカフェがあった。カフェを中心にして、入り口側にスパイラルのオリジナルレーベルのCDショップや香りや雑貨のショップがあり、カフェゾーンの向こう側には2階へと進む螺旋(スパイラル)があり、その螺旋の階段を女性が歩いていくのをみると、なんだかショーのように見え、人というのは見られていると、ちゃんとした姿勢にもなり、女優や人気歌手のようなオーラめいたものを感じとったのだった。
スパイラルの紹介するCDはどこから見つけてくるのか、新しい試みの音楽ばかりで、ふつうのCDショップではどういうジャンルになるのかわからないものばかりだった。「ナチュラルソニック」という打楽器だけで作った音楽CDは、今も僕のスマートフォンにもパソコンにも入っていて、旅をするといつもそれがある。水をたたく音、木々をたたく音などが音楽として正当に確立していた。その音に入っていくと、からだもこころも安らぐようだった。あるいは、ソニア・ロビンソンのジャズバイオリンを初めて聞いて感動もし、びっくりもした。圧巻だったのは、アフリカンパーカッションとサックスをメインとするジャズバンド、グレッチェンハンドの音楽だった。熱く、からだが揺れるようで、音にのめり込み、我を忘れさせるほどにエネルギッシュであった。
東京というところはさすがになんでもあるところだ、と思い、東京にいく度に、スパイラルでCD探しをするのが楽しみだった。ところが、3年もしないうちにその店はなくなってしまったいた。
どうやってきいたこともない、新しい作品を探せばよいのかわからず、あれ以降、実験的な音楽や全く知らない音楽を安心して買える店がなくなった。何万枚もあるCDの中には幾つか視聴できるものもあるが、それだけでは不十分すぎて、音楽を買うというのに、タイトルとカバーデザインだけで買わそうというのは無理がある。すべての音楽の出だしの1分でもきける装置はないものか、と当時思うのは当然だった。CDーROMを使い、一枚のCDに20時間の音楽が入り、それをインデックスでわけたらよいだけのことである。
当時、語学の分野でその技術を使い、そして音楽界に攻めていこうと思っていたが、肝心の装置を作るソニーが失敗した。ぼくらはオーサリングソフト作りに成功したが、ソニーの装置が15時間目ぐらいで止まってしまう事態となって、ソニーは途方に暮れた。ぼくらももう資金は続かなかった。つまり途中で挫折したのである。いまは圧縮技術力も進み、コピー装置も廉価となったが、CD販売業界は20年前と同じことをしている。
僕はこれにはあきれている。パソコンやスマートフォンでダウンロードができる時代となったが、アルバムを選ぶということにおいては、CDショップとなんら変わりはない。
このごろ、知らない音楽を発掘したいと思うようになって、試みるが、探し出すのは難しい。いっそのことCDは全部視聴できるようにすればいいのに、と思う。まあ、それができないのだから旧態依然としているのだろうが。