25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

安全保障論争のこと

2015年07月30日 | 社会・経済・政治
 国会は「安全保障問題」で野党は攻撃、与党は「わかりやすい説明」といいながら衆議院で言ってきたことを繰り返して応戦している。
 小さな子供達をもつ主婦たちが全国規模で集まり、各地でデモをしている。「戦争」の避け方が自民党・公明党などとその主婦たちは違うのだ。自民党は「戦争を避けるための抑止力」のためだ、といい、主婦たちは、「戦争ができる国になり、我が子にも影響があるかもしれない」と思っている。
 政治家たちがもつ「共同幻想」に闘う主婦たちの「個人幻想が追幻想から共同幻想」がデモとなった。

 自民党は中国カードを頻発に切っており、中国とガス田でも尖閣列島でも共同で統治をしようという意思がない。国境線の不安定なところは外交によって、共同の統治にすればよいだけのことだ、「我が国の領土」「国」などと言っているのは共同幻想そのものだ。人は国境を超えていくし、セックスもするし、当然お金は国境を越えていく。「国民国家」が誕生してから150年。この国民国家というのは民主主義を掲げているために面倒なものだ。面倒なものだというのは国民の犠牲が大きいということだ。先制攻撃や後方支援に現閣僚が先頭をきっていくはずもない。自衛隊が死ねば、お金でかたをつけ、切腹するわけでもない、国民から選ばれたという担保があるからだ。

 これまでホルムズ海峡ばかり言っていた安倍首相は、イランとアメリアの関係が変わったことで、言わなくなった。やっとアメリカも空爆でバカスカと爆弾を落とすことしか知らなかったアメリカはやっと外交で物事を解決した。中国とも戦争などしたいわけではないことも容易に想像できる。

 それにしても主婦たちが立ち上がる時代になったのか、と思うと、「戦争放棄」を守りとうそうと思う人がこれほどいることに安心した。民主党も、維新の党も、集団的自衛権を容認している。国際情勢が違ってきているともっともらしく言う。日本は誇らしく「戦争はしないんだ」と言えばよいと思う。それでも戦争を仕掛けてくる国家などというのは今時あるのだろうか。あるのは人間を守るはずの宗教が戦争をしているという状況だけだ。

 こういうのをリアリストではない、と言われても困る。人間には武器を売るものも、理想を追いかける人もいるのだから。僕は後者のほうでありたいと思う。