25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日本語の問題

2018年05月03日 | 文学 思想
 昨夜強い雨が夜中に降って、地球が滅ぶ映画「Knowing」の音量を50にまで上げた。地球が太陽のスーパーフレアで滅んで、主人公も死んだくらいのときに雨の勢いも弱まり音量を17にまでもどした。そのあと、再度「5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人」をかいつまんで、データがのっているようなところを再読した。すると3時になっていたのであわてて、諦めるかのように寝たもだった。
 いくつかのことを考えた。競争という原理から言えば日本語は相当に不利な言語ではないか。インドネシアは戦後インドネシア語の書く文字をアルファベット化した。勇気ある決断だったと思うがITの時代にアルファベットは絶対的に有利である。
 民泊事業の届け出をするのに、観光庁のホームページにアクセスし、そこから届け出を送ることができる。必要事項を書いていくのだが、よし、できたと思って送信すると、送れない。ミス項目がでてくる。フリガナは半角文字で、とある。郵便番号はハイフンなしで。電話番号はハイフンありで、名字と名前の間は全角空白で、などとてもややこしく一枚の届け出用紙に書き込むのに3時間もかかってしまった。アルファベットですむなら、きっと1時間もあればできるはずだ。ぼくはローマ字打ちである。いちいち漢字を探さなければならない。
 事務的なコンピュターを扱う人の生産力はドイツ人より少ないはずである。
 と言って、日本語をやめるわけにもいかない。
 カズオ-イシグロは英語で小説を書く。英語圏に即座に流通される。村上春樹はアメリカに自分の作品を流通させるエージェントをもっている。その代わり、食べ物などはサンドウィッチやビール、ウイスキー、ワインと説明しなくてもよいものを選び、翻訳されやすいように作っている。そこには日本語の特殊性が意識されているのだろう。
 英語がカタカナになって溢れる日本列島であるが英語が不得意な日本人。
 シンガポールでは英語だけでなくマレー語も中国語も話す人が多い。ぼくの友人のパリで生まれて育った息子は、フランス語、中国語、日本語源、英語を話す。娘は、フランス語、日本語、イタリア語、ドイツ語を操る。おそらくパソコンやスマホでは日本語を使わないはずだ。
 働き方改革が進まないのは根幹のところに我々のもつ言語にあるのではないか、とふと考えてしまう。ぼくはコンピューターに向かって働く人達は言語によって相当なハンディを持っているから、心身が病気になるほど働いてもドイツの一人あたりのGDPが日本の約1.5倍も違ってくるのではないか、と単純に思ってしまう。もちろん、ドイツ国民の権利意識が総じて共有されているという部分も原因としてある。
 この問題を提起した書物やテレビ番組などをこれまで見たことがないので、憲法記念日に書いてみた。