25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

あるカラオケスナックのマスター

2018年07月24日 | 日記
 「60歳で定年退職して、14年。家でテレビばっかり見てて、人と会うこともせず、これではあかんわ、と思て、このカラオケスナックをしたんさ」
 マスターがこの店がを開いてから3年になる。76歳、もうす77歳。昼の1時から始めて、4時とか5時で、一度家にいき、ご飯を食べて7時には夜の店を開ける。
「今日は昼は十人くらい客が来てくれて、6時までやっとんたんさ。儲からんのやけどな。それでも楽しいんさ」
 一人で家にいるよりサービスを提供できることと、見知らぬ人に出会い、話をするのもやはり楽しいことなのだろう。
 「自分の年金を全部つぎ込むわけにはいかんけど、少々の赤字やったらかまんのさ。自分の遊び代行やと思えばな」
 お腹も出ていない。ジーンズである。髪の毛はほぼない。店を開いた頃はカラオケを歌うとひどいオンチだった。それが一年も経つと、オンチではなくなった。歌える歌の数も増えた。カラオケ点数90点をだす。すごいもんだ。体は快調らしい。ただ耳が遠い。呼び掛けても気づかないことが多い。若干それを気にしている。
 一人の男が入ってきた。馴染みの客なのだろう。酔っている。
「おっちゃん、わしゃ500円しか持ってへんのや」
 大きな声で五百円玉をカウンターにパンと置く。畳み掛けるように、
「な、ええやろ。それに歌は2曲歌わしてーな」
マスターは戸惑っている。ボトルキープもあるようだ。
「ええよ」
ここは歌が1曲80円。あとは氷と水くらいのものだ。
「ないものはないでなあ、しゃあないわ。な、オッチャン」
 干からびたカマスのような体型。大きな声。歌ったには細川たかしの「北酒場」
言葉が尾鷲訛りではんしから、地の人ではない。

 こんな風な客がくるのもまた一興なのだろう。気楽なスナックである。 
「勘定して」というと、計算をして、2100円という。
 二人でだ。「あ、そう」と言ってそれを払った。勘定の仕方がわからないので、言われるままに払ったのだった。ドアを開いて外に出た。すると、相方が、「言わなんだやけど、勘定間違っとる。3000円を越えるはずやで」
「あらま。まあええわ、今度行ったときに言うわ」
こういう計算違いもするのだろう。
「もしかして、おまけしてくれたんかな」

 店を開くには思い切ったのだろう。このマスターの行動を見て、60を過ぎてからスナックを開いた人を知っている。影響を与えたのだ。
 いうまでも元気にやってほしいものだ。