25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

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2015年03月09日 | 日記
  梅の花が咲いてきて、大気の冷えも幾分おさまってきた。三寒四温という時期なのだろう。
  今日は大阪にでかける。大切な用事である。午後に一社と翌日午前に一社との話し合いがある。契約交渉をするときに自分の方に落ち度がないか、総点検するのだが、どこかに落とし穴がないか、そのトラウマがある。昔もう20年前にソニーとの契約をきちんと交わしておこなかったことがアダとなったことがある。
 今回の大阪行きは僕18年間のいわば最終章でもある。この章を経て、新たにやりたいことにとりかかることができる。

 昨晩、久しぶりのNさんに電話をした。Nさんは元僕のもとでレストランのマネージャーをやっていた。年上の奥さんがいた。その奥さんがある日、テレビを見ていたら、となりにいるNさんにもたれかかってきた。死んでいたらしい。
 精神的に処理できなかったのだろう。葬儀も終え、ひとりの生活になってなおも彼は混乱した。その混乱は「愛する人が突然に死んでいまう」というあまりにも突然な出来事で、どう考えてよいのかわからなかった。彼はアメリカにある合宿所に出向き、グループカウンセリングを受けた。
 虚しい日々をどう生き続けたらよいのか。やがて彼は介護ヘルパーの研修を受け、さらに3年続けて介護福祉士の資格も得た。今は介護タクシーをして自営して生きているという。電気にも詳しく、パソコンにも詳しい。家の修理ぐらいならできる。すると介護タクシーを頼むご老人にとってはなにおかと便利である。介護、タクシー、便利屋さんの3つを併せ持った介護タクシーである。それを去年からはじめた。毎日が楽しい、と彼は昨日の電話で言っていた。
 「自営業をまさかできるとは思っていなかったのですが、これならやれる、と結果までスッと見えてきたんですね」と彼は言った。よくわかる。結果が見通せないと商売は失敗する。スーッと通りがよいと思えなければいけないものだ。

 もうひとりの古い友人Yとも電話で話した。「いつ引退するん?引退後はオレと遊びたいとゆうとったやない。」と聞くと、「その準備をしとるんやけど、70歳まではせんなんやろ」と彼は言った。つづけて「けど、徐々に時間がとれるようにはしとるんやがな」「息子が継ぐ気になってくれんのや」
 彼は父のあとの酒屋を継いだ。酒がスーパーやコンビニで売られるようになった、酒屋の数はどんどん減っていく。タバコも売り始めた。そして地域の新聞の販売所も始めた。「新聞んも若いもんはとらんし、老人はどんどん死んでいくしで、どうにもならん。朝日、毎日、読売などとも合体してやらな、どうにもならんわ」
 彼の場合は時代の趨勢に押し込まれ、衰退を余儀なくされている。
 Nさんはまだ若い。Yさんは僕と同い年。

 まだまだこれからできることはある。僕はそう思っているし、確かなことだ。Nさんの声は全く元気そうであったが、Yさんも苦境にあるとは言え、明るかった。
 友人のOさんは剣道八段が目の前にある。パリにいる友人Nさんはいつまで料理の腕を磨き続けるのだろう。 

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2015年03月08日 | 音楽
 昨日もまた音楽CDを探すのに名古屋まで行った。ヴェートーベンが音楽概念を変えるといって作った「大フーガ」「弦楽四重奏曲代番」が手に入った。
 僕は全くクラシック音楽には素人なので、まず、とりあえず、クラッシック音楽として残っている作曲家のCDを買い、とりあえず聞いてみることにしている。
 クラシック音楽は「気分を落ち着け、癒し、あるいは感動するためにある」という楽しみ方をする人もいるだろう。あるいは曲の構成とかオーケストレーションなどの細部に興味を示したりする人もいるだろう。あるいは同じ曲を別の楽団や指揮者が演奏するとどうなるのかと楽しむ人もいるだろう。僕は、きっと比較の方にいき、一番気にいったものをいつしか選び出し、それを何度も聴く、ということになるような気がする。

 村上春樹に凝ったと思ったら、今度はクラシックに凝ってしまった。今、様々な作曲家のものを聞いている。楽団や指揮者に関経なく、ブックオフなどにあるものを買いあさり、聴いている。

 今ひとつ言えることはブラームスのハンガリー舞曲は僕はウィーンフィル(指揮者 クラウディア・アバド)のものよりもリュプラナ・ラジオ・シンフォニー・オーケストラ(指揮者 アントン・ナナット)の方が好きだ。テンポがややゆっくりであるが、なんと言うか野性味、民族味があると言ったらいいのだろうか。すると今度は小澤征爾のものはどんなだろうかと思えてくる。そういうことが楽しみだ。

 音楽という学問は古代ギリシャの時代からあったらしい。それは数の理論でもあった。音楽には「宇宙の音楽」があり、「人間の音楽」があり、「道具の音楽」があると考えられた。ひとつの弦の長さを半分にすると音は1から高い2になるとい風に考えていく先に楽器の誕生があった。9世紀頃にメモのような楽譜ができ、それが発展して今の五線譜になった。演歌も五線譜で表現することはできるし、こぶしも表現することができる。(バリ島のガムラン音楽は楽譜がなく、見て、聞いて覚えるものである。)
 ひとしきり音楽の歴史も勉強している。
 それが楽しい。もちろん「こころと身体」のことも依然として興味を持ち続けている。
  

音楽の旅

2015年03月05日 | 音楽
音楽の旅をしてみたいと思う。ワインを飲みながらファドやモルナ、ショーロなど。ウィスキーを飲みながらライブでジャズ。
きちんとしたコンサートホールでクラシック。
 するといくところは、ドイツ、イタリア、フランス、チェコ、オーストリア、ポルトガル、北アフリカのラス・パルマス、そしてニューヨーク、ブラジルとなる。
 贅沢な旅だが、いつか実現する日がくるだろうか。

 教は床屋さんに行った。髪の毛が相当薄くなってきている。目がたれている。顔にシミもできている。なんというか、老いてきているのである。小便も我慢できるのが短くなっている。誤飲も多くなってきている。困ったものだ。こころの方は若い時期と今の時期を交換してもらいたいと思う。
 列車でもいい、車でもいい。のんびりと旅をして、それを記録し、写真をとり、音楽を聴き、よなよな本を読む。そんなことがしてみたい。そんなことをするために今まだ働き、頑張っているのである。
 人生は長いようで短く、短いようで長い。しかし、この20年はあっという間に過ぎてしまった。そして多くのことを忘れてしまった。

以下 谷川俊太郎作詞 武満徹作曲の「死んだ男が残したものは」  特に僕は 5番と6番が好きだ。
 
1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

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2015年03月05日 | 音楽
音楽の旅をしてみたいと思う。ワインを飲みながらファドやモルナ、ショーロなど。ウィスキーを飲みながらライブでジャズ。
きちんとしたコンサートホールでクラシック。
 するといくところは、ドイツ、イタリア、フランス、チェコ、オーストリア、ポルトガル、北アフリカのラス・パルマス、そしてニューヨーク、ブラジルとなる。
 贅沢な旅だが、いつか実現する日がくるだろうか。

 教は床屋さんに行った。髪の毛が相当薄くなってきている。目がたれている。顔にシミもできている。なんというか、老いてきているのである。小便も我慢できるのが短くなっている。誤飲も多くなってきている。困ったものだ。こころの方は若い時期と今の時期を交換してもらいたいと思う。
 列車でもいい、車でもいい。のんびりと旅をして、それを記録し、写真をとり、音楽を聴き、よなよな本を読む。そんなことがしてみたい。そんなことをするために今まだ働き、頑張っているのである。
 人生は長いようで短く、短いようで長い。しかし、この20年はあっという間に過ぎてしまった。そして多くのことを忘れてしまった。

以下 谷川俊太郎作詞 武満徹作曲の「死んだ男が残したものは」  特に僕は 5番と6番が好きだ。
 
1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

お金もち

2015年03月04日 | 日記
 起業し、成功させ、上場し、持ち株の一部を売ってで利益を得る。これが資本主義の一側面だ。そうやって金持ちになる。
 制度が変わることによって金持ちになる場合もある。進駐軍による農地改革で小作農だったものが農地主となる。その農地主が後に農地を売る。そこに大きなモールができる。農地がお金になる。
 まだある。宝くじが当たる。まだある。巨額な財産を相続する。お金持ちのなり方は今の時代ではこの4つしかない。
 投資ができ、持ち株を売れるのもお金持ちだからだ。全財産を株に賭けることもできる。それは宝くじと同じだ。

 このことは何を意味するか。それは「今成功していること」と「成功」という本来の意味が違っていることだ。
 今成功している人はよくよく注意しなければいけない、ということだ。
 時代の流れの読み間違いだってある。油断ということだってある。いい気になっていて滑る場合もある。

 僕は金持ちではない。ただゴッホやシューベルトや若仲を尊敬している。つまり現世で功を成すわけではない。後世の人々に評価されるのである。そういう人たちを師匠のように思っている。だからと言って僕は才能あるゴッホでもなければシューベルトでもない。いつも未来から現在を考えているということだ。そして過去を見る場合は大過去から見るということだ。

 現世で成功した人たちの成功に至る話がある。今日は孫正義の成功のポイントをテレビで予備校の先生が解説していた。
 これを書きながら「深夜食堂」を見ている。最近、涙もろくなった。バターライスにちょっと醤油をたらす。美味そうだった。


埋没技術

2015年03月02日 | 日記
 3Dプリンターは日本人が開発して日本では発展させられず、アメリカが発展させたらしい。
 僕らがやった語学や音楽用の4階層フォーマット。さらに音源をセンテンス毎にオートで4階層に分けていく技術。今まだそれを超えるものは見当たらない。みなどのように英語を勉強しているかといえば、パソコン、CDプレイヤーである。ボイスレコダーかもしれない。74分のCD盤を24時間にまで圧縮して、4階層にわける。これはソニーが僕らに提供してくれたフォーマットである。このフォーマットを使い、世界に多くある語学テキストをすべて4階層にして、語学練習をやりやすくしようというのがそもそもの発想だった。

 当時まだ、世界はテープばかりでパソコンもウィンドウず95がでたばかりであった。世界への普及率はまだまだであった。
 英語の勉強をしていると、センテンスで切って、何度も聞きたいという場合がある。なんどもなんども聞くのである。テープではそれが戻り過ぎたり、行き過ぎたりで、面倒である。スローで聞きたい場合もある。あるいはそのセンテンスの意味を知りたい場合もある。またそのセンテンスのフランス語を聞きたい場合もある。
 全くの埋没技術であり、僕の机に眠っている。
 今、企業が展開できなかった埋没技術をもう一度掘り起こそうという動きがあるようだ。

 そしてまた銀行や政府は昔やった方法で、新技術に融資をしようとしている。甘い言葉がある。無担保、無保証。しかし政府系の機関から借りた場合、たとえ、不動産の無担保、無保証であっても、知的財産権は担保に入れるのである。あるいは代表取締役が責任をとるのである。それは当然だとしても、一番困るのは僕が経験したように、「はしごをはずす」ということである。貸しておいて、途中で止める。僕のときは政府はベンチャー支援。銀行は自由化で混乱しまくっていた。いくら「新技術想像法」で新技術を認定しても、銀行がついてこなかったら、ベンチャー企業はどうしようもないのである。

 今思っても勿体ない技術だと思う。まだ語学に不得手な日本人である。
 テレビで見る映画も、僕らの「わけたろう」というソフトを通過させれば、自動的にインデックス分けしてくれる。
通しできくこともできる。その役を放り込むこともできる。
 あれから20年。これを超えるものはでてきていない。
 当時、僕らと同時に無人ヘリコプターで農薬を散布する小型ヘリコプターの技術もあった。それも、あるいはその発想も今はアマゾンが配達用に利用している。当時開発した三重県の会社は倒産したらしいが、その後、技術はどうなっていったのかわからない。
 みなから、「早すぎたんだ」と言われる。

 同様に、「保水性のコンクリートを作る技術」。これもまだ20年眠っている。この技術があれば砂漠を農地化できるし、応用で砂漠に道路を作ることもできる。砂漠の砂も栽培可能な土に換えることができる。

 またそんな技術が誰かに伝わって、だれかが応用し、世界に貢献できることがあるかもしれない。
 期待せず、期待している、という心境だ。