南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ちょっとそこまで

2012-12-17 22:24:18 | 

 1432 今回、日本でも初めての日曜日、早速、孫にせがまれる。どこかへ、つれて行けと。じいちゃんが、何のために日本へ戻ったかというと、自分たちを車でどこかへ連れてゆくためだと思っている。そして、どこかへ連れて行ってと言えば、必ず、つれて行ってもらえると思っている。その通りである。

どこへ行ったかというと、伊豆半島の入り口までである。

 

この順番に富士山が望めるというと、あからさまに見える場所を通過した。静岡から、どこを通って、静岡へ戻ってきたか、三枚の写真からわかりませか、他のルートではこの三枚の写真を繋げてとることはできません。

 

思い出です。三津(ミト)シーパラダイスという、沼津の南、伊豆半島の西海岸のスタート地点的な場所、水族館というより、海の動物主役のアトラクションを見せる場所といったほうがいい、孫たちをつれては三回目である。

私が初めて行ったのは、小学校四年の夏休み、沼津港から竜宮丸という遊覧船で三津水族館といった場所でした。その頃はアトラクションもイルカだけだった。そのほかは確かに水族館、丘の上にはクジラなど海の哺乳類の博物館になっていて、特にクジラに関する展示が多かった。シロナガスクジラの全身骨格の標本には圧倒された覚えがある。捕鯨の技術の進化の経過や南氷洋の状態も紹介されていた。当時は捕鯨と言えば、冒険的な職業で、花形職業だともてはやされていたので、その展示も大勢の見学者が押し掛けていた。今はどうなっているのでしょうか、寂れているが、施設の名残はあるようです、そっちの方向へ行く人は少ない。

高校生の時の夏休み、同じクラスの仲良し四人組で伊豆半島をテントを担いで一周をしたときにもやはり、遊覧船で三津水族館に渡ったのがスタートだった。バスで南下し、一泊目は大瀬崎(オセザキ)の半島を見下ろす道端にテントを張った。夕方、寝ようとしていたころ、人がやって来たのか、通りがかりだったのか、その人「ここは私に土地だ、誰に断ってテントを張っているんだ」というようなことを言っていた。何も答えようがない、「どこでも、かまわないと思って、ここが、見晴らしがいいのでここで泊ることにした」というような返事をだれともなくしたと思う。他のことは覚えていないが、そこで、そのまま一泊した。

 

その後は、娘が小さいころ、まだ、長泉町に住んでいたころ一回、つい三年ほど前孫たちを連れて行った。何も感動はない、やはり、子供のころに来た時のことが一番印象深い。

 

東名高速道路、富士川サービスエリアを過ぎた直後、富士山と愛鷹(アシタカ)山と富士市を一望、

大瀬崎の半島を足元に駿河湾の向こうに富士山

土肥港から駿河湾フェリーで清水港に向かう途中、駿河湾洋上から左から清水、由比、蒲原、富士川、富士を望む、由比漁港から、一斉に桜エビ漁の船が、ボートレースのように全速力で最適漁場に向かっている様子に出会った。フリー目がけて突進してくるよう。   

ということで、東名沼津インターから南下し、沼津の町を通って三津、戸田、土肥、清水へと一周経路でした。他の土地の人から見れば、かなりの観光ルートに違いない、素晴らしい眺めの場所が多い。

9時に家を出て戻ったのが17時前、チカランからパンガンダランへ行くことを思ったら、ちょっとそこまでという感じでした。しかし、ガソリン、高速代、入場料、食事、ソフロクリーム、フェリー代合計2万円ほど、高い、インドネシアなら5千かからない。厳しいのはガソリン代、4千円で25Lちょっとしか入らない。インドネシアなら千円ちょっとである。

旅? 憩い 癒し 

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