南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆組織は住みにくい

2011-11-16 20:28:03 | 習慣

1035 今日もトライ、金型修正と原料の乾燥は十分だったが、出てきた原料はぶつぶつだらけ、その上、溶融粘度が低い。押出用の原料ではないようだ。とろとろ、ぺたぺた

の原料ではどうにもならない。形状が出来ても外観でNGである。そして形状は出来た。原料が押出機と相性が悪いのではないかと思う。自分が指定した原料ではないので、どうにもならない。私が使うなら、もっと溶融粘度が高い物を使うし、溶融金型葉小さいものを使う。ここではそれができない。

 自分が準備したものは装置だが樹脂は選べない押出機も選べない。ないない、の中で結果を出すのだから大変である。しかし、出す。もう一日で結果は完全にでる。何が良くて何が悪いのか、悪い部分を変えれば、完成品が出来上がると。

 太田君、どこにうろうろしているか分からないから、今の内に云っておくよ。12月30日はどこどこで、何時から、1月の3日はどこどこで、何時から、恒例の年末年始のゴルフのことです。そりゃそうでしょう。今から云っといてもらわないと、今年はどこへ行ってしまうか、自分でも分からない。それを知って、一か月半前にわざわざ、言いに来たのです。その時に、太田君、来年は利益に貢献してくれよ、と、つぶやいた。私が思っていることを全く無視してと云うより、何を思っていようと、俺が云うことに従うと思い込んでいるかのようにです。これは、”もしドラ”を読んだ人とは思えない。

 

 ドラさんと私とでは、話の基本が違う。組織に入らなければ社会に貢献できないのでしょうか。いや、組織に参加しなくても社会にあるいは個人に貢献は出来ます。個人で税金を払うことも貢献だし、足長おじさんのように貢献も出来ます。だから、組織のマネジメントなど出来なくても、あるいはしなくても、社会貢献は出来るのです。

 それに、もう一つ、組織の中にあってもマネジメントが必ず必要とは言えない。ということは、ドラッカーを勉強しなくてもいいし、もしドラを参考にしなくても、社会貢献は出来るから、組織の中で、必ず読めと云う人は間違っている。読まない人の評価を下げる人も間違っている。感想文を書けと云うのも間違っている。

 

 感想 感想 完走

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(^_-)-☆初めての試運転

2011-11-15 22:07:20 | 状況

1034 この職場で初めてのトライ、10:00頃スタートしたが、いきなり、出てきた樹脂が泡だらけ、こんなの見たことが無い、明らかに乾燥不足、原料に水分がたっぷり含まれたままである。乾燥機、なんだかよくわからない。中古で買ったらしいが、構造が複雑で装置のどこが何の役割をしているのか分からない。只、云われたままに、ここへこのように原料を入れてオンにすればいいと云われただけで乾燥を一般常識の温度で5時間した。見事に、取りだした原料が熱くない、手で触れる。せいぜい、80℃くらいしかない。設定温度なら、軍手を二重にはめても熱くてずっと触ってはいられない。温度が設定どおりには上がっていないのでした。

 その乾燥機を止めにして、一般的な定置式皿の乾燥機で乾燥することにした。一晩中乾燥し、明日、再トライということにした。

 押出機も使い勝手が良くない。戸惑いが多い。

 という分けで、今日のトライはトライまで至らなかった。今まで、そんな問題が無かったのでしょうか、不思議である。インドネシアで作った金型にも問題が見つかり、その修正を依頼したが、そのことは、乾燥が不十分で試作を継続できなかったので、影に隠れた形になった。

 もう一つの金型は今晩のフライトで日本へ送られる段取りになったと云う知らせ。問題が無いことを願うが、問題はあると考えて受け取った方が次の手を打ちやすいでしょう。

 

 インドネシアの工場の様子も刻一刻と伝わってくるが、興味深い点が多々ある。このまま、いつまでこの状態が続くのでしょうか。早い決断が必要だと思う。

 清水三保ノ松原、羽衣ノ松伝説の地です。孫と戯れる。

 改良 何故 迅速

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(^_-)-☆難しい事ですね

2011-11-14 22:56:30 | 状況

1033 “もしドラ“?モシ、ドラエモンだったら?もし、ドラクエだったら?何も知らなかった。
会社で、このことについて感想文を出せと云うような通達があった。何のことかと、社員に聞いたら、高校野球の弱小チームのマネジャーになった女の子がピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)のマネジメントに関する著書を読んで、それを参考にして、チームを甲子園に導く話だと云う。それを読んで読書感想文を書けと云う事らしい。
 この物語とアニメからドラッカーを初めて知った人は多いだろう。世の経営者の中にもアニメや物語から知った人もいる。これを機会に社員教育に使おうと考えた経営書も少なくないと思う。
 マネジメントとは何か、会社という組織は社会貢献をする義務を担っている、それには、その組織は社会に何らかの形で必要とされるようにならなければならない。一定の利益を確保しなければならない。その社員は組織に利益をもたらすとともにその対価として十分な報酬を受ける。その流れを巧みに操るのがマネジメント、マネジャーに求められる。トップだけではない。
 ドラッカーはそのマネジメントに必要なことを色々な角度から、提案しているのだと思う。ニーズとは、マーケティングとは、イノベーションとは、マネジメントの重要性を感じ、マネジメントについて学ぼうと思い、読んだ人は多いし、組織のため、本人のために勉強し自分の存在感を高めようとした人はいるだろうし、トップは部下の全てがドラッカー的のマネジメントを実行してほしいと思うでしょう。
 それはそれでいいのではないでしょうか。それぞれの能力や環境や人間性とそれらの絡みをどう解釈するのかが最重要で、もともと優秀な人材を集め、その人材育成や適材適所に配置、こんな難しいことは無い。世の多くの人が上手くいっているといっている組織は、何でもかんでもがんじがらめにしようとしたトップが率いていたと思う。その組織のみならず、その組織に従順な組織を率いたと思う。自由放任主義はトップとして失格だと云っている。
 要するに、うるさく、やかましく、個人の考えを否定し、自分の考えに従うように仕向ける人がトップから順に下まで配置されていることが必須条件です。怒鳴る人が多いほど、その組織はニーズに答えているのです。
 二代目が組織を傾かせる傾向にあると云うのは、創始者は強烈な個性で組織を引っ張って来たのに二代目は優しいからです。組織の引き締めが緩くなるからです。
 ドラッカーの名言集はふっ飛ばさなければ、組織は継続しない。
  富士山二枚どこからでしょうか、分かる方は静岡に詳しい。
 もしドラ 富士山 マネジメント

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(^_-)-☆富士川の思い出

2011-11-13 22:17:15 | 思い出

1032 日本へ戻って最初の休日、妻の生け花教室があって、生徒や友達が大勢集まるので、例によって、9時頃には家から出ていかなければならなかった。上の子は小学校の行事で母親と出かけてしまったので、下の子の面倒も見なければならなくなり、二人で、車で出かけた。特に行く処も無いので富士山が綺麗だったので、富士川まで行ってみた。生まれ故郷の川原へ孫と行ってみたことになった。

4才までこの近くにいて小学校の時には毎年、おじさんの家に一週間ほど泊って、従兄弟たちと遊んだ。

川原の様子で一番変わっていたことは、サッカーグラウンドがかなり広い範囲に何面も作られていて、それらの全部で若者から年寄りまでプレーしている事でした。私が昔ここにいたのは戦後10年以内ですから、当時は、川原に畑が作られていて今で云う、家庭菜園でした。それが勿論今でもあるが、当時の風景とは全く違う。

私の記憶はこの川原で沢山残っている。今の新幹線、東名、バイパス、水道の橋は無く、一号線と東海道本線の橋しかなかった。その二つの橋の間に多くの畑が作られていて、リヤカーと背負いかごと鍬が道具だった。リヤカーに乗って後ろ向きに足を垂らして坐って、行き帰りをした姿が残っている。薩摩芋やニンジン、トウモロコシ、エンドウ豆など、喜んで収穫や種まきもした。ひもじいとか寂しいとか、つまらないなどという記憶は全くなし、近所のおじいさんやおばあさん、おじさん、おばさんにも可愛がられた記憶ばかりで、畑へ連れて行ってもらったり、米屋でお米、ピーナッツや冷凍イカや炭などの配給がある時には、少し、余分に貰ったりしていた。

本当に恵まれた環境で育ったし、何が足りないなどと思ったことはまっくなし、この富士川付近での幼少時代は静岡に移ってからの生活と重なる部分はあるが、どちらも、恵まれ過ぎるくらい恵まれた環境で育ったと思う。

8月お盆の祭りで、川の真ん中の川原に竹竿の上に籠が着けられ、その籠の中に火が付いた松明を投げ入れるという祭りがあった。其の辺りの青年が大挙して参加し、大騒ぎの雰囲気の中で子供ながら強烈な記憶が残っている。子供は全く近づくことも出来ない。今はその祭りがあるかどうかは知らない。

 この付近の思い出は富士川だけではない。山のミカン狩りや昆虫採集や左目横の大怪我や右足脹脛の大やけどや二歳下の妹の出産の時の様子、石材加工、其の上、お墓や焼き場の様子もはっきり覚えている。

安倍川の富士、富士川の富士、昨日の平地の雨は富士山の頂きにほんのり冠雪した。もう、来年の春まで消えないでしょう。どちらの富士も私の生活の中に日常的にあった。

富士山 記憶 恵み

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(^_-)-☆若者は熱心

2011-11-12 22:07:13 | 情報

1031 2011年11月11日。土曜や日曜ではないが、金曜日だし、今日結婚する人は多いのではないか。イスラムはお祈りの日だし、結婚する人は多いと思う。

 試作の準備は出来た。月曜日、うまくできることを祈るのみです。

三日間で装置の準備をし、一つの試作の準備が終った。いろいろ足りないもの、合わない物が有ってそれらの手配に手間取った。いろいろなサイズが、この会社の従来品と違うので、最初から合わせておけばいいのにと言われてしまった。私としては、何十年もそのサイズでやっていて問題になることは無かったので、この工場の道具のサイズなど全く無視していた。私からすれば、こんなサイズを使っている方が変だろうと思うのだが、言えるはずがない。

月曜日の午前中にトライをするのは、PCのプロファイルです。上手くいくはずですが、何が起きるか分からないので、心配は有る。その心配は先ほど、夕方、不具合が見つかって、金型屋さんへ修正に出した。月曜日の早朝には持ってきてくれるそうで、一安心である。

とにかく、三日間の勤務だが、疲れる。土日二日休みなので今はほっとしている。あっという間だと思うが、孫の相手が主な仕事になる。

 

 装置が全く無い中、何箇所からか見積もりを取り稟議書を書き認められたのが、9月中旬、10月20日装置がインドネシアから到着した。普通3カ月掛る。そして、試作依頼を受けたのが10月15日である。17日にインドネシアへ行って9日に金型を持って帰ってきた。これも普通なら、二か月掛る。これだけ短縮しても、評価はされない。そして、依頼された試作品は私が望むものではない。やってみたいものではない。この私の気持ちは今後の設備強化について意見を聞かれても返事をしようがない。何をやりたいかに依って設備の種類は違う。私が欲しい設備は入れてもらえるはずがない。インドネシアの設備の提案も辞退をした。有効ではないと判断したからだ。他の場所の方が有効だからです。仕事を断ってしまうのだから、装置は無駄である。

 

 一つの救いは若者が私から学ぼうとする姿勢である。今日、一緒に長い期間いるわけではないことを話した。出来るだけ、自分でやって、体で覚えるように云っておいた。仕事に向いているといいと思う。

 向き 不向き がっかり

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(^_-)-☆気が疲れる

2011-11-11 23:07:26 | 情報

1030 私の考えは問題が多いようで、一つ一つ指摘される。安全とか5S絡みで御指導を受ける。40年以上、何気なくやってきて全く問題が無かったことも、それは、まずい、と言われる。それも技術を伝えること以前の置き場所がよくないとか、ヒーターの線がむき出しになる可能性があるからよくないとか指摘される。私にしてみれば、どうでもいいことだが、それに従うしかない。毎日のように何かを指摘されそうなので、やることが臆病になってしまう。今まで経験したことが無い、本当の面倒臭さである。やはり、頑として拒否すればよかったと思う。あの人がアドバイスしてくれた事をちゃんと聞いておけばよかったと思う。技術を提供しようと云うのに。私が利益になることは全く無いのに。

輸入品の支払いについても思うように行かないし、もうどうでもいいという気になってくる。

指導は押出機の構造、ホッパードライヤーから普通のホッパーへの交換、溶融金型のセット、ヒーターの取りつけ、配線までやった。定置式の乾燥器を使いたいが開いているのでしょうか。それも、相談しなければならない。

 

うすら寒い日々が続いている。私の気持ちと同じである。日本がどうのこうのということではなく、環境が合わない。

 

下の子の幼稚園の帰りが夕方の6時ごろになるので、昨日は私が迎えに行った。まだ、何人かの子供が迎えを待っている状態で、真っ暗の中、教室だけがこうこうと明るい。小学校の低学年の子供も学校が終わってから預かっているようで混じっていた。良く、こんなに遅くまで預かってくれているなと感心する。仕事の帰りが遅い両親にとっては大変助かるシステムだと思う。

昔、娘が保育園へ行っていた時のことを思い出す。妻は小学校の先生をしていたので、夕方というより、もう、夜になって7時ごろ迎えに交替で行くことになっていたが、私の時にうっかり忘れていて7時半過ぎて迎えに行った時、保母さんと娘と二人で玄関の階段にポツンと座って待っていたのを思い出す。遅れたのはそれ一回だけだったが、待たせて悪かったと云う気持ちが一杯だった。

当時は夫婦共稼ぎといって、まだ、そんなになかった時代でした。保育園には、審査も何も無く、優先的に入園は認められたが、園費は上限だったことを覚えている。

 私がオーディトールになれば、5Sにしても安全衛生に関しても指摘することは山ほどあるが、会社にいる間には気の毒で言えない。

 

 熱意 きつい 決意

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(^_-)-☆プレッシャー

2011-11-10 22:32:07 | 行動

1029 06:30家から出る。片道一時間以上、往復、勿論、二時間以上の通勤が始まった。今日は朝の運転は居眠りをしていた。危ない危ない。インドネシアなら、一区間で高速道路を走るだけ、料金は往復で60円、タダみたいなもの、しかし、日本では、高速を使えば30分往復1時間短縮できるが、やはり、一区間だけなのに800円、とても使えない。
また、日本の堅苦しい仕事が始まった。到着済みの装置を点検したが足りないものが一部あり、それを、日本の業者に製作依頼をした。今週中に全部準備し、来週月曜日には試作をしたいと考えている。上手く行くことを祈るのみである。
安全靴にヘルメット、こんなスタイルで仕事をしたことは、40年以上この仕事をしていて、無い。ごわごわの作業服と重い靴、頭に錘と首に輪、自発的には絶対しないスタイルである。全部に抵抗感がある。
早速、若者に指導開始。これから二週間、みっちり集中指導する。早くやって、早く済ませたい。もう、とにかく・・・。
不足品の調達でホームセンターへ寄って見た。シャコマンやエルボー、ボルトなどを購入した。こういうちょっとした工具や部品の値段は高い。高いが品質は抜群に良いことは確かです。インドネシア製やその他の国々の物より品質は良い。
剪定ばさみや強力磁石、回転刃などは本当に日本の製品は品質が良い。持ちが全然違うし、修理をしてもまた元の切れ味に戻る。基本的な材質から違うのでしょう。日本から輸出をされているでしょうが、現地では見つけることは出来ない。だから、日本から買って持って行くことになる。15年前から状態は同じだ。肝心なものはやはり日本からでないと使い物にならない。ただし、日本人以外の人では、いい加減で良い、と思う人は多いし、安ければ何でもいいと思う人も多い。難しいところだが、日本品質は保っていってほしいと思う。
インドネシア製のヒーター印象として持ちは半分、値段は三分の一というところでしょうか。
日本製 品質 指導 

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(^_-)-☆日本へ到着

2011-11-09 22:18:45 | 体験

1028 孫たちと再会、娘、妻も元気だ。何よりである。孫たちは、三週間会わないだけで、なんとなく、成長しているのが分かって面白い。おじいちゃんとお風呂に入りたいとせがんでくる。それぞれが顔を水につけて我慢を何回数えるまでできるか、何度も試みていた。上の子は一分以上顔を上げずに居ることができて、初めてだと大喜びしていた。付き合うのが大変である。

 私が昨日金型をハンドキャリーしたことは、他の人はやってはいけません。最初、X線チェックで引っ掛かった時、没収と言われた。運送会社を使えと云われた。金額は30万円(4万US$)くらいでした。そんなこと云わないで、今からではどうしようもないから、幾らは払うから、無かったことにしてくれと頼んだ、いくらだと聞いたら、ここじゃ不味いだろ、と言われ、向こうの部屋で来いと云う。先に黄色いPPテープで縛ってもらってからその部屋へ行って、30万Rp払った。満足そうだった、その部屋はカスタムの職員の休憩室というか控室のようでした。其の中に、女性職員も含めて7人いた。財布の中を見せて、空っぽになったよと、と言ったら皆が笑っていた。テレマカシーと言われたのでサマサマと返した。

 荷物は大きさの割に比重が大きすぎる。誰もが持った時に重さでびっくりした。計量で30kgあったと云うことは、実際は35kgあると云う事でした。支払いは、空港でのテクニックの一つで、正式に払えば1万円近く払わなければならないが、ガルーダのキャッシャーで10万Rp払って、また、別室のガルーダ職員の事務所に行くと、そこのトップらしい人がいて、だまって30万Rpを出すとカウンターでもらった請求書に領収のサインをしてくれる。それを先ほどのカウンターへ持って返ると、初めてボーディングパスを渡してもらえる。

 

 こんなことが、当り前のようにできる人でなければ、もしかしたらとんでもないことになるかもしれません。

 

 日本の入管ではその重たいバゲジをすました顔で軽々と引っ張っていると云う風に演技した高架かどうか知らないが、パスポートを一二秒見ただけで通過した。申告カードは20万円以上の商品やサンプル(個人使用の物に限る)は申告と書いてあったが、個人使用ではないので申告しなかった。それが正しいのかどうか知らないが、もし、開けられればどういうことになったのか私には分からない。

 

 もう一度、ハンドキャリーを勧めません。

家の秋。

 別人 孫 禁止

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(^_-)-☆日本へ出発

2011-11-08 22:06:30 | 複雑

1027 間もなく、ジャカルタから日本へ出発する。今回、インドネシア滞在は日本で使う金型を準備し、作って日本へハンドキャリすることと、日本からの中古設備をインドネシアの会社で使ってもらおうと再提案し、推進する事でした。とにかく三週間で二種類の金型のデザインをし、図面を書き、金型を作ると云う神業的迅速さでこなさなければならなかった。もし、日本で作れば図面の費用も発生し、金型費用を含めれば、三倍以上の価格がするでしょう。また、納期も、どんなに急がせても、二カ月以上かかるでしょう。

 そして、日本へ金型を持ち込んだら、装置は入荷しているが細かな準備が出来ていないので三日ほど準備を完了し、その後一週間で二つの製品を作るつもりだ。どんなに遅くても、製作依頼を受けて40日以内には二つのサンプルを作り上げる。私が試される。

 Idul Aduha この行事は大嫌いです。人間を生贄にしていたのを動物に変えたのですが、子供も見ている前で、残酷なやり方だと思う。流石に、テレビではその部分はボカシになるが、どうなっているか、想像はできる。止めてしまおうと云う人はいないのでしょうか。

 折しも、ハジのシーズンです。メッカ巡礼の季節なのです。待遇のひどさがいつも話題になるし、バゲジが無くなってしまったと云う話も繰り返される。それでも、続く。

 一昨日の前夜祭から昨日の本番、イドゥル アドゥハ(犠牲祭)この行事はイスラムにとってレバランラマダンに次ぐ重要な行事です。多くの牛、ヤギ、ヒツジの民衆の前で首を切って殺し、さばいて、細切れにし、参加者に分け与えるのです。資産家が多くの動物を寄付して貧乏人がよってたかって奪い合うと云う風習はずっと以前から変わっていない。ラバラン、レバランの時のスンバコの配布と同じようなものです。いろいろな会場へ行って、できるだけたくさんの分け前を貰おうと、皆さん必死です。パニック、ヒステリーはいつものこと。何回も受け取りに来ます。肉屋さんが代理人が代理人を差し向けることもあります。

 獲得した肉やスンバコをどうするかというと、お金に変えるのです。売るのです。当り前のことですが、大多数の人は、肉や洗剤や砂糖より現金を欲しいのです。イスラムの振る舞うと云う習慣も金持ちの罪滅ぼしというか、自己満足を満たすにはいい機会かもしれないが、一般庶民の本心は、現金を配ってもらいたいのです。モハメッドさんもその庶民感覚を分かっていなかったようです。

 其の会場を出た処の道端で、路上販売が行われている。

 

ぎりぎりの夕方5時過ぎに金型とインボイスを受け取った。空港に入る時のX線チェックでやっぱりバゲジを開けられ、持ち出しは認めないと云われた。しょうがないから30万Rp別室で払った。今度はカウンターで5kgオーバー、別のキャッシャーで40万Rp払った。仕方がない。

支払い 袖の下 重量オーバー

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(^_-)-☆ムシン ウジャン

2011-11-07 23:28:09 | 情報

1026 Musim hujan雨季です。ジャカルタ、ジャボタベックは完全に雨季に入ったようです。また、各地から洪水や崖崩れのニュースが入ってきている。順調なら来年3月まで続くでしょう。

 心配はパレンバンの洪水です。シーゲームを何故、雨季にしたのでしょうか、また、雨季になれば簡単に広範囲に洪水を起こす、パレンバンを主会場にしたのでしょうか。ムシ川は堤防(土手)が無く、水かさが増せば、自然に氾濫して流域が広がり、川幅が広がるようになっている。市内中が50cm位に冠水する年は珍しくない。どの家も、50cm以上高床になっている。パレンバンは大丈夫でしょうか。

 

 タイの洪水については、最近、あまりニュースでやらなくなった、ということは、水が引いて来たということでしょう。ただし、その影響は当分続くでしょう。その点、インドネシアの工業団地のどこでも、洪水に依って装置や機械が水浸しになって使い物にならなくなると云うような場所は無い。ジャカルタ北部の工業団地は今でも心配は有るが、主力工場は、今、ジャカルタ北部には無くなっている。唯一、気になる工業団地はスマランの港、埋め立て地にある工業団地だけでしょう。ということで、これから本格的なMusim Banjirになるが、タイのようなことになる心配は無いでしょう。

 

 ただし、一部の従業員が出勤ができなくなったり、遅刻したり、納品が遅れたりすることは避けられない、それらは、予想しておかなけばならない。従業員が住んでいる場所に何らかの被害があった場合は見舞金を出す会社もある。ブカシ県では国道より北側の一帯は毎年、何回かの洪水に見舞われる。

 

 ジャカルタについては、道路の低い箇所、水が溜まって、車が通れなくなることは当り前に、あちこちにある。年中行事のようなもの、水が溜まる場所は決まっている。既に、このことは起きている。先日は、雨によってではなく、地下をくぐる幹線道路カサブランカの両脇から、どういうわけか、水が吹く出して冠水し、その水漏れを止めるのに半日かかったという事態もあった。渋滞の頻度は増す。空港への道路、冠水対策として、両側に一段と高い位置に道路を作った。それで、大丈夫のようになったと安心できない。空港へ向かう高い位置の道路はタンゲランへ向かう大型のトラックで大渋滞、料金所から直ぐに渋滞にはまってしまう。ジャカルタのグロゴール方面へは大型トラックが進入禁止になったのが原因です。やはり、空港へは十分の余裕をもって出かける必要があります。

 ゴルフは午後からのプレーの場合、昼過ぎから雨が吹く可能性が高いので、中止になってしまう場合がある。

 ラフレシアとラフレシアを若干離れた場所から見た場合、普通は草むらで見えにくいし、枯葉の中で保護色になっているので大変見つけにくい。臭いを頼りにする。

 

 大雨 洪水 渋滞

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(^_-)-☆シーゲーム

2011-11-06 22:08:06 | インドネシア

1025 “AYO! INDONASIA BISA“シーゲームという東南アジアスポーツ大会がインドネシアのパレンバンをメイン会場に26日から開催される。その、スローガンです。どういうわけかボロブドゥールの前で太陽光から取った火を聖火として。現代西へ向かってリレー中です。ジャカルタは今日辺り通り過ぎたと思う。ジャカルタでも各種の競技をする。カラワンではエイトやカヤックなどのボートレース会場を建設中です。

毎年、持ち回りで行われる。十何カ国が参加している。アジア大会なら、中国、韓国、日本とで90%以上の金メダルを取ってしまうので、その三国や中東の国を除外して内々で、金メダルを争いましょう、という大会です。だから、レベルは低い。スピード感がないし、躍動感も無い。プロモーションに出てくるインドネシアでは一流の選手たちの映像が盛んに流され、彼らが、成功させようなどと言っている。しかし、その一流選手の動きが今一躍動感に欠ける。インドネシア人はそれで、頑張ろうと思うのでしょうね。

 施設の建設状況についても報道がある。感覚として、平均70%完成と言っているようです。工事中の作業者へのインタビューでは、資材の入荷か遅れていて、それも、いつ入るのかしらされていないから、完成が間に合うかどうかは答えられない、と答えている。残り日数が20日しかない。20日残して70%完成、残り30%をやってしまうのでしょうから、同じ速度でやっているとしたら、工事を始めたのは、75日前という計算になる。そんな馬鹿な。

 選手の強化もどこでどうしているのか外国人の私には見えてこない。フェンシング、体操、新体操、セパタクロー、選手が居るのでしょうか、練習する施設があるのでしょうか。そんなコーチが指導しているのでしょうか。地元有利のはずの会場での練習も会場が完成していなければ、できない。カラワンのボート会場も工事中でボートの選手はここで練習していない。

 外国からの選手の宿泊施設、パレンバンはムシ川に豪華客船を碇泊させて選手村のように使うらしいが、地上の選手村は無いようです。現有のホテルを使うらしい。

 

 とにかく、日本ならあり得ない、のんびりさで、いい加減さである。結局、完成しないまま、開催されるのだと思う。とてもじゃないがアジア大会への立候補は無理だし、オリンピックなどと言ったらとんでもない話になる。

 

例の国外逃亡までして捕まった、スオーツ省のナザルディン被告の裁判が続けられている。今日、インタビューに答えていて、予算の内の18M(日本円で約17億円)をどことどこの三か所に渡した、と言っていた。その一つに現大統領SBYの民主党に1M渡したと云っていた。学生の反SBY運動に拍車がかかるでしょう。シーゲーム開催中に大規模な妨害デモや爆弾事件が起きる可能性もある。

問題だらけのシーゲームだが、時間が経過すれば、開催され、終了するのでしょう。

 

 インドネシアの棚田は至る所にある。見渡す限りの平野に水平線まで田圃という場所もあるが、多くの田圃は、ほとんど山の中に在り、全てが棚田です。日本の棚田など100分の1の規模も無い。それが、観光の対象や保存の対象になっているのだから面白い。

 私が一番規模が大きいと思うインドネシアの棚田は、意外にジャカルタから近い場所で、ガルットとタシクマラヤを結ぶ道路の両脇、特に北側、カンプンナガ(伝統的家屋の集落、今も電気やLPGを使わない)がこの辺りにある。道路はVの字の谷に沿って南側を通る、Vの字の深さは200m以上あると思う、インドネシアには珍しく清流が流れている、その両脇から天に向かって棚田がある、5km以上は続くと思う。バリの棚田なども外国に紹介されていて名所になっているところもあるが、規模的にそれらの10倍以上の幅と高さがと思う。

 シーゲーム 呑気 汚職

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(^_-)-☆イジップ(EJIP)

2011-11-05 22:37:56 | 複雑

1024 イジップへ行く用事は、今は無いので、ほとんど行くことは無い。夕方、イジップの会社を訪問してきた。そこの社長さんとは時々ゴルフを一緒させていただいて、社内で押出成形を始めたが、NGが消えないから、いつかきて見てほしいと云われていたが、機会が無く今までの延び延びになっていて、月曜日にまた日本へ出発してしまうので、今日しかないと思って訪問した。 

 綺麗な環境でやっていたのが羨ましかった、また、装置が全部最新で真新しい。私としては、使ったばかりに新品を使ったことが無い。良いものだなと思う。私が、中古機械医がメインで、金型関係をインドネシアで作れば同じ製品を作るのに300万円あればできる。ところが、その真新しい装置2000万円だそうです。其の上、作っている製品と装置がアンバランスで、製品の艶が原料の艶と違っている。原料を見ると、もっと艶が良い製品ができるはずである。

 診断は、もったいないの一言、贅沢に作ってあるが、壺を掴んでいない。もっと、簡素化した方が良い製品ができるでした。大は小を兼ねない。

 新しいテーマを頂いたので、来年、考えようと思う。

 

ところで、其処の会社の近くの刃物屋さんの前で、いまだに、お金ちょうだいをやっている。事情を知っているわけではないが、既に2年くらいになるのでしょう。会社自体は操業していて、その邪魔をするわけではないが、毎日毎日、辛抱良く、正門の前の道路の中央で、何かを云いつづけている。私が通る時には必ず数人がいる。会社のセキュリティも見張っている。暴走は無いようです。しかし、いつまでつづけるつもりなのでしょうか。何かを争った裁判の結果は会社側が勝ったと云う、今、ストライキをしている人達は負けているのですが、それが納得できないらしい。

 社の前で、騒がれたら、迷惑だが、もう、二年近くになれば、普通の風景になっていて、会社もなにも感じないし、ストライキの効果も無いと思うし、通る人もなんとも思わなくなっている。

 

 左の窓から撮った写真。半開きの窓から棚田。高速道路の大渋滞のど真ん中でエンストをし、様子を見ている。渋滞の原因はこの車ではなく、そこから一キロ以上前方で、トラックが路肩に寝ころんでいた。交通の妨げになっていなかった。見物渋滞だった。このくいる間の方が障害である。

 

 障害 過剰 ストライキ

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(^_-)-☆どうせ、だめなら

2011-11-04 22:36:57 | 状況

1023 HP,モニターが表示せず、どうしようもないからノキアを買ったが、電話番号を入れるのに直ぐには出来そうもない。掛ってきたりSMSが送られてきた人は直ちに保存できるが、それだけではいつになるか分からない。それに、誰から掛って来たか画面を見れば分かったが、それがわからないから、相手に失礼になってしまう。名刺から拾い出して一人一人保存しなければならない。これが、膨大な仕事。

 前のHPをちょこっと叩いてみた。同じ状態だ、30cmくらいの高さから落としてみた、やはりどうにもならない。今度は1mくらいの高さからタイルの床に落としてみた。蓋がはずれ、バッテリーが飛び出した。今回はわざとだが、今まで、わざとではなく、胸ポケットなどから落として10回以上このようなショックは与えている。組み立てて見た。オンにしたら、見事にモニターが回復していた。

 これで、そのまま使えて安心、これからは、ボタンが付いたポケットに仕舞っておくことにする。世界中どこでも使えるHPは継続する。

 

 どうせダメなら早く結論を出して欲しい。ずるずる、ああでもない、こうでもない、何が足りない、何が余分、色々いわれてももう対応しない。私は個人的に持ち込むと云うことも除外した。望まれない物を無理やり押し付けるようで、後で、どんなことが起きるか分からないので、係わるのは止めにした。部分ではだめ、全部まとめて必要で、それらの全てが220Vから400Vに変換するためのトラフォが必要だし、水槽や金型の費用も発生するので、それがわかって判断する気が効いた状態で判断するようすが無いので、後で、余計な金が必要になってしまったと云われかねない。だから、判断の前にこれ等のことを伝えて置いて、暗に断るように仕向けた方が無難だと思う。

 

 来年の三月末で見切りをつけることを役員の一人にほのめかした。理由は考え方が違う。彼も、それを理解したし、彼が期待したほのめかしでもあった。日本の方も、完全に中途半端というより、機械を入れただけになるが、やむ負えないと思う。どうしても来いと云われ断り続けたが、ことわりきれずに入ってしまったが、様子は予想通りで、やはり、招かれざる存在だった。教える若者が居るので、こちらも3月末まではいることにする。

 

宣言 見切り 予想通り

 

 

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(^_-)-☆速度は同じ

2011-11-03 22:08:04 | 習慣

1022 私も、早いもので、今日、68歳になった。人におめでとうと言われても全然うれしくないが、“我思う故に我あり”で、思うようになったことを感謝する日だと思うが、この歳になると、そう長くない間に、思わなくなるのだから、我なしになる日もそう遠くないと思う。

 年のことを考えたらどうですか、と、若い人たちに云われるが、年を考えて行動したことは無い。ただし、年を感じることは年々増えているし、色々な部分で感じる。

 

 今後の予定としては二年間、70歳までは、我慢をする。自分からの行動は慎む、できれば、精神的な休養をしたい、特に仕事に関しては、余計なことはしない。頼まれたことだけを余裕を持ってやる。出来そうもないことをできると云わないようにする。

 ということを考えているが、どうでしょうか、できるでしょうか。 

 

 ほとんどニュースになっていない、ジャカルタ新聞でも扱われていない。テレビでも、一日の午前中に様子を報道していたが、その後の報道は全くない。昨日真夜中に出発して、パンガンダランへ行ってきた。往復、運転、15時間、というのは、帰り道、いつもと違う南回り(ガルット)経由ヲをしたので、余計な時間がかかってしまった。

 地元の人に聞いたら、あの船だと云う。小さい、70人も乗っていたとは思えない。転覆したのは東海岸ではなく、ヌサカンバンガンとチラチャップ側との間だそうです。真夜中に船が航行する場所ではなく、たまたま、地元の小舟が通って発見したそうです。

 パンガンダランの西海岸に引っ張って来られていた。

不思議な話である。ヌサトゥンガラ、アンボンからこの船で来たと云う。どこを経由したのでしょうか、全く、難民船の雰囲気である。行方不明者の捜索をまだしているようです。

 ということで、妙な誕生日にしてしまった。家へ戻ったのが22:00過ぎ、その後、爆睡、よく眠った。

ソニーエリクソン3GHPのモニターが壊れてしまった。二千円でノキアのHPを買った。カメラなし、ネット機能なし、できるのは電話とラジオを聞くことくらい。困ったのは、今まで溜めこんだ電話番号が全部、消えてしまったことです。

 それと、今度のHPはインドネシアやシンガポールなど電波が届く処でしか使えない。

日本では日本のHPを使うしかない。

疲れ 壊れ 無茶

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(^_-)-☆早いもので

2011-11-02 13:28:23 | 能力

1021 下の方の孫が、早いもので、もう、5才になった。この子、一か月前に自転車に乗れるようになった。今、日本にいるが、ドイツにいたら、上の子が、三カ月ほど前に乗れるようになったように、6歳になっても自転車には乗れなかったでしょう。良いのか悪いのか判断をしかねるが、子供が色々できるようになるのは日本の方が二年くらい早いように思う。親が早いうちにいろいろやらせるからでしょう。学校教育も5カ月早く始まるので、上の子が日本の小学校へ入った9月は同級生からずっと遅れていたし、幼稚園や保育園でも若干教育をするので、なお、差が大きいように思う。最初、一か月ほどは宿題をほとんど自分で出来なかった。保護者が入れ替わり立ち替わり、家庭教師になって教えたのが効いて、10月末には追い付くようになったと思う。
ゆとり教育の見直しをされたらしいが、ドイツは日本のゆとり教育だったころよりゆとりがあるような教育をしているように思う。アジアの国々の若者が数学オリンピックやロボコンや技能オリンピックでいい成績を上げている、日本はアジアの他の国に既にその成績は追い越されているような印象がある。しかし、欧米の若者は参加しているのでしょうか、あまり、上位に入ったと云う話は聞かない。
それでも、歴史的な強みと基礎教育の違いでしょうか、大人になってから貰う、何とか賞は遥かに欧米が主力です。数学や経済学などは欧米えこひいきと思えるくらいに欧米人の受賞が多い。最近、やっと日本人が貰うようになってきたが、他のアジア諸国では、平和賞くらいのものである。これは、貧困や紛争があるから貰える賞で、西欧諸国の人では、自分の国の中では平和賞に当たる仕事はできない。佐藤元首相のように貧困国への援助でしか、チャンスは無いから、中進国の人ではまったくチャンスは無い。
ということで、賞を取れるから良いと云うことまないし、どんな教育が優れていると云うことも無いし、教育が洗脳のようなことになってもまずいし、永遠の問題だと思うが、そこまで、行かない国の子供の人口が多いことも確かである。

パンガンダランの東海岸でイランから来た観光船が午前3時ごろ、強風と豪雨の中、座礁、浸水、沈没して70人のうち生存者50人が収容され、8人が死亡、12人が行方不明だそうです。場所は想像するにパンガンダランの半島の先の東側だと思う。岩礁が波で見え隠れしている場所が多い。
その豪雨と強風の中、地元の漁民は小さな漁船で救助に向かったとか、50人も良く助けたと思う。
似たような事故を何回か聞いているが全部欧米人です。小舟で転覆の事故も欧米人がほとんどです。それだけ、欧米からの訪問者が多いのでしょう。ジャングル(チャガールアラム)の中で行方不明になって、後に死体で発見されたのも欧米人や中東人でした。ヌサカンバンガン付近は潮流の関係でうねりがいつも大きく5mくらいの高さになる場合がある。インド洋の寄せる波はジャワ島の北側の東シナ海と違ってかなり高い。写真は穏やかな方です。日本人の泳ぎに自信がある人でも救命胴衣は着けた方が良い。

 もうできる まだできない 教育

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