蕎麦屋のカツ丼が食べたい事について「汁に浸み込んだ衣がただただウマいから」という表現がある。
そう、昨今のパン粉トゲトゲのカツ丼ではなく、
適度にシナっとした衣がご飯とお肉との一体感を醸し出すキチンと煮てあるカツ丼。
蕎麦アレルギーなので蕎麦屋には近寄らなかったが、
(周囲のお客さんや店員さんに出血を噴きかけたり、迷惑をかけたくないから)
元気が無い時とか、どうもカツ丼を食べると不思議と元気が出るし
(多分ビタミンB1とかも作用をしているのではないだろうか!!?)
そういう時は有名店にこだわらず富士〇ばとかでササっと済ますのだが、なんかこのカツ丼がウマいな・・・っていつも感じていて、
自分の場合、哀しい時に食べるからかなぁと密かに考えていたのだが、
先日小諸〇麦のカツ丼を食べて、あれ?、どうもやっぱり美味しいぞ?
大金を出して、専門店で食べるカツ丼もあるが、これも美味しいんじゃないかと感じて、
ネットで勧められる情報に又不信感を感じたので、ちょっと調べてみる事と・・・、
店やメディアの情報に踊らされる事にこだわらないでジャッジをすれば、美味しいんじゃないか?ってちょっと思い出し、
それが一体何故なのか?考えた時(←蕎麦が喰えないから絶対的に蕎麦屋に行く回数が当然人より少ないので解からなかったのよ・・・)、
「かえし」だ・・・って事に気付いた。
その「かえし」で煮る事によって、冒頭で書いたように衣がシンナリとして、その美味しい出汁をふんだんに吸い込んでいるから深みがあるんだ!!
そこが違うんだ!!!という事に気付くと、
段々と、パン粉のトゲトゲ感とかに気付き始め、
(熱々のトゲトゲが口内に刺さる感じが嫌で、本当は揚げ立て過ぎるパン粉が苦手で・・・)
最終的に蕎麦屋のカツ丼とトンカツ屋のカツ丼は違うと最近解かった・・・
全くの『別物』といっても私の中では過言ではない。
しかもネットで上位に来たり、インフルエンサーが広めているのはトゲトゲしたパン粉のカツ丼ばかりが多いという事もなんとなく観えてきた。
(現時点でだが・・・)
出汁とか「かえし」とか旨味を解かってんのかな?って。
肉や油の質なら、揚げ立てのトンカツが1番だもの、丼は肉や油の質じゃない、味付けだわ・・・
その時点で、
トンカツ屋さん側を考察してみると、
・「折角」凄い技術でサクっとカリっと揚げたトンカツをなんでシナっとさせないといけないのか?
・「折角」油や肉にこだわって絶妙な火入れ加減にしてあるのに、なんで煮て更に加熱を加えないといけないのか?
こういう気持ちが無意識に出ているのでは?と・・・
トンカツ屋さんのカツ丼にいつも1個だけ端っこ場がほぼ煮ない状態で丼の中の違う場所に置かれているパン粉の衣がキチンと立っているモノを何度か観て、それが理解出来た。
(だって、プロが揚げたトンカツって美味しいんだもの、その1個で丼の中の他の煮たカツを全部凌駕してしまう=ということは、これは意図的に行われている行為であって、←プロならそうするし解かる→きっと、食べる側へのメッセージなのではないか?と合点がいった・・・)
「カツ丼、あれは蕎麦屋の仕事だね」という言葉もあるらしいし。
対して蕎麦屋のカツ丼は
「かえし」に自信があるので、その汁をタップリ浸み込ませた味で食べて欲しい!!というそんな気持ちが込もっているので、シットリとシッカリ煮てある。
勿論、煮過ぎてもダメなんだけれどね。
適度に衣の弾力性を残す感じで煮ないとトンカツではなくなってしまう。
その塩梅は中々難しい。
よく丼の中の小宇宙と言われるように、
・カツの量
・ご飯の量
・肉の薄さ(薄過ぎても寂しいしかといって厚過ぎてもダメだ)
・米の丼用にピンと立った硬さや米の質(研ぎ加減や浸水加減)
・玉子の加減
・玉葱の火入れ&浸み込み加減
・三つ葉、グリンピース、きぬさや等
・漬物
・タレの濃さや量
etc・・・
これらのバランスが一体感があるのか?
食べ終わった後の満足感は?とか、これがかなり難しい。
チェーン店は、原価率の事もあるだろうから、(普遍的なモノを主力としないとならないし)特にその部分がモノ凄く考えられている気がする・・・
(マーケティング力の違いとでもいおうか・・・)
今まで私も牛丼でもなんでも、ガキの頃は大盛とか「肉さえあれば」という考えだったのが、
この丼の中の小宇宙論を知ってから、並が如何に完成をされているのか?という所に主眼をおくようになって、
並で美味しさを判断し、満足をするようになった。
(腹八分だし)
だから勿論「つゆぬき」にしている。
折角米を丼用にピンっと立たせているので「つゆだく」で米をベシャベシャとかフニャフニャにはしたくない。
今回、蕎麦屋のカツ丼の真似をして、醤油と和風出汁の素とかで濃い目に煮てみたが、
「かえし」ではないし、熟成もされていないから、やはりどうしても「深み」が足りない!!
ただ濃いだけと「熟成され、まろやかになった深み」は違うと改めて解かった。
(確か「かえし」って一晩置くんだろ・・・?、私は蕎麦とか食べると死んでしまうので、どうしても食べないので「かえし」については薄っすらとしか勉強をしていないのだが・・・そりゃ即席のツユと「かえし」では「深み」が違ってくるよな・・・~、本気で真似てやってみると本当に難しいな~って感じた、=自分の味だと上手く出来て又違うのに)
やっぱり人真似じゃダメだなー
新たなる高い壁が目の前に現れて、なんだか嬉しいじゃないか!!
「オマケ」
昔カツ丼の名店であるトンカツ屋さんへ行った時、よく来ているであろうサラリーマン達の7割以上がカツ丼ではなくミックスフライや普通のトンカツをオーダーをしているのを観て、
「え?なんで?カツ丼の名店なのにみんなカツ丼を頼まないんだ???」と内心、胸の鼓笛隊がドキドキとしていた事があったが、恐らくそういう人達はこのことを「知っているんだ」・・・
トンカツ屋さんでは揚げ立てが1番美味いってことを・・・だからカツ丼は頼んでいないんだ。
結局ネットやTV・インフルエンサー等のアンテナに踊らされているのは俺みたいな経験ではなく情報で体験を得ようとする輩がパッと動いてしまうのだろう・・・
やはり自身で行ってみないと解からんわ。
カツ丼が好きなのかもしれないと気付いた。
食べ物を公平に判断したいので、食べ物の好き嫌いを一切無くそうと、
食べ物というか料理とは常に距離を取り続けてきたのだが、どうもカツ丼は好きな料理だったのではないか?という事に気付き始めた。
因みに車田正美の影響も大きく、
(当時漫画はあまり買えなかったのだが)
聖闘士星矢の氷河vsカミュが掲載をされている単行本だけは持っているけれど、
その背表紙に「好きな時にカツ丼を食べられるように(頑張っていた)」という旨の文言を何度も目にしていた事も理由の1つとしてあるのかもしれない・・・
又、引っ張り出してきて読もうかな、スコーピオンのミロとかも好きだったし。
(蠍座の人とかカッコイイんだけれど・・・)
そう、昨今のパン粉トゲトゲのカツ丼ではなく、
適度にシナっとした衣がご飯とお肉との一体感を醸し出すキチンと煮てあるカツ丼。
蕎麦アレルギーなので蕎麦屋には近寄らなかったが、
(周囲のお客さんや店員さんに出血を噴きかけたり、迷惑をかけたくないから)
元気が無い時とか、どうもカツ丼を食べると不思議と元気が出るし
(多分ビタミンB1とかも作用をしているのではないだろうか!!?)
そういう時は有名店にこだわらず富士〇ばとかでササっと済ますのだが、なんかこのカツ丼がウマいな・・・っていつも感じていて、
自分の場合、哀しい時に食べるからかなぁと密かに考えていたのだが、
先日小諸〇麦のカツ丼を食べて、あれ?、どうもやっぱり美味しいぞ?
大金を出して、専門店で食べるカツ丼もあるが、これも美味しいんじゃないかと感じて、
ネットで勧められる情報に又不信感を感じたので、ちょっと調べてみる事と・・・、
店やメディアの情報に踊らされる事にこだわらないでジャッジをすれば、美味しいんじゃないか?ってちょっと思い出し、
それが一体何故なのか?考えた時(←蕎麦が喰えないから絶対的に蕎麦屋に行く回数が当然人より少ないので解からなかったのよ・・・)、
「かえし」だ・・・って事に気付いた。
その「かえし」で煮る事によって、冒頭で書いたように衣がシンナリとして、その美味しい出汁をふんだんに吸い込んでいるから深みがあるんだ!!
そこが違うんだ!!!という事に気付くと、
段々と、パン粉のトゲトゲ感とかに気付き始め、
(熱々のトゲトゲが口内に刺さる感じが嫌で、本当は揚げ立て過ぎるパン粉が苦手で・・・)
最終的に蕎麦屋のカツ丼とトンカツ屋のカツ丼は違うと最近解かった・・・
全くの『別物』といっても私の中では過言ではない。
しかもネットで上位に来たり、インフルエンサーが広めているのはトゲトゲしたパン粉のカツ丼ばかりが多いという事もなんとなく観えてきた。
(現時点でだが・・・)
出汁とか「かえし」とか旨味を解かってんのかな?って。
肉や油の質なら、揚げ立てのトンカツが1番だもの、丼は肉や油の質じゃない、味付けだわ・・・
その時点で、
トンカツ屋さん側を考察してみると、
・「折角」凄い技術でサクっとカリっと揚げたトンカツをなんでシナっとさせないといけないのか?
・「折角」油や肉にこだわって絶妙な火入れ加減にしてあるのに、なんで煮て更に加熱を加えないといけないのか?
こういう気持ちが無意識に出ているのでは?と・・・
トンカツ屋さんのカツ丼にいつも1個だけ端っこ場がほぼ煮ない状態で丼の中の違う場所に置かれているパン粉の衣がキチンと立っているモノを何度か観て、それが理解出来た。
(だって、プロが揚げたトンカツって美味しいんだもの、その1個で丼の中の他の煮たカツを全部凌駕してしまう=ということは、これは意図的に行われている行為であって、←プロならそうするし解かる→きっと、食べる側へのメッセージなのではないか?と合点がいった・・・)
「カツ丼、あれは蕎麦屋の仕事だね」という言葉もあるらしいし。
対して蕎麦屋のカツ丼は
「かえし」に自信があるので、その汁をタップリ浸み込ませた味で食べて欲しい!!というそんな気持ちが込もっているので、シットリとシッカリ煮てある。
勿論、煮過ぎてもダメなんだけれどね。
適度に衣の弾力性を残す感じで煮ないとトンカツではなくなってしまう。
その塩梅は中々難しい。
よく丼の中の小宇宙と言われるように、
・カツの量
・ご飯の量
・肉の薄さ(薄過ぎても寂しいしかといって厚過ぎてもダメだ)
・米の丼用にピンと立った硬さや米の質(研ぎ加減や浸水加減)
・玉子の加減
・玉葱の火入れ&浸み込み加減
・三つ葉、グリンピース、きぬさや等
・漬物
・タレの濃さや量
etc・・・
これらのバランスが一体感があるのか?
食べ終わった後の満足感は?とか、これがかなり難しい。
チェーン店は、原価率の事もあるだろうから、(普遍的なモノを主力としないとならないし)特にその部分がモノ凄く考えられている気がする・・・
(マーケティング力の違いとでもいおうか・・・)
今まで私も牛丼でもなんでも、ガキの頃は大盛とか「肉さえあれば」という考えだったのが、
この丼の中の小宇宙論を知ってから、並が如何に完成をされているのか?という所に主眼をおくようになって、
並で美味しさを判断し、満足をするようになった。
(腹八分だし)
だから勿論「つゆぬき」にしている。
折角米を丼用にピンっと立たせているので「つゆだく」で米をベシャベシャとかフニャフニャにはしたくない。
今回、蕎麦屋のカツ丼の真似をして、醤油と和風出汁の素とかで濃い目に煮てみたが、
「かえし」ではないし、熟成もされていないから、やはりどうしても「深み」が足りない!!
ただ濃いだけと「熟成され、まろやかになった深み」は違うと改めて解かった。
(確か「かえし」って一晩置くんだろ・・・?、私は蕎麦とか食べると死んでしまうので、どうしても食べないので「かえし」については薄っすらとしか勉強をしていないのだが・・・そりゃ即席のツユと「かえし」では「深み」が違ってくるよな・・・~、本気で真似てやってみると本当に難しいな~って感じた、=自分の味だと上手く出来て又違うのに)
やっぱり人真似じゃダメだなー
新たなる高い壁が目の前に現れて、なんだか嬉しいじゃないか!!
「オマケ」
昔カツ丼の名店であるトンカツ屋さんへ行った時、よく来ているであろうサラリーマン達の7割以上がカツ丼ではなくミックスフライや普通のトンカツをオーダーをしているのを観て、
「え?なんで?カツ丼の名店なのにみんなカツ丼を頼まないんだ???」と内心、胸の鼓笛隊がドキドキとしていた事があったが、恐らくそういう人達はこのことを「知っているんだ」・・・
トンカツ屋さんでは揚げ立てが1番美味いってことを・・・だからカツ丼は頼んでいないんだ。
結局ネットやTV・インフルエンサー等のアンテナに踊らされているのは俺みたいな経験ではなく情報で体験を得ようとする輩がパッと動いてしまうのだろう・・・
やはり自身で行ってみないと解からんわ。
カツ丼が好きなのかもしれないと気付いた。
食べ物を公平に判断したいので、食べ物の好き嫌いを一切無くそうと、
食べ物というか料理とは常に距離を取り続けてきたのだが、どうもカツ丼は好きな料理だったのではないか?という事に気付き始めた。
因みに車田正美の影響も大きく、
(当時漫画はあまり買えなかったのだが)
聖闘士星矢の氷河vsカミュが掲載をされている単行本だけは持っているけれど、
その背表紙に「好きな時にカツ丼を食べられるように(頑張っていた)」という旨の文言を何度も目にしていた事も理由の1つとしてあるのかもしれない・・・
又、引っ張り出してきて読もうかな、スコーピオンのミロとかも好きだったし。
(蠍座の人とかカッコイイんだけれど・・・)