エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

季節の色・・・柔らかで懐の深い色

2011年03月10日 | 
季節が進む。
桜の蕾が膨らんできたのが、その証左である。



水仙もそこかしこに咲いている。
この水仙は色白美人である。



刻は今・・・芽吹きの季節である。
この芽吹き、カリンである。

艶めかしくもあり、匂いは青い。



スポット・パーク、街角の一寸した公園の色彩である。
菜の花はやはり春を演出する存在である。



白梅と紅梅が入り混じって良い雰囲気と景色である。



いま・・・空が綺麗だ。
空を眺める習慣を身につけるチャンスでもある。

大分以前からホトケノザは咲いているけれど、今日は「ヒメオドリコソウ」の花を見た。



これである。
花の印象はホトケノザであるけれど、似て非なるものである。

葉っぱが違うのである。
この葉では仏様は座れない。

もう、この花が咲いたのか!
と、嬉しくなっている今日である。






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                     荒野人



赤き葉の悲しき定めに

2011年03月10日 | ポエム
いま、季節は木の芽時だとするのが至当だけれど、色彩の残滓がそこかしこに残っているのである。



南天の葉である。
だんだら模様になっているけれど紛れも無い南天である。

難を転ずるのである。
ぼくらが子どもの頃は、便所(あえてトイレと書かないで便所である)の窓から見える位置に植えられていたものである。








        赤き葉の悲しき定めに


      赤き葉の一片に心ざわめく時もある
      泡立つようなきみの素肌に
      触れることも無く
      赤き葉の孤独にきみは
      ざわめかないというのか

      きみの隙間に
      少しだけでも場所をくれないか
      失ってきた時間と時空を
      必ず取り返してあげるから
      赤き葉の色合いがそう言っている

      日差しの和らぐ午後の孤独よ
      傾く地軸のままに
      磁力の移動などはありえないという
      極致にあってきみは磁場を感じ
      磁場を踏み倒していくというのだろうか

      赤き葉の一片は
      いつまでも失わないという
      きみの純情の孤独だというのか
      磁場と地軸の関係が
      きみのすべてであると確信させたまえ






ヒイラギの赤い葉である。
縁の棘々を痛々しく思える寒さがあって、寒波が関東にまで下りて来ているのを知覚出来るのである。

これが寒さの体感である。
いっそ、潔い寒さである。



空に蹲(うずくま)るような雲があった。
その雲の周囲が、強く寒い風でぼかされたように散っている。



どこからともなくチンチョウゲの香りが漂ってきた。
蕾がひらき、香りを放っているのだ。

目を瞑(つむ)ると、きみが網膜に像を結んだ。






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