エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

人が溢れる・・・

2011年03月28日 | ポエム
クルンテープ・・・天使の都に埋没して、ぼくは沈思黙考したのだった。
この街には不思議な包容力がある。



他者が他者に無駄に干渉しないからなのかもしれない。
その代わり、かなりの部分でイラつく事もあるのだ。

この車列は、バンコクのシーロム通りである。







        人が溢れる・・・



      人が溢れる
      車列が前にある
      自転車やバイクや
      それから
      人いきれや排気されるガスの
      腐った臭いが充満している街角で
      ぼくはきみと
      気の遠くなる口づけを交わしたのだった
      溢れる人の波は
      ぼくときみの二人には気づくこともなく
      通り過ぎ
      流れ去った

      ぼくはいま
      きみと手を繋がなかった事実に
      途方もない後悔を抱きつつ
      身を委ねている

      きみの手の甲や指が荒れていて
      悲しくなったとき
      きみの二の腕の思いもよらない柔らかさに
      埋もれてしまいそうになったとき
      きみを抱きしめた腕が滑らかさに
      震えたとき
      きみの項に口づけして甘さを感じ
      うっとりとしたとき
      いつまでも時間を忘れて唇を
      重ね続けたとき
      繰り返し繰り返しきみのくちびるを
      吸いつづけたとき
      いつのまにかきみの胸の膨らみに
      手がのびたとき

      きみはいやいやをしながら天使になって
      ぼくを包みこんだのだった

      この国の精霊たちが
      ぼくときみを引き離しても
      ぼくはきみを愛したことを
      忘れない
      ずっしりとした重みをもって
      ぼくはきみの存在と
      きみを抱いたときの感触を
      忘れることはない

      きみと二人で渡った
      川の流れが尽きても
      ぼくはきみを愛したのだ

      川が
      思いでという孤独を流し去っても
      きみはここに留まる
      ぼくの記憶というここに

      人が流れ
      それが溢れても
      ぼくはきみの思いでの中に留まり
      流されることはない

      いつまでもきみを抱き続けるのだから






この川はチャオプラヤー川である。

ぼくの思い出は川の流れにのった。
このまま彼岸の彼方へと漂泊するのだろうか。

それとも現世に浮遊しつづけるのだろうか。



追伸;この文章は「洪水」という表現を多用したけれど、被災地の方たちの感情を思い別の表現にしたものである。
   従って、表現に生硬な感覚があったとしたらその意味であると納得頂きたいのである。




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