エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

くっきりとした富士山へ・・・甲府盆地の高みから

2011年03月11日 | ポエム
甲府盆地の底辺部では、富士山の山頂が覗いているだけであるけれど、北方向の高みに行けば雄大な富士山が拝めるのである。



梅の花と松の枝越しに富士山が聳えるのである。



雪をたっぷりといただいている。
稜線の筋一本一本が鮮やかに見える。







        富士山が見える場所で


      そこは富士山を見るために設えられた
      何物も遮ることなく
      何物にも遮られない

      富士山は現世を透過する存在として
      この世にあるのだ
      この世にあって君臨する

      君臨する
      ボナパルトのように君臨する
      周囲の山を睥睨する

      富士山の懐は浅い
      浅いから際立つ
      際立つから目立ち聳える

      だがしかし
      そうだからこそ富士山は
      見る者を鼓舞し叱咤する

      富士山が見える場所で
      生命が横溢し躍動する
      躍動し弾ける

      その場所は力に溢れ
      集中と拡散を普段に営み
      力を再生産する

      指呼の間に富士山を置く
      視野の限り富士山をいただく
      富士山は聴覚でも味覚でも感じるのだ

      視覚を失っても富士山は鳴動する
      そういう場所は必ずある
      その場所は精神世界である

      心象風景のなかにこそあって
      確固たる理念を普段に紡ぎ
      純白の絹糸を吐き出す
      のだ






ぼくは産まれて以降、富士山が見える場所で生活している。
いつでも富士山に見守られているのである。

練馬からも富士山は良く眺められる。



ぼくが生まれ育った甲府盆地である。
ここでぼくは産まれ、高校まで学んだ。

今でも、ぼくの故郷である。
愛する父母のいた場所である。

父母が富士山と生きる事や、そうそう美味しい水で生きる事を遺産としてくれた。
水も、ずっと井戸水で生きている。
東京の水も井戸水である。

この盆地の寺で眠っている父母が、最近やたらと恋しいのである。






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                     荒野人