AKILA's えgo

気まぐれに、ドラムや音楽の気になった事上げとります。

沸々と

2016-03-26 14:27:00 | 音楽・ライヴ
昨日、COLLECTION OF WEAKRINGSのレコ発ライヴに行ってきた。

COLLECTIONは、元DEHORNのギタリスト荒木氏が立ち上げた新しいバンドで、オレはDEHORN時代から彼と知り合っていたので、今回のライヴに誘われた。
というか、何度かCOLLECTIONがライヴをやると連絡くれては観る機会を逃していて、昨日漸くまともにそのバンドを観る事が出来た。

あと、
このイヴェントにはオレの今の職場の後輩がやっているバンド、PALEDUSKも参加していたので、仕事終わって駆け付けで会場入りしたが、ギリギリ観れた。

まァその関係もあったんで、結局観れたの2バンドだけになってしまったが、自分の中で再認識したものがある。

COLLECTIONを含めた今回の参加バンドは、所謂メタルコアという、今の時代のメタルのいちジャンルを主張するイヴェントだったと言える。

オレは、やはり好きになれんな・・・・・・と、そう思ってしまった次第である。

以前の対バンのよしみとか抜きにしても、COLLECTIONの音楽は「こんなモン?」と感じてしまったんだが、ソレに関しては、前々から彼らが作っていた音源とかを先に聴いてしまっていた所為もあるかもな。

この手のバンドは、よく先行して音源を作ったりしている(まァ自分たちを主張するんだったら、音源持ってる方がより理解を求めてもらいやすいのは確かだからね)が、そのクオリティがやたらと高く、下手すれば「やり過ぎ」な感じすらもある程だ。

で、
実際ライヴ観てみると、その音源のクオリティに届いていないバンドが大半であったりする。
やった会場ってのも影響あるかと思うが、最近のバンドの傾向として挙がるのは7弦、8弦といったギターでの低音強調の特化、MESHUGGAHによって編み出されたDjentという奏法による、コアな響きの盛り立て。

この手のバンドでやっているプレイヤー達は、これまでオレが観てきた経験上、演奏技巧が卓越した連中ばかりだ。
しかし、全員が同じジャンルの中のものを表現しようとしているようにしか聴こえない。

さっき書いた様に、オレは今で言うところのメタルコアに関しては殆どが好きになれないので、あまり細かい部分の認識は考察していない。
パッと見聴きで判断するな、という声が出てくるのは当然なのも理解しているが、そもそもにしてライヴはそこが重要になってくる。

結果として、自分の中で揺さぶりをかけられないものは、「その程度のもの」として終わってしまう。

少なくとも、
オレが音楽をするにあたって求めている要素をそこには見出せなかった、という話になる。

正直、そういった場に足を運んでいる事で、「より自分がどうありたいのか」を再構築していけるのは相当な収穫となる。
そして、「他とどれだけ違っているのか」自意識を持つ必要がある、とも。

偉そうな事を言うつもりは無い。
オレがやっている事も、メタルという、結局いちジャンルで語られる中のものだからな。

それでも、
これまでオレが吸収してきたものをどう解釈しながら他と違ったものを生み出せるのか、或いは自分が聴きたい、聴きながら演奏を楽しめる曲を作っていけるか、模索している。

ただ楽しむだけなら、コピーバンドとかやれば良い。
自らのレヴェルを上げるというのであれば、それも一つの方法だ。ジャンルに拘らずにやっていけば、自分の演奏技術はより拡張されていくのは間違いない。

だが、
そこだけに留まっていたくはない。
その「他人のおこぼれ」にあやかる様な真似だけで満足できないから、「自分の手で生み出し、勝ち取りたい」という衝動が一層強く込み上げてくる。

だからこそ、オレは切磋琢磨する。
オリジナルでやるバンドは、コピバンでやるもの以上の事をして然るべきだ、と思っている。
だからこそ、オレはメタルの中でも、特に自分の中でルーツとなった80年代スラッシュメタル、90年代に出てきたPANTERA以降のバンドを統合した、エクストリームな方向を目指している。

2000年代に入って以降、メタルに於けるエクストリーミティは当時よりも激しくなっているが、オレが欲しいのは現代のソレではない。

オレが憧れたバンド達をルーツにし、自分というフィルターを通過してどれだけエクストリーム、もっと言えばプログレッシヴな方向へと進めていけるか。
自分でそういった考えを巡らせる事が何よりも重要だと、オレは感じている。

今の時代、一人でもプログラムを操作出来れば、演奏できなくても曲を作り上げることは可能だ。
オレは、そんな技量を持ち合わせてはいないし、今後持ちたいとも考えていない。

根本は、バンド主義だ。
自分が「コイツとやりたい」と思った連中と演奏し、その中で創作していく過程が欲しい。
ぶっちゃけ言えば、エゴというのは必要だと思っている。言い換えるなら、個性だ。どうやっても出てきてしまう主張/象徴。
それをバンドの連中が編み重ね込んでいく。よく言われる、「個性のぶつかりあい」だ。

「自分はこうしたい」というのは、あって然るべきだ。でなければ曲を作るという行動、ましてや楽器を手に取るなどしない。
だからオレはドラムで、自分がこうありたいと想像する曲の基盤を造り上げる。
後は、他の連中がそこからどう装飾していくかだ。その後から、オレの基盤を組み替えるのは特に問題にならない。動き出した曲に於いて、最良の形に骨格を再編する為だからだ。
だから、曲が完成した後で振り返ってみると、元からかけ離れたものになった曲が出てきたりする。が、ソレは曲がバンドとして描かれた際に成長をした証だ。

そのプロセスを楽しめる時があるから、オレはバンド主義として曲作りをやりたい。

話が大分逸れちまった気がするが、オレはこれからまたオリジナルの曲を作り、バンドが動く事に対して再燃している、という事だ。