民主主義の自由や平等の裏に有る義務や責任が軽視されているように、人間の好き嫌いと差別が混同して考えられていることが問題です。
好き記載が有ってはいけないのでしょうか? 日本医は昔から偏食と言って、食べ物に対して好き嫌いを言うことが悪いとされて来ました。
好き嫌いが有るのは悪いことではありません。だからと言って自分の好き嫌いで差別することが悪いのです。
メデイアや報道する側に、正常な判断をしないで伝えるから、好き嫌いが悪い事のように成っているのです。
日本の法律も、その当たりの考えが一律でなく、場当たり的に対応されているから問題と成るのです。
好き嫌いの無い人が素晴らしいように言っていますが、それは体制側の人間の考えなのです。
幼い子供の頃から、好き嫌いなく周囲の皆と同じであることが良い事なのだと言うのは、そのほうが丸く治まるという考えです。
体制側に都合の良い組織や団体を構築して、維持して行くには最善なのでしょう!
一般の民衆は、そこまで賢くないでしょう! そういう連中を操る為の方針として、今の社会が捻じ曲げられているのです。
好き嫌い、大いに結構でしょう!だからと言って差別してはいけません! 人の助けを必要とする人も沢山居ます。
今の政治家のように足りない面々も沢山居ます。事実は事実です。事実を曲げてもいけません。
私も、同性婚や同性愛は好きではありません。異質な存在だと案が考えています。
何を選択するかの問題です。すべてを伊那路に扱えというのも無理な話ではないでしょうか?
互いに自ツウな選択をしていけば良いのではないでしょうか?
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