家とか家族、家系への拘りが強い日本では中々、個は育ち難いものなのでしょうか?
この傾向は何処から来るものなのでしょう!中国や韓国にも似た傾向があるように思います。
日本から戸籍が依然として重宝がられているのも、この流れから来るものでしょう!
狭い国土に多くの国民が生計を維持するには、どうしても複雑怪奇な制度や仕組みが必要なのでしょうか?
安全、安心な住居だけに居住するのでは、狭い日本の場合は足りないのです。
だから少々、危険であろうと不便であろうと貧民は暮らすしかないのです。
個を重視し、個が尊重される社会では人間が大切に扱われます。家柄や家族が重視されると個は、家や家族の為に犠牲を強いられる可能性が高く成ります。
そういった社会では、合理性や効率より人間関係が重要とされます。
人口密度が高いから生活様式も過密に成ります。すると自然と人間同士も複雑に関わることに成るでしょう。
社会のシステムも簡素化されず、合理性も失われがちに成ります。
現在の日本が正に、この状態に在ります。何処を見ても複数で怪奇な制度があり、どんな手続きも面倒なものばかりです。
手間、暇が掛かると言うことは、そこには仕事が生まれます。それこそ不要・不急の仕事です。
ある一面では、不要・不急な仕事にも価値は有ります。
ところが、合理性や簡素化を重視する国々にとっては、そのような状況は全く関わり切れない乱雑さでしかないのです。
近い将来、日本が世界から異質な国として毛嫌いされ兼ねない状態にあるのです。
世界の多くの国々は、合理性や簡素を好み、そのような仕組みを構築して来ました。
日本や一部のアジア圏の国だけが世界から見て、特殊な国として今が有ります。
果たして日本は世界に歩調を合わせることが出来るのでしょうか?それとも頑なに、日本流を貫いて独特な国として生き残るのでしょうか?
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