もう、ずいぶん前、わたしがまだ小さかった頃
母方の祖母はなくなっている。
祖母といっても、うちの母を生んだのが40過ぎで
わたしからしたら、曾祖母くらいの年齢だ。
その祖母の着物が、わたしの手元にある。
米沢紬と言っていた。
当時、警察署長をしていた祖父が誂えてくれた物で
大変気に入って、大切にしていたものらしい。
母の話から計算すると、明治20年頃のものである。
非常に軽く、柔らかく、着ている感じがしない。
しかし、もう繊維自体が弱っていて、
よそへは着ていけないだろう。
こげ茶に黒の細い縞が、ほとんど無地に近い感じで
入っているものだ。
いろいろと祖母のことを語る母は、
とても懐かしそうである。
先代から80年以上続けてきた酒屋を
この1月末で閉じたのだが、
「もう50年も商売がんばったんだから、
ご先祖さんも許してくれるでしょ。」といっている。
母方の祖母はなくなっている。
祖母といっても、うちの母を生んだのが40過ぎで
わたしからしたら、曾祖母くらいの年齢だ。
その祖母の着物が、わたしの手元にある。
米沢紬と言っていた。
当時、警察署長をしていた祖父が誂えてくれた物で
大変気に入って、大切にしていたものらしい。
母の話から計算すると、明治20年頃のものである。
非常に軽く、柔らかく、着ている感じがしない。
しかし、もう繊維自体が弱っていて、
よそへは着ていけないだろう。
こげ茶に黒の細い縞が、ほとんど無地に近い感じで
入っているものだ。
いろいろと祖母のことを語る母は、
とても懐かしそうである。
先代から80年以上続けてきた酒屋を
この1月末で閉じたのだが、
「もう50年も商売がんばったんだから、
ご先祖さんも許してくれるでしょ。」といっている。