今回、能楽堂での演奏会でいろいろ新しいことを知った。
まず、「こと」が弥生時代にはもう存在していたということ。
一絃琴がいわゆる「こと」の原始の形と思っていたが、
ひょっとしたら、日本に入ってきた段階で
すでに複数弦だったかもしれないのである。
(この辺のこと、詳しい方、教えて~)
また、くりぬき板ではなく、箱型のを弾いている埴輪があるのだ。
「男子弾琴像」である。
一絃琴には、さまざまな伝説が語られており、
興味はつきないのだが、実際のところ
古神道の一派において、この楽器は(いや、楽器とは言わないかも)
「カミさまを降ろす」際の、神事に使われていたそうだ。
その神事は、秘伝であり、門外不出らしく
具体的なことは、わたしにはわからない。
たぶん、人の声とともに使われたように想像する。
(雅楽の楽筝のように)
のちに、江戸時代に隆盛し
明治には、子女教育のひとつとして
精神修養のものになっていった。
(この変化は、茶道がもともと男子のものであったのに
終戦後あっという間に花嫁修業のひとつになっていったことと似ている)
いずれにせよ、これからの時代、この琴に求められるのは
複雑化した時代の中で、非常にシンプルな
しかし、精神の奥底におりてくる、魂を揺さぶるような演奏、
そういう演奏であるに違いない。
まず、「こと」が弥生時代にはもう存在していたということ。
一絃琴がいわゆる「こと」の原始の形と思っていたが、
ひょっとしたら、日本に入ってきた段階で
すでに複数弦だったかもしれないのである。
(この辺のこと、詳しい方、教えて~)
また、くりぬき板ではなく、箱型のを弾いている埴輪があるのだ。
「男子弾琴像」である。
一絃琴には、さまざまな伝説が語られており、
興味はつきないのだが、実際のところ
古神道の一派において、この楽器は(いや、楽器とは言わないかも)
「カミさまを降ろす」際の、神事に使われていたそうだ。
その神事は、秘伝であり、門外不出らしく
具体的なことは、わたしにはわからない。
たぶん、人の声とともに使われたように想像する。
(雅楽の楽筝のように)
のちに、江戸時代に隆盛し
明治には、子女教育のひとつとして
精神修養のものになっていった。
(この変化は、茶道がもともと男子のものであったのに
終戦後あっという間に花嫁修業のひとつになっていったことと似ている)
いずれにせよ、これからの時代、この琴に求められるのは
複雑化した時代の中で、非常にシンプルな
しかし、精神の奥底におりてくる、魂を揺さぶるような演奏、
そういう演奏であるに違いない。