絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

選書作業終了

2006年06月19日 14時32分20秒 | ボランティア
やっと、学級文庫に入れる本の選定が終わりました!
(おつかれさまで~~す
あとは、本がきたら、ラベル貼って分別色シール貼って
コーティングして各クラスに入れるのです。
新しい本って、それだけでわくわくするけど
(どんな本かなぁ・・・って)
ある先生いわく、子どもたち、はじめは手にとるけど
一ヶ月もしたら見向きもしない。。。ですと。
ほんとなのか

でも、こどもだって、何時も同じ気分とは限らないから
ある日、ふと読もうと思うかもしれないでしょ?
そんなとき、面白い本が手元にあって欲しいよ~~~~。

互助の考え方

2006年06月19日 08時43分56秒 | ボランティア
今日~水曜くらいまで、この地域晴れでーす!
家事せねば


自分はいわゆるボランティア活動をしてはいますが、
特別「○○のために~~せねばならない」
なんて思ってやっているわけではないです。
そんなおこがましいこと、いう気はないです。
「ボランテイア」は横文字で外国から入ってきた理念かも
知れませんが、いま現在行われている活動の内容を見ると
『個』の考え方が席巻する以前は、日本の社会のなかに
(地域というべきか)仕組みとしてあったと思います。
それは、「相互扶助」「互助」という考え方です。
(農村、漁村の形態からか)

「身近なところから、自分に関わりあいのあるところから
はじめましょう」というようなことを、
黒柳徹子さんの書いたもので読んだことがあります。
無理なく続けられ、相手にも喜ばれるような活動は
奉仕というより人間関係づくりとも言えるような気がしています。

「外郎売」の先生は、対面朗読のことは詳しくはないけれども
その辺の、人の気持ちという点で、理解が深いように
感じました。(ちょっと、うれしい


子どもの本であって・・・

2006年06月17日 11時19分36秒 | Weblog
かかし

徳間書店

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ロバート・ウェストール・・・この人のを読むなら
「弟の戦争」よりこっちのほうがすごい。
ヤングアダルト(変な本じゃありませんよ)向けですが
とても子どもの本とは思えません。
思春期の少年が主人公なんですが、こういう本って
和ものにはないなあ・・・
精神性の違いなのかしらor自分がしらないだけか?
導入部はなんかな~って感じですが、途中から一気に読めます。
残念ながら、この作者は他界してしまいました。。。
(もっとこの人の作品を読みたかった)


剪定をしなかった

2006年06月16日 14時19分31秒 | Weblog
冬に剪定しなかったせいでか、庭がものすごいことになってきた。

狭いのにぼーぼーになって森みたいになってしまっている!
葉が茂りすぎると、木の根元に花を・・・という構想は
だめになる。。。

午前中ダンベルの終わった後、小学校の本の修理に行った。
この前、学校が購入した本のリストをもらったが、
どう考えてもあれだけのはずがないし、
毎年60万くらい買っていると云ってた様に思うので
しつこいようだが、またまた、他に買った本はないのですかと
聞くと、当然のように、あるという。。。
じゃあ、なんで前聞いたとき教えてくれないのでしょ。
学級文庫と重複しないように聞いているのに、
二度手間じゃん!
で、図書の係りの先生経由でリストを貰った。。。

もうねー、こんな仕事ぶりって何???
どうして聞いているのかくらい
意味わからないのかなぁぁぁぁぁ
ひとつひとつの仕事が途切れ途切れで、
おまけに二度手間
普通の会社だったらリストラされてるゾ
もうーーー、「蔵書目録」も作ってないなんて
信じられ~~~~~ん(もうじき創立30周年)
いや、まてよ、ひょっとして、この地域の小学校は
みなこんなの?そんなことないですよね。。。



低炭水化物

2006年06月16日 08時17分28秒 | Weblog
ことごとくダイエットには失敗していますが、
低炭水化物を意識してから、若干良くなったような
気がします。(気のせいかも

ダンベルもあと2回しかないからがんばらないとね~~。
いままでは1キログラムのしか家になかったのですが、
2.5キロを買いました。
・・・って、なんで3キロじゃないかって?
えっと、それはですねー、中途半端な性格と同じ
ちょっと3キロは不安なんです。
でも2キロでは、引力利用には軽すぎるような気がして。。。
まあ、なんでもいいんですが。

あと、コーヒーにお砂糖やミルク入れるの
やめられなかったのですが、やっとブラックが飲めるように
なったのです!・・・大人だ、大人~~~~
それで、ちょっと減ったかも。
ごはんもの大好きなんですが、出来るだけ減らしたら
なんだか、そんなに恋しくはなくなりました。
でも、ブドウ糖が足りないせいか、
前にもまして、頭が・・・・・(糖分のせいじゃなかったりして)

かっこうという鳥

2006年06月15日 16時49分45秒 | Weblog
郭公―日本の托卵鳥

文一総合出版

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「カッコウの巣の上で」というミュージカル、昔観ました。
でも、カッコウって巣を作らず、よその鳥の巣に自分の卵を
産み付けて育てさせるんですよ。
托卵っていうんです、ご存知の方も多いですよね。
私が驚いたのは、このカッコウのヒナの習性です。
カッコウのヒナは、自分の背中に接触するものをすべて
巣の外へ押し出してしまうんです。
つまり、本当の巣の赤ちゃんをみんな地面に
落としてしまうんです!!
そして、自分だけが仮親の鳥に餌を貰うんです。
なんちゅう鳥なんでしょ

今日、図書館でカッコウの本をみかけたので
上の子が赤ちゃんのときそれを知り、
本当に驚いたのを思い出しました。
でも、なんで、自分で子育てしないんでしたっけ?
そこまでは思い出せませんでした。。。
(記憶喪失

嵐のような

2006年06月15日 16時36分27秒 | 子ども
すごいお天気ですわ~~嵐のような。。。
ごうごうと、木が風に撓っています!
図書館から帰ってきたら、入れ違いになったようで
子どもはもう友だちのうちに遊びに行って
影も形もありゃしない
玄関に、書置き?あり。
う~~~ん、びしょぬれの足でよその家に~~~~

午後は学級文庫の選書作業でしたが
今年は一緒にやってくれる人がいるので
たいへん気が楽だし、ずいぶんスピードもアップできて、
感謝感謝なのです。
ブックリストつくりが非常に難しいのと同様
年齢に応じた?本選びは実際まじめにやればやるほど
決められなくなります。
(子どもたちの好みやレベルは同一ではないから)

今日も

2006年06月15日 08時09分03秒 | Weblog
午前中、スキルアップ講座。
「外郎売り」実践の巻
寅さんの叩き売りの明るい感じなど好きですが
これは半端でない「舌かみ」連続!
顔の筋肉使いますが、かんでしまいます。
ほんと、舌が回りません。。。
それこそ「ういろう」という薬を飲まなきゃ~~~

でも、この先生のご指導のおかげで、
くぐもっていた言葉が前よりはっきり言える様になったと思います。
(録音してみるとわかる)
それは、本読みだけでなく、琴の歌にもよい影響を与えたのではないかと
内心うれしくなったりして・・・

翻訳機能

2006年06月15日 00時23分41秒 | Weblog
新聞にパソコンの翻訳機能の比較が載っていたので
自分もやってみたくなり、あれこれ書いたり消したりして
めちゃくちゃ時間かかりました。


だいだい、文章がそのまま変換されたりしないんですよね~
って、当たり前か
普通に書いたら、まったくでたらめな文になるし
「演奏」が「調査」になっちゃうし・・・
愛想も味噌もない文章になってでてきて
こんなんなら、自分で辞書引いて書いたほうが早いって。
ああ~~~~~~時間の無駄だった

啄木

2006年06月14日 08時32分32秒 | Weblog
地元紙で啄木の歌が連載されている。
高校受験の夏、勉強もせず啄木ばかり読んでいて
母親に怒られた記憶がある。
親たちは日々の暮らしに忙しく、それまで私は勉強しなさいと
言われたことがなかったが、さすがの親もこれではいかんと思ったのだろう。

中学生の私は、啄木の抱える真の苦悩など知るよしもない、
ただただ、目にして言葉に出して聞こえるこの歌の響きが
心地よかった。センチメンタリズムを感じていただけだった。

高校になってからは、学業に対する親の苦言盛んになり
私の部屋に紅茶など持ってきてくれるたびに
「受験生ブルース」(これをなぜか母親は気に入っていた)を
歌いながら退出していくのには心底げっそりした・・・
ちなみに、歌うところは決まっていた。
一流大学はいらねばぁ~~、わたしゃ近所の皆さまにィィ
    あわせ~る顔がなーいのよ~~
もちろんジョーダンだが(笑えないって

その遥かなる啄木の記憶が蘇ることがあった。
昨夏、函館に行ったとき、なんと土方歳三と啄木との
合同の記念館があったのだ。
うちの子は、土方の大ファン(これもなぜかわかりませんが)
いにしえの自分は啄木のファンということで
海辺にあるこの記念館は、あらたに思い出に残るものとなった。


先に進まず

2006年06月13日 19時04分29秒 | 一絃琴
今日は稽古日でしたが、一絃琴の歌についてのお話で終わり
『須賀』を弾いただけになりました。

もう、歌のことはいいや、などと思っていたので
なぜ、先生が急に歌のことを話し出されたのかわかりませんでしたが
きっと新しく入られた方が、わたしが歌のことばかり言っていたので
それを話されたんでしょう。
(別に伝えてくれなくても自分で聞いているからよかったのに・・・)

歌のことから発して、そもそも一絃琴の確実な伝承はあったのか、
という話題になりました。これは前々からお聞きしたかったことです。
もし、それがないなら「一絃琴の歌い方」などという指導自体が
空虚になるからです。

歌もそれぞれの人が一生懸命歌えばいいと思いますが、
いつも疑問に思うのは、何を歌っているのかわからないような
言葉のくぐもった歌い方を誰が『一絃琴の歌い方』として
教えているのか、またその根拠は何なのかと思うのです。
なぜというとですねー、その「何を言っているかわからない」歌のせいで
結局一絃琴自体が聞く人の共感を得られなくなっていると思うからです。

少しくらい音がずれていても、あるいは声がかすれていたとしても
その人が生きてきた想いが感じられるような、
そんな演奏がいまは聞いてみたいです。

芸風

2006年06月12日 23時41分01秒 | 一絃琴
一絃琴にいろいろな流派があるが
それぞれの芸風というものはあるのだろうか?

わたしは清虚洞の「たいむ」式の琴しか知らないが、
高知のHPを見ていたら、胡弓のように一部琴糸を引っ張って
弓のようにして弾いている一絃琴があった。
(音色もそのようなもの)
また、須磨寺のは低音琴があるそうだ。
こちらは、現代になって開発したそうだが。
伝わったところところで、弾き方や歌い方も違うのかもしれない。
あるところでは師匠の癖が、またあるところでは確実に芸風の伝承が
行われたかもしれない。

単なる演奏法の伝授なら、たとえ伝承が途切れていても
復活は可能かもしれない。(邦楽から類推した手法で復元する)
また「伝承」とはいえないような薄い伝達であっても
伝授ということはできるだろう(嘘ではないから)
しかし、一絃琴の真髄というものは着実に伝承されたのか。
「なぜこの琴を弾くのか」「なんのためにこの琴を弾くのか」
それを模索していくような気風は伝授されたのだろうか。

一絃琴は、音楽の形式を取りながら、文学でありまた哲学でもあるように思う。
「能」が死者を登場させて、音楽をバックに謡いや舞を通じて
『生』とは何かを問いかけたように
一絃琴は、これを弾く奏者に「己とは何か」を深く模索させる楽器
なのではないかと思ったりする(@考えすぎ)


梅雨の晴れ間

2006年06月12日 08時02分10秒 | Weblog
今日は、久しぶりにカラッと晴れてくれそうです。

そろそろ「姫沙羅」の花が咲く頃なんですが
毎日見ているとなかなか咲きません。
(でも、咲いたと思ったらすぐにぽとっと落ちてしまいます)
紫陽花も見頃近くになってきました。
うちのは洋花なので、和ものの紫陽花がほしいなぁ。。。



「文庫」出身

2006年06月11日 15時18分21秒 | 子ども
いまは、全国的に小中学校とも朝読書が奨励されているようだ。
この「朝読書」というのは15年ほど前、千葉のある高校で、
建て直しのために実施され大いに効果があったとして
その女性校長とともに有名になった。(それ以前からもあったが)
良いことは真似しよう、ということで全国的に広まったのだろうか。

こういう公の場で奨励される読書運動とは別に
上の子が赤ちゃんの頃「草の根」ともいえる読書運動が
非常に盛んだった。
西の「文庫」、東の「親子読書会」といわれ
全国的に、母親を中心に児童文学者や教育関係者も含め
みな一生懸命「子どもたちに良い本を」手渡そうと頑張っていた。
今から思うと、いわゆる団塊の世代のお母さんたちだったのだ。
すこぶるパワフルだった。

私の子どもは、大阪は吹田市の団地内にあった「わかば文庫」
でお世話になり、自分自身も絵本研究会や児童文学の講演会や
読書会など参加し、さまざまなことを勉強させてもらった。
「文庫」というのは、主に絵本の貸し出しと読み聞かせを
有志で行なっているところである。
(個人的なものや形態はさまざまだが)
転勤族がほとんどだったので、みなそこから全国へ散っていった。

自分ものちに東京転勤となり、当時通っていた図書館の館長から
「親子読書会」の開会の依頼があり
同じように子連れでお話し会にきていた人と
協力して開くこととなった。
…といっても、図書館司書のお姉さんたちと一緒に
お話し会を開いて、クリスマス会のときなどは協力して
人形劇やクイズをやるだけだったが。

何年かのち、自分の地域の移動図書館が廃止になることを機に
地域の児童館の一室に、地域文庫を開設した。
当時はまだ「ユネスコ100冊文庫」とかがあって
地域文庫を開催したいと申請すれば、ユネスコが選んだ良書を
進呈してくれる事業があったので、それと図書館の廃棄本や
自分の本などを集めて始めた。
そのとき、自分の知り合いだけでなく児童館の人や図書館長や
さまざまな人が協力してくださった事は忘れられないことだ。

それからまた転勤し…
ここへ来ての10年は、ほとんど何もそれらしいことはしてこなかった。
下の子が生まれて…など理由はいろいろあるが、実際この地域で
子どもの本関係のことでは、魅力的なものを何も発見できなかった。
それは、自分自身の精神の枯渇に原因があるのかもしれなかった。

そして、また時は流れた。市の図書館のボランテイアの数を見ると
この地域でも、子どもたちに読み聞かせをしてあげたいと
思ってくれる人は結構たくさんいることがわかった。
でも、決して「読み聞かせが活字離れを防ぐのだ」などと
声高に言うのはやめてほしい。
それは、教育の場で言うべきことだ。
本を読んで貰うのは、あくまでも楽しみや喜びであって、
実利に走るようなことではないだろう。