絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

品格ある国家

2006年06月10日 21時40分13秒 | Weblog
藤原正彦氏は、ずっとまえ関西局の番組に出演していたが
そのとき何を言ったか記憶に残っていない。
売れている「国家の品格」読み終わりました。
特別新しいことはなかった。
少なくない数の知識人?が、この種のことを一生懸命言っていると思うが
全然改善の方向に行かないのは、結局みな同意はしても
本心望んではいないということなのかもしれない。
つまり「品位」より「お金」「精神」よりも「経済」ということか。
『自由と平等は欧米人が作り上げたフィクション』とはいい得て妙。

色が難しい

2006年06月10日 11時17分49秒 | きもの
どうも実物の色と違うようになってしまう。
実際はもっとうぐいす色に近い。
よくみると袖のところは透けて見え、
うそつき襦袢を分解して「ジレ」状態にしたのが
ばれてますね~~~
透ける単衣の場合、袖部分を着物に直接つけてしまった方が楽かも。
そういう木綿着物をどこかのサイトで見たことがあります。
(既製品)
夏着物の長襦袢袖というと、麻?

梅雨入り

2006年06月09日 14時29分00秒 | 一絃琴
この地方も梅雨入りだそうで。。。
道理で毎日ぱっとしないお天気です。


この時期は、琴の音もなにか曇った音になりがち。
自分の音って、それこそ録音でもしない限り
なかなかわかりにくいですね。

どこまで琴の響きがあるのか、ということが一番気になるところですが
わたしが目安にしているのは、一つは低音部の響き
もう一つは高音部の響き、です。
なんだ、全部じゃないかといわれるかも。
低音部は、左手に嵌めた芦管ですね、
この上に置く指まで弦の震えがあるかどうか
また高音部は、十、十一、十二の音の響きを聞きます。
とくに十二の音が伸びのある音になっているかを聞きます。
弾き始めはぶつ切れの音でも、30分位弾いた頃には
本来の音になるでしょうから、それから判断します。
(あくまで自己流ですが、よろしければお試し下さい。

よく響いているときには、一つ一つの音が「うなり」を持っている
と思いますが、悲しいかな、邦楽に関する理論をきちんと
学んだわけではないので、それが何かわたしにはわからないです。

反「グローバル化」

2006年06月09日 14時07分47秒 | Weblog
国家の品格

新潮社

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いま読んでいるのはこれ。
会議において喧々諤々意見を戦わせてもあとくされがない、
というのは日本の社会ではないだろうと思っていたが
(うわべは黙ったとしても)
この著者も同じようなことを序で述べている。
この本を読めば、日本的?社会ではどうしたら
対立意見を持った人も気がおさまってくれるのかわかるだろうか。
あるいは数学者らしく、日本人の気質を解き明かしてくれるのか?

飼育係のひと

2006年06月08日 23時49分56秒 | Weblog
すっかり有名になったこの動物園だけでなく、
どこの動物園でも飼育係の人は大変です。
一口に世話といっても、えさやりだけでなく、掃除もあれば
出産の世話もありの、で、勤務時間あって無きがごとくなのでは?
それでもみなさんが辞めないのは、やっぱり動物が好きで
動物のすばらしさを知っている、ということなんでしょう。
結構いろんな動物園,水族館めぐりしてますが、
どこへ行っても、飼育係の方たちには頭が下がります。

行動展示

2006年06月08日 14時39分47秒 | Weblog
旭山動物園の奇跡

扶桑社

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去年の夏休みの宿題(感想文)で、子どもはこの本を選んだ。
(あとこの動物園関係のものを2冊読んだ。)
大人向けのものなので、内容がすぐにはわからず3回は読んでいたが。。。

子どもはどちらかというと、この飼育係の人たちの苦労より
この動物園に展開される動物のすごさにいたく関心があるようだった。
実際、休みの間に行って、すっかり気に入っている。
(毎度行くには遠すぎるって!

三月末(その日から動物園は冬眠から覚める動物たちの世話で
一ヶ月間閉館になるのだった)動物園のある旭川はさながら『冬』!
真っ白の雪の上を、ゆうゆうと歩くトラが「ガオーーッ」と
吼えたその迫力にすっかり度肝を抜かれたのだった。

他の動物もそうだが、とにかく動物が元気!で檻の中という
制限された生活のなかでも、なにか自由な感じが伝わってくるのが不思議なのだ。
(言葉をしゃべらないのでわかるわけないんだけど)
この、動物本来のあり方を動物の特性に従ってお客さんに見せていくのが
動物園の意図する「行動展示」ということらしい。
「行動展示」を突き詰めて考えていくと、
動物園という一見自然に反するかの施設が、それぞれの動物の成育環境や
地球上でその生育が守られるかなど、大いに地球規模の環境問題に
関わってきて、たいへん興味深いものがあるのだった。

夏の旅は

2006年06月08日 08時35分55秒 | Weblog
夫の夏休みをどのあたりで取るか(一斉ではないので)決めるためには
旅行に行く日程もそろそろ決めないといけない。
早いと思ってインターネットを見てみると、もう残席少なしのものも・・・。

今年で上の子も卒業(するはず)なので、
来年からはなかなか北海道に行く機会もない(だろう)
ということで(イヤ、非常にそこんとこ不安です
またまたこの夏も北海道を予定。
白川郷、屋久島、と来て次の世界遺産は知床かな?
近場の熊野古道まだ行ってませんが・・・
(そういえば、屋久島でトレッキングのガイドさん、
熊野古道歩いたって言ってました。

時期がなかなか良いときいけないので
さむ~~~(8月下旬)となってからになりそう。
北海道、ほんとに寒いよ。夏でも日陰・風が吹けば『秋』なんです。
子どものいる札幌でさえそうなんだから、
そこより北や東はそれこそ「ほんまもんの北海道」が待ってます

着付け

2006年06月08日 08時12分38秒 | きもの
浴衣の画像を見ていてはたと気づきました。。。
襟のあわせが浅くて変。
こんなふうにあわせると、よけい暑苦しくみえるって
たしか、きものの本に書いてあったゾ・・。
久々は失敗多し。箪笥開けたのも一ヶ月ぶりくらいかな?
綿は洗えるけど保温性もあるので暑い。
絹の方がはるかにひんやりして涼しいはずなのですが
単衣の絹物を家で洗ったことはないので(水洗い)
メンテを考えると夏物回避~~~となってしまいます。
あ、麻の長襦袢は洗濯機で洗いましたが平気です。
←うちの地域、今日の予報は曇りときどき雨。

4月の真夏日

2006年06月08日 00時17分21秒 | 一絃琴
昨年の演奏会の日は、4月末だったが28度を越える
真夏のような日だった。
掟破りだったが、気温が夏なら夏仕様かも?と
水色の小紋(単衣)を着ていった。
汗で、芦管がすべりそうで集中できなかった。。。
この着物ももうなんとなく暑く見えてしまう…
夏の帯があまりないけど、ほとんど夏には着ないし。
浴衣だって、暑いよ~~~。

絞り浴衣

2006年06月07日 23時03分07秒 | きもの
なにか初夏らしいものを撮ろうと思ったのですが
黄色の単衣の紬が袖丈短く、うまく納まらないので
浴衣でとりあえず。。。
久々なので、着付けもなんか変ですが…。
半幅帯、曲がってます。

生活者

2006年06月07日 08時56分01秒 | 子ども
昨年度からPTA費の図書充実費で本を買うことになった。
この予算は例年当てられてきたが、課題図書を一部買うに留まっていた。
(選書は先生方)
本がないのに、予算もついているのに充分買わないのはどうしてなのかと
誰しも思う。(これは市の教材費ではなくPTA費)
いろいろと、今のわたしのように保護者が実態を知ってくると
都合の悪いことがある。(立場をかえてみれば、すぐわかる)
まっとうなことをしようとすると仕事が増えるのだ。
転任、あるいは新任できたときには「なんだ!?」と思っていても、
1年後には「仕方ない脳」になって、流されていく。。。
一方で、仕事を減らすのが使命と思っている人たちもいる。
「わたしたちは生活者だ!」とその人たちは声高に言う。

昨年うちの学校に産休育休で通算6年ブランクのあった先生が
復帰してきた。(休業する前の学校に復帰)
しかも4月からではなく、9月から。
この1学期間は、新卒の常勤講師で賄った。
復帰がわかっていたが、充分権利を行使したわけだ。

担任された子どもの側からみてみると
せっかく慣れてきた先生が1学期で去り、2学期にまた一からだ。
せめて4月から来てくれてたら・・・と親たちは言っていた。
これも、みんなが目いっぱい取るから取って当然と思って
休業するのだろう。(「とらない選択」なんか先生たちには想定外)

この同じ年に隣接する幼稚園の担任が、1学期半ばに復帰してきたら
もう産休手前の状態で、また9月から講師で賄うことになった。
つまり、1年保育の間に3人も担任が変わったのだ。
もうここまでくると、開いた口がふさがらず
「生活者」ってそんなに待遇がいいのかと思ってしまうのだった。

疲弊

2006年06月06日 08時53分11秒 | Weblog
子どもが妙に「ああ~~疲れた」というので、
具合でも悪いのかと思ったけど、それは夫の口真似でした
体調悪いわけではなくても、精神の沈滞するときはある。。。

自分の場合は、いまあれこれ用事が多い時期です。
でも、この時期が過ぎると結構ヒマで暇で・・・となるだろうから
今しばらくの辛抱なのですが。。。

やらなければいけないことが沢山あるとき
自分のなかでの優先順位は、といえば結局子どものことになるのですが
なかなかこれが最近生意気なので腹が立つのですね。。。

お茶サークルはもろもろ考えて止めるには至ってません。
(実際にはお稽古に半分くらいしかいけない状態だが)
琴は1月に2回の不定期なので、そんな頻繁ではないです。
あれもこれも中途半端極まりないので、落ち込みますね。
お茶は、自分の経済を考えたらいまの状態が妥当だから
新しい展開を望むべくもなく
琴もこれからさき、何をどうしたらいいのかさっぱりわかりません。
ボランティアのほうは、特別信念をもってやっているような
偉そうなものではないので気楽なんですが。

なにをやっても中途半端な感じがぬぐえず、これだ!というものがない。
これだ!と思ったとしても、すぐに次の壁がやってくるのは
やっぱり自分に原因があるのでしょうね。あ~あ
(みなさん、習い事などは楽しそうにやってるのに)




参観日

2006年06月04日 23時20分06秒 | 子ども
昨日は土曜日だが、参観日だった。
2,3限とあって、4限目は自然教室の説明会だった。

算数と社会を見学したが土曜日なので結構お父さんたちも多かった。
うちのクラスは、比較的静かで落ち着いているようだった。
授業中の様子も、みなまじめに取り組んでいた。

内容は、算数は「垂直」の定義、社会は沖縄の自然と農業だった。
算数については、いつも思うのは「問題量」の少なさである。
ある定義をした後、それが定着するための充分な練習はなされない。
誰でもわかる部分は時間をかけてやるけれども、
そのあとの演習がほとんどない。ドリルも量は少ない。
この基本の上に中学の数学が乗っかっていくのかと思うと
空恐ろしい感じがするが、『赤信号、みんなで渡れば・・・』式なのか
いまのところ、特別苦情は出ていないようだ。

参観日、お母さん方の私語がうるさくて授業に集中できないクラスも
多い様だが、うちのクラスはなんとか静かだった。
社会では先生が沖縄のゴーヤやパイナップルを持って来て
『目に見える』農産物の出現で、子どもたちは大いに盛り上がっていた。


差は『差別』か

2006年06月03日 23時10分54秒 | Weblog
上の子のときにはそんなことはなかったが、
いま小学校で、先生が子どものことを呼ぶとき、男女の区別なく
「○○さん」と呼ぶ。ジェンダーフリーだそうな。。。
ほんとかなぁ・・・上から指示がでれば、先生方は自分の考えと違っても
そのような指導をされるのか?または、ご自分も同意されているのか?
まったく、叱るときも「○○さん!聞いてるの!」とかいって正直
違和感ありです

学校とは何かを考えるとき、勉強もさることながら人間関係等
さまざまなことを学び、世の中へ出たときの準備をしているように
思うのであるが(それは小学校から順に段階を経ていく)
この男の子も女の子も差なく「○○さん」と呼ばれるのは
現実の社会とは全然違うように思う。
文科省がジェンダーフリーの理念を掲げたとき
不当な男女の差別のない世の中作りを念頭に置き
未来を担う子どもたちの意識から男女差別をなくそうと思ったのか
どうか知らないが、その呼び方を同じにすることが
男女の差別ない社会の始まりだなんて、日本人の一体何割の人が
そう思うのだろう?過激なフェミニストとか?
差があることは『差別』なのか???

この前、対面朗読の講師が「視覚障害の人が健常者と同じように
図書館にぶらっと来て、読みたい本が読めないのは差別なんですね」と
言っていたが、正直この人の講義はもう聞く気がしない。
わたしも暇であるが、暇な人みながみなボランティアになりはしない。
それぞれに内的動機があり、自分の時間や労力を提供しようとしているが
わたしは、視覚に障害があるお客さんと自分のことを
『差がある』と考えたことはない。いや、確かに見えないかもしれないが
見えないことが「差別」だからヘルパーしているわけではない。
うまく言えないが、この講師がほんとうは障害者に対しなにか
高みから見下しているような気がして、気が滅入った。。。






国語力!?

2006年06月02日 23時09分33秒 | 子ども
下の子が、小学1年生のときのことだった。
漢字一文字クイズの宿題をやっていたので、見ていたら・・・
『角(つの)があるけど優しくて、おっぱいの出るものなあ~~に?』
という問題に、子どもは躊躇なく『母』と書いていた
(正解は、『牛』)

その子が去年のはじめ(4年生)国語のテストで間違えたといって
帰宅しても憤慨している。
何を間違えたかと聞くと、「次の中から適当なものを選びなさい」という
問題で、悪いもの・当てはまらないものを選んだという。
どうしてそんな反対のことをしたのかと聞くと、
「だって、お母さんたち怒るとき『また、そんな適当なことして!!』って
 言うから、『適当なもの』はいけないものかと思ってた」と
バッサリやられてしまった。。。

嗚呼、自分の常日頃の言動の悪さよ、情けない
これからは気をつけよう。子どもに詫びることしきり・・・