”毎日がサンデー”になって、手付かずになっていたモノの整理を始めている。
次代に引継いだとしても、引継がれた者が困惑するようでは「ガラクタ」である。
「ガラクタ」で有るか無いかの判断は難しいが、私以外の者からは「ガラクタ」と考え、多くは<処分(廃棄)している。
その中から、真空管なるものが出てきた。
色々なことが思い出される。
過去に「有り得ない」と思っていたことが現実となり、想像していたことより遥かに進歩していることがある。
昭和50年(西暦1975年)代、私はある人から通信手段のあり方について話を聞く機会があった。
その人の話の結論は「電話機はワイヤレス(無線)で、黒電話機の送受話器程度の容積とすることが当面の目標」と言うような内容であったと記憶している。
当時、多くの通信機器は”真空管”を用いたものが主流で、PNPとかNPNとか云うトランジスタも使われ始めていた時代だったと思う。
確かに、昭和30年代にはトランジスタ・ラジオが商用化されてはいたが、通信をするためには意思なり情報を送る「送信機」と相手の意思や情報を受ける「受信機」が一体化されなければならない。
当時の私の知識(真空管時代の)では、到底有り得ないことと思っていた。
しかし、その思いは裏切られる結果となっている。
パソコンの機能をもった電話機(端末機)をポケットに入れて持ち歩く時代となり、それを小学生から大人まで、一人一台の電話機を持ち歩く時代となっている。
ポケット等に入れベルが鳴り、公衆電話BOXを探す時代はあっという間に過ぎ去り、社会の有り様も様変わりしてきている。
いま、これら真空管を観ていると、ガラス容器の中心電極部分がホンノリと明るく点り”俺は働いているぞ!”と誇示しているような様子を懐かしく思い出されている。
忘れ去られたと言う次元の流れでなく、思い出される時間の流れのなかで、社会の仕組みの変化に順応しなければならない。
得手・不得手、苦・楽(しい)、とするか・感じるかは人それぞれであると思うが、真空管の灯かりを懐かしく思いながらも、小さな字と指先より小さいボタンと格闘しながら健気?に生きている様を褒めてやりたい。
注:時代・年代は私の記憶や主観であり、事実と異なるところもあると思います。
次代に引継いだとしても、引継がれた者が困惑するようでは「ガラクタ」である。
「ガラクタ」で有るか無いかの判断は難しいが、私以外の者からは「ガラクタ」と考え、多くは<処分(廃棄)している。
その中から、真空管なるものが出てきた。
色々なことが思い出される。
過去に「有り得ない」と思っていたことが現実となり、想像していたことより遥かに進歩していることがある。
昭和50年(西暦1975年)代、私はある人から通信手段のあり方について話を聞く機会があった。
その人の話の結論は「電話機はワイヤレス(無線)で、黒電話機の送受話器程度の容積とすることが当面の目標」と言うような内容であったと記憶している。
当時、多くの通信機器は”真空管”を用いたものが主流で、PNPとかNPNとか云うトランジスタも使われ始めていた時代だったと思う。
確かに、昭和30年代にはトランジスタ・ラジオが商用化されてはいたが、通信をするためには意思なり情報を送る「送信機」と相手の意思や情報を受ける「受信機」が一体化されなければならない。
当時の私の知識(真空管時代の)では、到底有り得ないことと思っていた。
しかし、その思いは裏切られる結果となっている。
パソコンの機能をもった電話機(端末機)をポケットに入れて持ち歩く時代となり、それを小学生から大人まで、一人一台の電話機を持ち歩く時代となっている。
ポケット等に入れベルが鳴り、公衆電話BOXを探す時代はあっという間に過ぎ去り、社会の有り様も様変わりしてきている。
いま、これら真空管を観ていると、ガラス容器の中心電極部分がホンノリと明るく点り”俺は働いているぞ!”と誇示しているような様子を懐かしく思い出されている。
忘れ去られたと言う次元の流れでなく、思い出される時間の流れのなかで、社会の仕組みの変化に順応しなければならない。
得手・不得手、苦・楽(しい)、とするか・感じるかは人それぞれであると思うが、真空管の灯かりを懐かしく思いながらも、小さな字と指先より小さいボタンと格闘しながら健気?に生きている様を褒めてやりたい。
注:時代・年代は私の記憶や主観であり、事実と異なるところもあると思います。