ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆都合で延期となりました

2014年03月24日 | 日記
 先の日記、3月2日付の「時期、到来」で琵琶湖周遊ルーリングを4月5~6日に実施しますと記しましたが、同伴者の都合もあり、延期することとしております。
 御報告が遅延しましたこと、お詫び申し上げます。
 日程が決まりましたら,改めて日記にします。
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☆どうでもいい事に拘って・・!

2014年03月24日 | 日記
 22日、午後2時頃に所用済ませて帰路についた。
 カーラジオから「宇多田ヒカル」の歌声が聞こえてきた。
 そして、何故かしら「あれ!この子のお母さん、誰だったかなぁ!」
 思い出せない。
 「歯痒いなぁ!」と一人車中で叫んだ。
 代表的な歌った”歌”は何だったかなぁ?
 題名が分れば、歌手名も分るだろうと考えた。
 「夢は夜ひらく」と閃いた。
 そして「圭子の夢は夜ひらく」と思い出した。
 此れからが大変な思いをした。
 イライラしてきて、携帯端末で検索してみようか、とまで苛立った。
 しかし、駐車する場所が無いことを理由にして停車させることもなく走行した。
 「もう、考えるの止めよう」ともしたが、どうにも気になって仕方が無い。
 思い出した”名”の頭に、思い付く”氏”名を附けて思い出そうとした。
 その様にしている間に、苗字が”一字”であったことまでは思い出した。
 前川 清と結婚していたこともあった、等とヒントになることも思い浮かべてみた。
 帰宅時刻が17時頃になると判断し、順路にある娘宅に預けた”犬”くんを受け取って帰宅しようと段取りを考えた。
 「あれ!藤 圭子!!」
 どうでも良い様な事を、これ程まで努力?して思い出す必要があっただろうか?
 と、思ってしまう。
 しかし、眠気覚ましには貢献したと思うことにした。
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☆実に110日目のツーリングに・・!

2014年03月24日 | 日記
    
 今日(23日)佐田岬灯台(愛媛県)まで行くと言うツーリングに参加した。
 昨年末にバイクを走らせて以来となる。
 数えてみると、110日目となる。
 佐田岬灯台には、子供達の夏休みの思い出にと、数家族がキャンプの途中に立ち寄って以来となることから30年程が経過していると思う。
 少し早めの昼食を、佐賀関~三崎・国道フェリーの三崎側乗り場近くの食堂で済ませた。
 朝・自宅を出発する頃は、風も冷たく感じていたが、好天気にも恵まれ、着込んだ衣服を脱いで調整するまでになっていた。
 佐田岬灯台へは、バイクを(駐車場が整備されていた)駐車して、約2Km、を徒歩移動となる。
 前回、訪れた記憶して、人家の庭の様なところを通った記憶と、灯台付近に”生簀”と言うかプールの様な設備があったこと、そして、キャンプ場があってキャンパー(二張りのテント)がいたこと位しか記憶にない。
 記憶は正しかったようで生簀の様な設備(写真・左から3番目)は現存していた。
 そして、キャンプ場であっと思われる処にはバンガロー(写真・右)が出来ていた。
 この道のり(約2Km)を越えてまで、キャンプ道具を持参する労力は如何なものかと思っていたが、テントの持参が無ければ思い付き易いと感じたことであった。
 歩道は整備(舗装)されていたが、灯台までの約2Kmは記憶どおり遠く感じられた。
 灯台手前の階段を登りきると、灯台の敷地となって「四国最西端」という標識(写真・左から2番目)がある。
 この標識が30年程前に訪れた時にあったかどうかの記憶はない。
 遠く、九州・佐賀関の”大煙突”と、行き交う船舶の風景を楽しんだ。
 灯台を降りる階段から上方を仰ぐと、何らかの施設が有って、人が居ることが確認できた。
 「椿山展望台」との表記があったので行ってみた。
 此処からは「佐田岬灯台」の全景を見取ることが出来た(写真・左)
 好天気に恵まれ、汗ばむ陽気のなかでのツーリングは心地良いものであった。
 それにも増して、親しい人達との、久し振りの再会の喜びを感じたツーリングであった。
 老婆心ながら、絵日記の絵(写真)をクリックして頂ければ、拡大した”絵”が観られますよ!

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