今日(21日)、友人宅で”お酒”を頂きながら”衆議院解散”のニュースを観た。
今まで、気にしていなかったが、記者達の”モチモノ”が違っていることに気付いた。
ニュース記者=マイクと録音機と云ったスタイルが定番であった様に記憶している。
ショルダー・バックの様な形態で、記者達は肩に掛けて、マイクをインタビューの相手に向けていた光景が今も記憶にある。
録音機も、オープンリール型からカセットタイプに発展し、軽量化が図られた。
今日の会見風景を観た限りでは”アナログ式”のものは見当たらなかった。
所謂「ICレコーダー」と云ったものであろうと思われる。
あの頃。 あの頃とは、40数年前まで溯る。
私は、半年間、研修で家族共々、東京・杉並区高円寺に、6畳一間の借家を借りて住んだ経験がある。
その時点では「もう、二度と東京で住むことはない」との思いから休日になると出かけ”東京での一時の生活”を楽しんだ。
上野動物園でのパンダ・深大寺の達磨市・浅草寺の羽子板市・渋谷パルコの新春他、研修仲間が野沢温泉で民宿を営んでいたことから、善光寺・野沢温泉にまで至った。
その他に、東京で居る間に堪能しておきたい事があった。
それは、JAZZ・ライブである。
聴きたいと思う演奏家が出演するライブハウスに家族で出掛けた。
新宿であったり、高円寺であった。
此処で、やっと「デンスケ」と言う、SONY社製の携帯型の録音機の出番となる。
ライブハウスでの状況を録音したく、秘かに「録音機=デンスケ」を持ち込んでいたのである。
さも田舎から出てきました!と言う風体で、ボストンバックに”デンスケ”を忍ばせて、録音することに情熱を燃やした。
しかし、上手く往く筈がない。
多くは失敗作であった。 でも、懲りずに繰り返していた。
そして、ライブハウスの録音に関わる思い出話しの締めくくりに、日記として記録に留めておきたいことがある。
それは、数日後には東京を卒業して、元の職場に復帰すると言う最後のライブを、家族で聞きに行った時の事である。
新宿のライブハウスであった。
何度目かの、ジョージ大塚クイテットのライブである。
ライブが終わり、客が居なくなった時点で、オーナーが、ジョージ大塚さんに「明日、国(故郷)に還る・・・」と紹介され、我々・家族の為のライブを催して頂いた。
一時間足らずのライブであったが貴重な体験で、録音OK! 写真撮影OK!での、破格の待遇を与えて頂いた。
あの時代(40数年前)に”ICレコーダー”なるものがあったら、大きなバックに録音機を忍ばせて(秘かに)持ち込む苦労も無かっただろうに!と思うのである。
今日の日記は何故か、インタビュー風景から”ジョージ大塚”さんと云うJAZZ演奏家(ドラマー)の思い出話しに至る物語である。

今も、我家に残る「デンスケ」である。
動作するかの確認はしていないが往時を偲ばせる風体である。
此れにステレオ・マイクをセットし、バックに偲ばせ録音するのは至難の業であった。
、
注:「デンスケ」とは、取材用可搬型テープレコーダーでSONY社の商標である。
今も、ディジタル・デンスケとして存在している様である。
今まで、気にしていなかったが、記者達の”モチモノ”が違っていることに気付いた。
ニュース記者=マイクと録音機と云ったスタイルが定番であった様に記憶している。
ショルダー・バックの様な形態で、記者達は肩に掛けて、マイクをインタビューの相手に向けていた光景が今も記憶にある。
録音機も、オープンリール型からカセットタイプに発展し、軽量化が図られた。
今日の会見風景を観た限りでは”アナログ式”のものは見当たらなかった。
所謂「ICレコーダー」と云ったものであろうと思われる。
あの頃。 あの頃とは、40数年前まで溯る。
私は、半年間、研修で家族共々、東京・杉並区高円寺に、6畳一間の借家を借りて住んだ経験がある。
その時点では「もう、二度と東京で住むことはない」との思いから休日になると出かけ”東京での一時の生活”を楽しんだ。
上野動物園でのパンダ・深大寺の達磨市・浅草寺の羽子板市・渋谷パルコの新春他、研修仲間が野沢温泉で民宿を営んでいたことから、善光寺・野沢温泉にまで至った。
その他に、東京で居る間に堪能しておきたい事があった。
それは、JAZZ・ライブである。
聴きたいと思う演奏家が出演するライブハウスに家族で出掛けた。
新宿であったり、高円寺であった。
此処で、やっと「デンスケ」と言う、SONY社製の携帯型の録音機の出番となる。
ライブハウスでの状況を録音したく、秘かに「録音機=デンスケ」を持ち込んでいたのである。
さも田舎から出てきました!と言う風体で、ボストンバックに”デンスケ”を忍ばせて、録音することに情熱を燃やした。
しかし、上手く往く筈がない。
多くは失敗作であった。 でも、懲りずに繰り返していた。
そして、ライブハウスの録音に関わる思い出話しの締めくくりに、日記として記録に留めておきたいことがある。
それは、数日後には東京を卒業して、元の職場に復帰すると言う最後のライブを、家族で聞きに行った時の事である。
新宿のライブハウスであった。
何度目かの、ジョージ大塚クイテットのライブである。
ライブが終わり、客が居なくなった時点で、オーナーが、ジョージ大塚さんに「明日、国(故郷)に還る・・・」と紹介され、我々・家族の為のライブを催して頂いた。
一時間足らずのライブであったが貴重な体験で、録音OK! 写真撮影OK!での、破格の待遇を与えて頂いた。
あの時代(40数年前)に”ICレコーダー”なるものがあったら、大きなバックに録音機を忍ばせて(秘かに)持ち込む苦労も無かっただろうに!と思うのである。
今日の日記は何故か、インタビュー風景から”ジョージ大塚”さんと云うJAZZ演奏家(ドラマー)の思い出話しに至る物語である。


今も、我家に残る「デンスケ」である。
動作するかの確認はしていないが往時を偲ばせる風体である。
此れにステレオ・マイクをセットし、バックに偲ばせ録音するのは至難の業であった。
、
注:「デンスケ」とは、取材用可搬型テープレコーダーでSONY社の商標である。
今も、ディジタル・デンスケとして存在している様である。