ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

昔話を思い出して

2015年05月03日 | 日記
 昨日(5月2日)は、天気も良く、犬くんを散歩に連れ出した。
 何時もの”お散歩コース”である海岸を、のんびりと歩いていると、やはり犬を散歩させている人と出合った。
 犬の習性で”マーキング”を始めた。
 ”雄”であろう、立ちション!である。
 その風景を観ていて「そうか、今も恩義に感じているんだなぁ!」と、幼き頃に祖母から聴いた話を思い出していた。
 この昔話以外で、祖母から聴いた昔話は、以前にも日記にした。
 日記「幼き頃の想いで Prt2(2015.02.17)」・「チョロチョロ鼠の孔覗き(2015.02.06)」である。
 我家の犬くんは”雌”で、立ちションはしない。
 思い出した話しの”時空”は忘れた。
 神さまと、犬の話しであることから”神様が御住いの世界”としたい。
 その昔・犬の足は三本であった、と言う事が、このお話しのプロローグである。
 犬・以外の動物は、四本足で元気に駆けているのに、犬は三本足であったためか、元気に駆け回る事が出来ないでいた。
 此れをみた、神様は不愍に思った。
 そして、晩酌を楽しんでいた神様は、五徳の足が四本であることに気付いた。
 「(五徳は)三本足でも差し障りはない」と、その一本を犬につけてやった。
 足を与えられた犬は、嬉しさに駆け回ることで、神様にお礼の気持ちを伝えた。
 三本足であった犬族が四本足に至った経緯である。
 そして、神様から頂いた足に”オシッコ”が掛からないように、足を上げる行為で感謝の気持ちを”現在(子孫)”に至っても表しているというものであった。
 幼き頃は、犬の足は四本で、五徳の足は三本であること、そして、片足を上げる現実に照らし、祖母の話しは”真実”と疑わなかった事を思い出していた。
 今もって、雄犬の行為を観るに附け、信じたい思いが残る”話し”である。
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