HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

夜中に目覚める

2005年07月22日 | 音楽・映画・本
よくあることなんだけど、仕事で疲れて帰って、ご飯食べたら、ちょっと眠くなって、ベッドにごろんとしていたら、いつの間にか寝てしまってて、気付くと夜中の2時3時になっている。あわてて明日の用意とかやるべきことをして、また慌てて寝るわけ。今日もそのパターン。まだ明日いや今日か・・・も仕事があるし、朝は遅くても6時には起きないとだめだから、すぐに寝ないといけないんだけど、なんか目が覚めてしまった。

昨日会社帰りに車で京都市内を北上した。そして自分が小・中・高と多感(笑)な時期を過ごした場所を通り抜けた。よく通った本屋さんも文房具店も初めて腕時計を買ってもらった貴金属店も昔のままそこにあった。ほんの数秒で走り去る時、昔の自分がその場所によみがえる。まだ小学生だった私がイギリスの有名な文学とも知らずに、もちろん子ども向けに翻訳していたものだけど「嵐が丘」と出会ったのもそこの本屋さんだった。その本の描き出すイギリスの荒涼とした光景とヒースの咲き乱れる丘にあこがれて、その何年後かにその本の作者の生家を訪れ、舞台となった場所にたたずむなんて、その幼い私には想像もできなかっただろう。さらに自分が惚れ込んだイギリスの女性アーティストKATE BUSHがその本をコンセプトに「嵐が丘」という曲を歌っているのも何か不思議な縁と果てしない宇宙空間での繋がりを感じる。(ちなみにこの曲はさんまの番組「恋の空騒ぎ」のテーマ曲になっている。それがすごく嫌だ・・・)

また、ロックと劇的な遭遇をしたのもそこに住んでいる時だった。あのおこずかいをためては胸を高鳴らせてアルバムを買いにいった自分がよみがえって走りさった。

「君は何を未来に描いてたの?」

そう訊ねたい気がした。こんな未来でよかったのかって・・・

文房具屋さんは子どもの頃の私にとっては宝石箱のような場所だった。とにかく消しゴムと鉛筆とペンとノートが大好きだったから。これらがあれば何時間でも時間がつぶせるわけ。そう絵を描くのが好きだったから・・・鉛筆一本でいろんなものを描けるわけで、暇さえあれば絵を描いていた。やがて、社会に出るとそういうことも減ってしまった。

ただ、最近は違うことにそれらを使う。今度は言葉を書くために。

鉛筆と紙さえあれば、心をほんの少し解放できる気がする。

あっ、もうこんな時間だ。寝なくては・・・

世界中の人がいい夢を見られますように・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その未来

2005年07月20日 | グレイプバイン
グレイプバインの新曲のPVを見ました。曲もその時初めて聴きました。やっぱり私はグレイプバインを遠ざけることはできないな~って思いました。私は実はSIAM SHADEを好きになった同じぐらいの時にグレイプバインも好きになったんです。ひとめぼれみたいなものではなく、気付くと心の中に螺旋を描くようにドリルが地面をこじ開けていくように私の胸の奥あたりに強引なまでにその音はその歌は突入してきたんです。

私は田中君の書く詩がすごく好きなんです。まさに彼の言葉。まるで話しているような感じで言葉をメロディに乗せていく。曲のタイトルも「光について」とか「会いにいく」とかなんか好きなんです。そのタイトルだけでイメージが広がっていくような・・・。

田中君の歌い方があまり好きでないという人もいるけど、私は逆に好きで、なんかまとわりつくような歌い方がよかったりして(笑)

曲はドラムの亀井君が作るのが多いけど、彼の作るメロディも好きで、音楽を人間にたとえるなら包容力のある人イコール亀井メロディって感じかな~。

グレイプバインのサウンドにはブルースやモータウンのエッセンスが入っている。もともとそういう音楽から入っていった私だから、自分の音楽のルーツのような部分と彼らのサウンドが重なるのかなって、ちょっと思いました(笑)

そういえば、田中君の詩には「会いに行く」という言葉がよく出て来る気がする。きっと彼はずっと会いたい誰かがいたんでしょうね。その「会いに行く」という言葉がとても痛く響くこともありました。「会いに行く」というのは一種戦いにいくようであり、決意であり、そして臆病な自分へのおまじないみたいな言葉だな~って思うのは私だけなのかな~。会いに行って、見事撃沈され、粉々になった心を拾い集めた経験もある私だから、そう感じるのかな?

「君を待つ間」は大好きな曲です。あの重たいドラムから始まるイントロから大好き。何度聴いたかわからない。聴いていて光、そう昼の自然光が目の前に見えて来る歌。「待ち合わせして会うこと」がこんなにも素敵なことなんだって思えるよね。「時間過ぎているのに遅い」とか「暑いところで待たされて」とか思う人もこの歌を聴けば、その待つ時間すら素敵に思えるのでは?って現実はそんなもんじゃない?(笑)

そういえば、最近どうしているんでしょう?お元気ですか?「君のその未来を待つ間」少し寂しい気もします。

一体誰に言っているんでしょうね(笑)まあ、戯言ですから、誰にもあてはまり、誰にもあてはまらない・・・

田中君の言う「いつまでだって待ってるから・・・」ってどのくらいの期間有効なんでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピンクパンダー

2005年07月19日 | 音楽・映画・本
この前、関係会社の方にもらったCDに入っていたのが「ピンクパンダー」の曲。関西で活動していて佐久間氏の目にとまり、メジャーデビューしたけど2004年の3月に惜しくも解散してしまったバンド。彼らの名前は聴いたことがあってどんなのかな~って思っていたら、もうだいぶ前に同じ方から彼らの曲の入ったものをもらったことがあったので、もちろん聴いたことはあったけど今回また違うバージョンを頂いたので、またじっくりと聴いてみた。

佐久間さんの目にとまるというとだいたい想像つくと思うけど、そうジュディマリのYUKIちゃん系の声のボーカル。ああいうボーカルが好きな人はたぶん好きになると思う。

私も好きだから、ふつうに入っていける。でも、今回しっかりと聴いてみたら、その深みにはまった(笑)
ボーカルの歌い方がなんとも気持ちいい。声の感じはYUKIちゃんを彷佛するけど、歌い方はちょっと違って、少しトーンが低いというかせつない感じ。

「祈り歪む天と地と」という曲はそのボーカルのはつえちゃんのいいところが出ているし、好きな曲。これはカセットでしか手に入らなかった貴重音源みたいで、CDに入れてもらったこととそのカセットからCDへの手間も考えて、ほんとありがとうございます。

「SUGAR」という曲はもし今私がティーンエイジャーなら自分が好きな人にプレゼントしたい曲だな~(笑)・・・ちょっとアメリカのパンクバンド・ブロンディのデボラハリーが歌いそうな曲かな。すごく爽快感があって、サイダーのCMに合いそう。

ドラムも女性でエツコちゃんというのだけど、今はあの少年ナイフのサポートドラムをやっているらしい。可愛い人なのに、すごいドラムを叩く。ほんとびっくり。かなりいいよ。

「LOW-Hi」って曲もちょっとアジアンテイストな感じで不思議な曲。

「地平線」という曲がまた、気持ちいい曲。夕暮れにそよぐ風のような、なんかすがすがしい気持ちになれるし、これを歌う時のボーカルの歌い方がすごく好き。大好きな曲。

「トレモロ」この曲もワルツな雰囲気で、ちょっとノスタルジックな雰囲気からアップテンポにかわる感じが好き。

全部で10曲を選曲していれてくれてたんだけど、どれもいい曲ばかりではずれはないです。

もしCDにしてもらえてなかったら、一生(大袈裟かな・笑)これらの曲を知らずにいたかと思うとほんとありがとう・・・って気持ちです。

またいい曲があれば、いいバンドがあれば教えてほしいな~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外見と中身

2005年07月19日 | 音楽・映画・本
私には一目惚れって言葉は存在しない。もちろん音楽においては一度聴いただけで惚れ込むということはあるけど、人間に対してはそれはない。私の知り合いで外見から人を好きになる人もいたけど、どうしてそれだけで好きになれるのか不思議だった。もちろん、職業やら学歴やら家族構成やらそういうのを気にして一目惚れをあえてしないという人もいるだろう。でも、私はそれも関係ない。そう、その人の人間性。それが一番大事。その人の人間性を知らずして好きになるなんて考えられない。いいかえれば、外見だけで人を判断はしない。だから、どんな人に対しても出会った時は心は真っ白にしている。ゆえに、その相手が性格が歪んでいるとか、素直とかもこちらが偏見を入れてない分、自然と見えてくる。

おもしろいことだけど、こちらが嫌だな~って感じる相手はあちらも私のことが嫌いだと思う。だから、あえてその嫌な相手のいい部分を見つけようと努力する。まあ、一生涯かかわりたくないと思う以外や仕事とかでどうしてもかかわらないといけない場合にはだけどね。

だって、嫌いという感情でずっといるなんてしんどいもの。でも、人のいいところを見つけるというのは案外いいものだね。いい人と思っていたのに嫌な部分が見えるより、嫌だと思っていた人のいい部分を見つけた時の方がすごく幸せな気分になれる。変だね、人間って。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スターウォーズ・エピソード3

2005年07月18日 | 音楽・映画・本
なんだろう。この気持ち。最後の方のあるシーンで涙が出てきた。ぐわ~って心をえぐられるような感情。繋がった・・・あの頃にあの時代に。やっと時が合流した、そんな思いとせつなさと。思いっきり号泣したい気持ちだった。でも、もちろん人がいっぱいの映画館だし、そこはぐっと抑えた。

幼き日に見たエピソード4、5、6。あの時「どうしてルークのお父さんであるダ-スベイダーが悪の帝王になったか」という謎。それが28年の時を得て、今日わかった。とてもせつないものだった。

これは宇宙の大スペクタクルな叙情詩ではあるけど、不偏的な人間の本質というものを実は描いているんだろうね。アナキンのダークサイドに向う心理状態・・・これは今の未成年の子どもたちの犯罪に向っていく心理とどこか重なる。少しずつ、心の歯車が噛み合わなくなっていく感じ。

とにかく、このエピソード3で締めくくれたのはとてもよかった。とても深く心に残った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正座して聴く☆

2005年07月18日 | 音楽・映画・本
たまたま目についた記事。あのアンドリュ-・W・Kがこう言っていた。「自分の好きなアーティストの作品を初めて聴くときは気合を入れて、それに集中できるようにスピーカーの前に座って、アートワークを楽しみながらアルバムを聴く」というような事。

私もティーンエイジャーの時はお金がないから、何ヶ月もおこずかいをためて一番その時に欲しいアルバムをワクワクしながら買ったものだ。そして聴く時はやはりスピーカーの前に正座して聴いた。どれだけ心臓をどきどきさせたことか・・・。では最近はどうか・・・というと、昔よりはお金をある程度動かせる(笑)ようになったから、月に何枚も買えたりする。するとついつい聴き方が雑になる。正座して聴くなんてめったになくて、CDからすぐにMDにダビングして通勤時に聞けるようにしてしまう。

このアンドリュ-の言葉を読んで、あ~なんてことだと反省する。

申し訳ないだろう?そのアルバムを作ったアーティストに・・・もちろんMDに入れて何度も聴くわけだけど。なんか違う気がした。

でも、実のところ、これは不思議なんだけど、私が好きなインディーズのバンドが出したCDを家で聴く時は結構スピーカーの前で正座して聴いている。それはなぜか。

メジャーのバンドのCDは全国的にリリースされて、一斉に多くの人の元に届くし、その前からラジオでもオンエアされるけど、インディーズで特にまだ事務所にも属して無いバンドはそのライブや一部のショップでしか手に入れられないわけで、まさに自分の家で聴くのが最初であり、その自分自身が彼らの曲を聴く最初の何人かになる可能性が高いわけで、それゆえにドキドキするんだ。大袈裟かもしれないけど、なんかすごい歴史の発見者の一人になるような感じ?

誰の手も借りず、自分たちだけであれやこれやと苦悩しながら、作り出すインディーズバンドのCDは私にはものすご~く純度が高くて、繊細で、壊れやすいもののように思える。ゆえに丁寧にきちんと聴こうと思ってしまうし、大事にしたいと思う。

今、私がよく知る某アーティストの方と某バンドの方がアルバム作りに没頭している。きっと大変な作業なんだろうね。どんなものが出来上がってくるのか本当に楽しみ。そして、それが完成した暁には、スピーカーの前で絶対に正座して聴く・・・その産み落とした大事なものを。

待っているから・・・ライブに行けなくても・・・音楽は愛し続けるから

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ELO(エレクトリックライトオーケストラ)

2005年07月17日 | 音楽・映画・本
今、TVでやっている「電車男」のオープニングか挿入歌でELOの「トワイライト」が使われています。スタッフもよくこの曲を見つけてきたな~って、あまりにぴったりでうれしくなります。私は「ディスカバリー」というアラジンをモチーフにしたコンセプトのアルバムを持っているんだけど、その中にも電車がらみの曲は入っているんですよね。彼らはきっと日本に住んでいたら「宮沢賢治」のファンになるだろうな(笑)

彼らのサウンドはシンセサイザーを駆使し、ポップでスケール感あるロックを作り上げています。随分と前の曲なのに「トワイライト」も新鮮ですよね。深くは彼らのことは知らないけど、曲はいろいろ聞いたことがあって、一枚だけもっているアルバムもいい曲がいっぱいで何度も聞きました。

それこそ肩に力入れることのないロックがELOのロックなんですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英語

2005年07月17日 | 音楽・映画・本
英語を好きになるか嫌いになるかはその出会い方によるのでしょうね。私は幸いにも出会い方がよかったようで、最初はずっと片思いでしたが、少しづつ振り向いてもらえるようになりました(笑)

そもそも出会いは海外のドラマ。NHKなんかでやっている子どもやティーンエイジャー向けのドラマ。もちろん吹き替えなんですが、それ見てて、イギリスやアメリカってどんな国なんだろうって・・・。そして本を読むのも好きで、しかもやっぱりイギリスの作家の本をよく読んでいたので想像が広がるわけです。さらに父が映画好きなので、洋画を字幕で見たりして、その時聴いた英語に異国の香りを感じて、素敵だな~って幼心にあこがれたわけです。偶然にも親友のお母さんが英語の先生で家に遊びにいくと英語のお話の本がいっぱいあって、絵だけ見ていてもおもしろそうだと思っていたら、そのお母さんが貸してくださったんですよ。ますますわけわからないけど英語というものにファンタジーを強く感じるようになるわけです。しかも友達のお母さんはときどき友達と私に英語を教えてもくれたんです。もちろん月謝なんてとらず、でもかなりきっちりと遊びにいった時に30分ぐらいテキストも用意してくださって単語とか教えてくれたんです。ほんと感謝しなければいけません。

でも小学5年の時に私は引っ越したので、そのレッスンは終わりました。しかし、中学になってロックと出会ってからは今度は「ロックバンドのメンバーにインタビューしたい」という安易な気持ちが高まって、英語に力が入るようになります。しかし、中学3年になるまではさんざんな成績で、なんで英語ができないのだろう・・・といつも思ってました。習っていた英語の先生からも、もう少しがんばろう・・・って感じで。しかし、「好きだ」という気持ちは大事なようで、片思いであった英語に好かれるように(笑)なんども挫折を感じながらも勉強しました。すると中学3年で突如、期末テストですごくいい点を取れて、やっと英語に握手してもらった感じがしました。

ゆえに高校に入ってからも英語が楽しくて、さらにロックを聴けば聴くほど、イギリスに行くためには英語を磨かねば・・・とはりきっておりました。

しかし、会話となるとあまり発音とかが上手くなく、落ち込んでる日々でしたね。

大学も英文科だったし、卒業後もなんらかの形で常に英語はそばにあって、仕事でもずっと関わってきてました。

ところが、去年勤め始めた今の会社ではごくたまにしか英語を使うことはありません。ゆえに1年経つとすっかり英語から離れている自分に気付き、がく然としたものです。このまま忘れ去るのか~って。もちろん音楽や映画では触れる機会はありますが、自分で文章を書いたり、翻訳するなんてことはないですものね。

あるバンドの方が一度だけある文章を英語にしたらどうなるかと聞いてくれたことがあり、その時はかなりうれしかったです。ゆえにいろいろ表現を考えましたね。

昨日の朝、たまたまあるインディーズバンドのHPで新曲の歌詞を見ることができました。すると不思議なことに英語が浮かんできたんですよ。なんかこの日本詩を英語にしてみたいって気持ちになって・・・あれよあれよという間に全部ではないけど、一部英語にしてしまいました。勝手なことをしてしまったのでしょうが、これである意味自分が癒されたのでそのバンドの詩を書かれた方、ここを見ていないかもしれませんが許してくださいね。

英語を日本語にしたり、日本語を英語にしたりする時は実は直訳はできないんですよね。生の(笑)イギリス人やアメリカ人と接してきて、直訳では通じないことがほとんどだと体感しているので。相手がイメージできるように表現することが大事だと。もちろん共通の文化や生活スタイルもあるのかもしれないけど、多くは違うわけで・・・

また、歌詞の場合はリズムというのもあるので、韻を踏むまでにはいたってませんが、今回とりあえず読んで、なるべくなめらかに繋がるような単語を選びました。
そして「花が枯れる」という時に「枯れる」は本来、deadという単語を使うのですが、その単語を私自身はあまり使いたくなかったので、「枯れる」をイメージした表現・・・頭を垂れて行く感じの単語を使いました。

それと最初思ったままに書いて間違えたのが、もとの日本語詩に「忘れない」(don't forget)とあったところを、うっかりdon't remember、そう「思い出さない」にしてしまって・・・お恥ずかしいことですね。まったく反対の事ではありませんか。たまにこれがテレコになるバカな私です(汗)

妙な話ですが、日本語詩を英語にしてみるとさらにその日本語詩の深さを感じられるんですよ。いろんな表現が浮かぶほど、その日本語詩には奥行きがあるわけで・・・

なんか久しぶりに楽しかったです。まあ、一人で家で勝手に楽しんでいるだけなんですけど・・・別に誰からも頼まれているわけでもなく、喜ばれるわけでもないのに(笑)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭宵山☆

2005年07月17日 | 音楽・映画・本
一昨日さんざん人込みをぼやいていたのにまたまた昨日も京都へ参上。とにかく中心部を避けるように囲い込み作戦で、まずは京都駅の南あたりの用事を済ませ、そこから新堀川通りを北上し、御池通りを右折(って、京都の人じゃないとなんのことかわかりませんね。)そして、かろうじてすれすれのところでゼストの駐車場へ・・・。そこへ行くまで観た光景は多くの浴衣姿の人たちと警察官と道の両側に並べられたイスイスイス!今日の山鉾巡行の観覧席のイスなのかな~。

ふと思ったけど、誰かさんはまたこういうイス並べのお仕事されたのでしょうか?なら、かなり大変だったでしょうね。

あの御池あたりで用事があったので、しかたなく行ったのですが、その後、地上に出る元気もなく、地下街のゼストというところ(人が少なくて、私にとってはオアシスです・笑)で本屋さんやパン屋さんに寄って、少し買い物してから祇園祭の宵山に今年も参加することなく帰路へつきました。そうそうある人が言ってましたね。「祇園祭に行けというのは罰ゲームみたいなもんだ」

でも、実のところ私の亡くなった伯父はこの祇園祭とかなり深いかかわりのあった人だったんですよ。なのに私はいつも祇園祭をまるで遠い外国のできごとのように小さい時から見ていて、まったく無関心でした。伯父はきっと私にも参加してほしかったんでしょうね。伯父は一見恐い雰囲気だったけど、なんとなく好きで、まだ幼かった私に

「人という字をみてごらん。人は一人では生きて行けないんだよ。ささえあって初めて人になるんだよ」

と何度となく話してくれました。

祇園祭をまた別の面から見てみようかな・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭の宵宵山

2005年07月15日 | 音楽・映画・本
京都の中心部は今祇園祭の前前夜祭で人がいっぱいだ。今日はどうしても四条烏丸に用事があって、とにかくバスがまだ迂回する時間前にそこに辿りつかねばと残業することなく、早々に会社を出た。まあ、担当の人が今日は出張で出かけてたからね(笑)でも、いつものバス停は休止中なのでその前のバス停で下ろされた。ゆえに人がいっぱいの鉾の合間を縫って目的地まで行かないとだめだった。なんでこんなに人が多いんだろう。ゆえに昔から実は祇園祭というものを避けてきた。ゆえにまともに行ったことなんてない。たまたま通りすがったという以外は。

ベタベタした空気が体にはりつく。外なのに息苦しい。ガ-ゴイルみたいな若者たちがはしゃいでいる。出店の食材の下準備をしている雰囲気は何処かテレビで見たアジアの市場のよう。それにしてもあまり衛生的とはいえないな~。二匹の犬が寝転んでいる横でフルーツをとりわけてセットしている。火が入るものならまだしも・・・肉を切っている人。串に刺している人。照りつけるヒリヒリした太陽とアスファルトからの蜃気楼。

早くここから脱したい。人のいない方へいない方へ歩き続ける。やっと出店もなく、人も少ない場所に辿り着く。無性に静かな場所で夜空にきらめく星が見たくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする