大学病院を出されて?から、ずっと何をするでもなく自宅で療養していた父は、
毎朝、信頼しているクリニックに通い、点滴をしてもらっていたようです。
もう、あまり食べられないのと食べたくないのと・・・なんだか、生きているのが不思議な感じみたいでした。
がりがりに痩せちゃって、理科室の骨格標本に皮がついてるだけみたいで・・・ね。(怖っ)
なのに、身の回りの整理を一生懸命していたようです。ちょうどこの頃、私ってばどうしても思い出せない言葉があって・・・いや、思い出せないというよりもともと完全には知らなかった言葉です・・・電話して聞いたんです。
「ほら・・いい事と悪い事が順番にやってくるっていう諺ってなんだっけ?」
「あざなえる縄のごとし・・・しか分からないの、上、なんていうのだっけ?」
父は・・・娘の私が言うのもナンですが、非常に博学で頭のいい人でしたから聞けば大概のことは即答してくれました。
「禍福はあざなえる縄のごとし、だ」
そうでしたか。はじめて知ったように思いました。
結果的に、父から教わった最後の言葉になりました。
9月の頭に四日市の別の病院に入院して、肝臓に転移した癌が膨れ上がっているというのと、肺にも影があると知らされました。
ことに肝臓はいつ破裂してもおかしくないから「大出血したらお終い」と。
三日ごとに京都から通い、うまくしたもので?その大出血の日は、私が母に代わって泊り込んでいる夜に起きました。
不思議ですよね、ちゃんと慌てもせずにいろんなことが出来るんですね。
私は父に声をかけつつ、ベッドの枕元にあるナースコールを押して看護士さんが
くるのを待つ間、血で汚れた下着やら寝巻きや、腰の下に敷いている大判のバスタオルを取り替えました。
この今思えば。。。かなり怖い状況が母の泊まりの夜でなかったことをありがたいと思いました。母も血圧高い人でしたしね。
まあ、そんなこんなで何日もしないうちに亡くなって、私が三日ごとに泊まりにいって、京都に帰った夜の・・・数時間後でしたので死に目には間に合わなかったんです。 なんであの夜、もう一晩病院にいなかったんだろう。
もう、喋れなかったんですよ。モルヒネうってたから。その父の耳元に「京都帰るから、父さん、頑張らんでもいいから」って、最後の言葉でした。
ほんまに頑張らへんで・・・待っててくれませんでした。
でも、それで良かったと思ってます。 あれ以上、頑張らせるのはむごい事でした。
毎朝、信頼しているクリニックに通い、点滴をしてもらっていたようです。
もう、あまり食べられないのと食べたくないのと・・・なんだか、生きているのが不思議な感じみたいでした。
がりがりに痩せちゃって、理科室の骨格標本に皮がついてるだけみたいで・・・ね。(怖っ)
なのに、身の回りの整理を一生懸命していたようです。ちょうどこの頃、私ってばどうしても思い出せない言葉があって・・・いや、思い出せないというよりもともと完全には知らなかった言葉です・・・電話して聞いたんです。
「ほら・・いい事と悪い事が順番にやってくるっていう諺ってなんだっけ?」
「あざなえる縄のごとし・・・しか分からないの、上、なんていうのだっけ?」
父は・・・娘の私が言うのもナンですが、非常に博学で頭のいい人でしたから聞けば大概のことは即答してくれました。
「禍福はあざなえる縄のごとし、だ」
そうでしたか。はじめて知ったように思いました。
結果的に、父から教わった最後の言葉になりました。
9月の頭に四日市の別の病院に入院して、肝臓に転移した癌が膨れ上がっているというのと、肺にも影があると知らされました。
ことに肝臓はいつ破裂してもおかしくないから「大出血したらお終い」と。
三日ごとに京都から通い、うまくしたもので?その大出血の日は、私が母に代わって泊り込んでいる夜に起きました。
不思議ですよね、ちゃんと慌てもせずにいろんなことが出来るんですね。
私は父に声をかけつつ、ベッドの枕元にあるナースコールを押して看護士さんが
くるのを待つ間、血で汚れた下着やら寝巻きや、腰の下に敷いている大判のバスタオルを取り替えました。
この今思えば。。。かなり怖い状況が母の泊まりの夜でなかったことをありがたいと思いました。母も血圧高い人でしたしね。
まあ、そんなこんなで何日もしないうちに亡くなって、私が三日ごとに泊まりにいって、京都に帰った夜の・・・数時間後でしたので死に目には間に合わなかったんです。 なんであの夜、もう一晩病院にいなかったんだろう。
もう、喋れなかったんですよ。モルヒネうってたから。その父の耳元に「京都帰るから、父さん、頑張らんでもいいから」って、最後の言葉でした。
ほんまに頑張らへんで・・・待っててくれませんでした。
でも、それで良かったと思ってます。 あれ以上、頑張らせるのはむごい事でした。
読み飛ばしてくれたらいいし。
削除という手も考えたけど、なんか父に悪いようで
消せへんかった。
また後で、おばか出しますわ。
言いたいこと書きたいことを書かはったら…
ここは、あんさんのブログどすでえ~
げっ?
もしかしてブログ大賞とか狙ろてはりまんのんか~?
出版でもしてもらおう…なんて???
一攫千金目論んだはりまんのか?
1人でその怖い状況を体験してしまった私は、
まだまだそのショックから抜け出せずに
いるわけで・・・
あえて思い出さないようにしている・・・
新盆で帰ってくる?
ぜ~んぜんピンと来ません・・・
この世にいないという現実がまだ受け止められないのだと思う
それでも時だけは過ぎ・・・
この世はまさに生き地獄でございまする。
真面目トークで・・
おちゃこさんが言われるように、このブログは
楽母さんの物ですから 気持のままに書き綴れば良いと思います。読者の思惑は関係ない!
読み飛ばそうと思う人は そうするでしょうし、
コメが無くても毎日ここを訪れてる人の中には
現に今親の介護に当たってる人もいるかも・・?
お父さんの病院に泊まった時、もう息子さんは大きく
なってたのですか?京都と四日市は遠いね~。
「頑張らなくて良いよ」・・切ない!
ほほ笑むことを 忘れちゃいけない
涙は今もこぼれているが
過ぎてしまえば 今は昔
思い出しちゃいけない
悲しいことを