富田元治のブログ

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豚足

2018年05月01日 | 熊本のグルメ

先日、従兄弟6人の飲み会でした。

豚足を焼いてもらうのは私一人です。

他の5人は誰一人頼みませんね。

私一人、黙々と豚足に噛り付きました。

一人で、豚足に噛り付くのも侘びしいものです。(笑い)。

 

さてさて、

一週間後の昨日、同じ居酒屋に、40年来の友人4人と行ってきました。

私が豚足を頼むと、森田さんも頼みますね。

すると、他の二人も。 つまり、4人全員、豚足を食べるのです。

 

豚足、ホルモンを食べる仲間と呑む酒は格別です。

豚足、ホルモンが苦手なあなた! 

豚足、ホルモン大好き人間になると、人間関係が豊かになります。(真実)。

人間関係がイヤになり、刑務所から逃げ出すこともありません。

あの若者は豚足が食べられない人間だったのかも~?

 

これが豚足です。

数年前まで豚足は安かったのですが、最近は高くなりましたね。

数年前の倍の価格です。黒豚の豚足は更に倍の価格です。

馬ホルモンも高くなりました。

 

 

 

 

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水俣病公式発見の日から62年

2018年05月01日 | #あ~人生

チッソ水俣工場・附属病院の細川一病院長が、

1956年(昭和31年)5月1日、「原因不明の中枢神経疾患」として「5例の患者」を

水俣保健所に報告しました。この日が水俣病公式発見の日とされました。

 

1956年(昭和31年)5月1日が、水俣病公式発見の日です。

今日、5月1日は水俣病公式発見の日から62年目です。

62年?? 実は、70年前から水俣病は始まっていました。

 

1946年:日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。

1949年頃:水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。

1952年:熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。

1953年:熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。以後、急増。

1953年ごろより、水俣市一帯に特異な中枢神経症状を呈する患者が多発し、

死亡率も高いことが注目されていたのです。

 

1954年:8月1日付熊本日日新聞で、ネコの狂死を初報道。

1956年:5月1日、水俣病公式発見の日。「5例の患者」を水俣保健所に報告しました。

1959年(昭和34)に熊本大学医学部の水俣病研究班が、

「チッソ水俣工場の排水中に含まれるメチル水銀が魚貝の体内に入り、

これを多食した者が発病する」という有機水銀中毒説を発表しました。

 

1961年にはメチル水銀化合物の生成過程を明らかにし、

汚染源が同工場であることをつきとめました。

しかし、チッソがアセトアルデヒドの製造を中止し、

製造工程で出る水銀の流出が止まったのは1968年5月でした。

 

そして、同じ年の1968年9月に公害病と認定されました。

熊本・天草選出の園田直厚生労働大臣が公害病と認定したのです。

 

熊本・天草選出の園田直大臣だったから、認定したんでしょうね~?

園田直氏以外の大臣だったら、認定はもっと先延ばしされていたかも~?です。

 

1968年9月,水俣病は公害と認定され、

2004年最高裁は、国と熊本県にも責任があることを認めました。

2004年に最高裁判所が、国と県にも責任があると認めましたが、

まだ、水俣病は解決していません。

 

ユージンスミス氏の作品を無断拝借。

 

 

 

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